県立技能専門学校の教員のアスベスト被害:公務災害補償基金の公務外認定の取消し訴訟
山梨県立甲府技能専門学校の電気工事科の教員であったAさんの死因である胸膜中皮腫は公務が原因であるとして公務災害補償(地方公務員災害補償基金=以下「基金」という)の請求をしていたが、公務外となった。そして審査請求、再審査請求いずれも棄却された。Aさんのご遺族は、教員のアスベスト被害の広がりを社会に喚起していくこと、基金の認定審査の問題点を明らかにするために裁判での闘いを決意。神奈川総合法律事務所の福田護弁護士と山岡遥平弁護士が代理人となり、4月10日に東京地方裁判所に提訴した。【鈴木】
甲府技能専門学校とは
Aさんは、1973年4月から1981年3月まで8年間、山梨県立甲府技能専門学校の電気工事一科の指導教員であった。同校は建築科、電気工事科、縫製科、自動車運転員科など教育課程がある県立の技術専門学校であり、中学校卒業者による専修過程と高校卒業者による高等課程がある。また、実際の生産現場(工事現場)に赴き、実技を習得する「応用実技」の授業があり、電気工事科修了者には「電気工事士」の資格を与えるなど即戦力となる技能者、技術者を育成する学校である。
Aさんはその後、職業訓練課に異動したが、1986年11月に胸部に鈍痛が出現、1987年1月には胸部痛が増強、同年2月に多発性の異常陰影を指摘され、山梨大学医学部附属病院に入院し、悪性胸膜中皮腫と診断された。同年9月に同病で死去(享年38歳)し、妻と2人の子が残された。
電気工事科の教科内容
Aさんは甲府技能専門学校の電気工事一科(専修過程)の教員で、教科の内容は「普通学科」「専門学科」「基本実技」「応用実技」に分かれている。国語・社会などの「普通学科(年間230時間)」、電気理論・配電図および製図などの「専門学科(年間660時間)」、器工具使用法・電気工事基本作業などの「基本実技(年間540時間)」、そして「応用実技(年間270時間)」の授業があった。
「応用実技」の授業には①建柱作業、②内線工事、③外線工事、④電気機器修理作業、⑤試験検査及び保守作業があり、入学案内の「授業方法」によれば、「実技の熟練度を高め、応用能力を養い、生産現場に適応する応用実技を主に行います」とある。つまり、「応用実技」の授業では、実際に工事を行っている建設現場の中で「実技」の授業を行っていたのである。
建設現場で実習授業
「応用実技」の授業は近隣の公共施設等の実際の建設現場で行った。具体的には、甲府東高校・甲府西中学校・甲府西高校・甲府第1高校柔道場・韮崎福祉村・山梨医科大学・南アルプス市のアパート・田富町の流通団地などの建設現場で実習を行った。
学校の卒業アルバムの授業風景の写真は、まさしく工事現場における電気工事そのものの様子を写している。なかでも「応用実技」の授業風景で、建築現場における天井等への電気配線工事の写真をみると、「応用実技」は実際の建設工事における電気配線作業さながらであったことが良くわかる。
石綿ばく露状況
Aさんの1973年から1981年までの8年間の電気工事科の「基本実技」や「応用実技」の授業において、実際の電気工事従事者が建築現場で石綿にばく露するのと同じ状況が生じていた。つまり、電気工事授業の実技中に建築物に使用されていた吹き付け石綿の飛散によるばく露、天井裏などの狭い空間での電気配線作業における石綿ばく露、また配線のための石綿ボード等の切断・切削・穴あけ作業時に石綿ばく露した蓋然性は非常に高い。これは書類上の裏付けもあり、Aさんが「応用実技」の授業を行った各種学校の建築工事設計図書や石綿除去工事記録には当該校では吹き付けアスベストが施工されていたことが記載されている。
