センターを支える人々:永倉 冬史(中皮腫・じん肺・アスベストセンター)

私がアスベスト問題に関わったのは、築地市場のマグロ屋で働き、労働組合を結成、運営している時に市場内のアスベスト問題を取り上げた1992年頃からになります。当時、築地市場は様々な労働問題を抱えた前近代的な職場でした(豊洲市場でも変わらないと思います)。パワハラ、セクハラ、不当解雇、残業代不払い、社会保険未加入問題など多種多様な相談が我が労働組合に舞い込んでいました。なかでも、築地市場当局が当時実施していた再整備事業は、市場業務の営業のさなかに古くなった建物を解体し、新たな施設を建設するという無謀なもので、大変危険な職場となっていました。私たちの労働組合は、この工事の具体的な安全性の一つ、解体工事に伴うアスベスト問題について検討すべく市場内でアスベストに関する勉強会を開催し、市場内の労働者に広く呼びかけました。

築地市場で働きながら石綿対策全国連絡会議に参加するようになり、99年には当時のセンター事務局長の西田隆重さんと、文京区さしがや保育園アスベスト粉じん飛散事件で区の工事説明会に(やや年老いた)保護者のふりをして出席、区の担当者を保護者と共に追求しました。これがきっかけで「文京区さしがや保育園アスベストばく露による健康対策等検討委員会」が設置され、古谷杉郎さん、名取雄司医師、私も参加し、4年間の議論の末、03年12月に報告書を答申しました。当時はアスベストによる被害者は労働者だけという国の認識でしたので、環境ばく露によるアスベスト被害リスクを議論した報告書は画期的なものでした。2年後の05年に尼崎市旧クボタ神崎工場周辺住民のアスベスト被害が報告された、いわゆる「クボタショック」の後、この報告書を国のアスベスト関連担当者がテキストとしてみんな読んだという噂もありました。

私は03年発足の「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」に参加するようになり、築地市場勤務とセンターの二足の草鞋を履きながら西田さんとはその後も様々な活動を一緒に取組み、勉強させてもらいました。川崎市内の小学校のアスベスト現地調査、綾瀬市立綾瀬小学校アスベスト飛散事件裁判、鶴見にあったエーアンドエーマテリアル工場周辺住民アスベスト被害の掘り起し、全国の自治体アスベスト条例の調査などです。

最近では、池田理恵さんのお声かけで、長野県アスベスト対策センターの皆さんと長野市台風被災地のアスベスト調査や、長野県飯田市の保育園児アスベストばく露事件についての県交渉などに取り組んでいます。山梨の専門学校教員の労災不認定にかかる裁判など、未解決問題などについてもこれからも一緒に活動していきたいと思います。よろしくお願いします。