さらに主治医(山梨大学医学部附属病院)のカルテには、Aさんの供述として『配線工の講義をしており、取り扱う材料の中にアスベストが含まれており、また、実習にて工事中建築物の中に居ることも多かった。(その中には、断熱材等アスベスト含有)』との問診記録がある。つまり、Aさんはご自身の公務においてアスベスト建材を扱っていたことを明確に意識し覚えていたのであり、これは極めて重要な本人のアスベストばく露についての証拠となる。
現地調査報告
実習授業は校内でも行っていた。実習棟など当時の建物の天井や壁などにも石綿が吹き付けられている可能性が高いことから、校舎の新築工事、改築工事、解体工事などの建築設計図書の情報開示請求を行い、図面をもとに、中皮腫・じん肺・アスベストセンターの永倉冬史さんに現地調査をして頂き、以下の報告を得た。
『これらの記録と、現状の調査結果から、当該建物の4F廊下の東端の倉庫、又は1F廊下の東端の資料室では、改修工事着工前の写真から、天井に青い吹付け材(クロシドライトを吹き付けたトムレックス等)が施工されていた疑いがある。理由は、施工前の写真では天井が青くまた質感が柔らかい。さらに着工前と完成写真とでは天井の高さも異なっている。完成後の写真は現状とは変わらない。さらに、改修工事の設計図面(年代不明)では、1F、4Fのいずれの倉庫も天井は既存のままの施工を指示しているが、着工前と完成後の写真では天井がそれぞれ蛍光灯が入れ替えられ、天井の色も青から白に変更しており、改修図面の指示を反映していない。これらのことから、建物の改修工事に先立って吹付け材の撤去工事が先行し、その後大規模改修工事が行われた際の設計図面が、現在残っている改修工事の設計図面ではないかと疑われる。したがって、1993年度から2年間にわたって行われた大規模改改修工事の際に、先行して石綿等の除去工事が行われ、その際の施工計画、図面等は残っていないと考えられる』(永倉冬史『現地調査総括票』から抜粋)。
Sさんの取消訴訟
ところで、教員の石綿ばく露による基金の公務外決定の取消訴訟としては、埼玉県のSさんの裁判がある。Sさんは小学校教員で、当時の校舎の階段裏に吹付石綿が施工されており、剥がれ落ちた石綿粉じんの掃除等によりばく露し、心膜中皮腫を発症。公務災害の請求をしたが、公務外とされた。この不当な決定に対しご遺族は提訴に踏み切り、当時の記録の掘り起しや同僚や生徒の証言を集め、さいたま地方裁判所で逆転の勝訴判決を得た。
しかしながら控訴審となった東京高等裁判所は、『石綿の管理濃度(クリソタイルのみ150本/L、クリソタイル以外30本/L)を超えるときに「石綿にさらされる作業」に従事したものと評価すべきである』と、労災認定基準にもない突然の評価基準を作り上げ、この基準に満たないとして逆転敗訴の判決を下した。そして最高裁判所も棄却し、判決が確定してしまった。
公務外決定と提訴
Aさんの公務災害請求に対し、基金は2017年1月に公務外と認定。審査請求は2018年7月に、再審査請求は2019年9月に棄却された。しかも公務外決定の理由が、①潜伏期間が14年と非常に短い、②濃度の濃い状態で石綿を大量に吸ったとは考えにくい、③実習先の建物の吹付石綿除去工事(2007~08年)の際の石綿濃度測定は管理濃度の基準値を下回っている、といずれも的外れな理由である。これらは労災認定基準には無い、独自の基準であり、『石綿による疾病の公務災害の認定については、労災認定基準に準じて判断する』とした基金の内部通知に反している。
AさんのケースもSさんのケースも基金本部が関わって公務外決定している。いずれも基金の地方支部の単独の問題ではなく、基金本部全体の問題である。実際、教員のアスベスト被害は多数発生している(『石綿健康被害救済制度における平成18~30年度被認定者に関するばく露状況調査報告書』の職業分類「教員」は200人超)が、公務災害として認定されたのは数件に留まり、ほぼ全てが闇に葬られている。
この問題は基金本部の石綿被害に対する誤った認識が根っこにあるので、Aさんの裁判を通じて正していきたい。ご支援よろしくお願いします。