大工の石綿肺がん不支給取り消し訴訟 不可解な棄却判決 控訴審へ
長年の大工仕事により石綿ばく露し、肺がんでお亡くなりになったMさんの労災不支給決定の取消訴訟について、横浜地方裁判所は23年7月19日に「棄却」の判決を言い渡した。結審が同年1月25日で、もともとは同年5月24日に判決言い渡しの予定だったが、その前日5月23日に突然、裁判所から「判決言い渡し延期」の連絡が入り、その後の「棄却」判決なのである。
「判決文」も前半部分と後半部分を合本したことを示す「割り印」が押されており、これは結論部分が書いてある後半部分が差し替えられた事を意味している。この様に不可解な「判決」でありそれ自体おかしいが、判決内容も問題があり、遺族原告、代理人の飯田学史弁護士、裁判を支援してきた神奈川建設ユニオン、神奈川労災職業病センター、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会「神奈川支部」と関係者全員の総意で、控訴審で争う事となった。【鈴木江郎】
争点は「胸膜プラーク所見」の有無
本件については、Mさんが30数年に及ぶ大工作業で石綿ばく露したことは争いのない事実であるが、一方で医学的所見のうち、石綿肺所見はあるものの第1型以上かどうかは判断が割れ、石綿小体または石綿繊維の計測はしておらず、広範囲の胸膜プラーク所見があるとは言えないので、よって争点は「胸膜プラーク所見」の有無に絞られた。
原告側は、労災請求時に斉藤竜太医師(十条通り医院)、審査請求時に故海老原勇医師(しばぞの診療所)、裁判提訴後に春田明郎医師(横須賀中央診療所)、久永直見医師(労働衛生コンサルタント)、水嶋潔医師(みずしま内科クリニック)、藤井正實医師(芝診療所)というアスベスト関連疾患患者を長年にわたり診てきた経験と実績豊富な日本を代表する医師の方々の意見書を提出。
一方の被告国は、野田和正医師(神奈川県予防医学協会)と酒井文和医師(埼玉医科大学国際医療センター)の意見書を提出。「胸膜プラーク」ではなく「肋間動静脈」や「肋下筋」や「炎症性変化」や「体液貯留」や「間質性肺炎の所見が軽減」等々と裁判の進行に応じて意見が転々とするも、とにかく「胸膜プラークではない」という事だけは一貫して主張してきた。
双方の医師の証人尋問
そこで「胸膜プラーク」の有無の審理のため、原告側から藤井正實医師、被告国から酒井文和医師の証人尋問が行われた。被告証人の酒井医師は尋問で「胸膜プラーク様の陰影」は「胸膜プラークではない何か」であると述べ、飯田弁護士の反対尋問により、「胸膜プラーク様の陰影がある事は認めるが、胸膜プラークであると確実に判断できるものではない」、「胸膜プラーク様の陰影は1ヶ所だけであり、1ヵ所だけの胸膜プラークは大変稀であるから胸膜プラークであるとは診断できない」と述べるも、少なくとも1ヵ所は胸膜プラーク様の陰影がある事は認めるという意見を引き出した。
そもそも本件は石綿肺がんの労災認定基準のうち「胸膜プラーク所見+石綿ばく露作業10年以上」を適用し労災認定を求めているが、原処分を行った相模原労働基準監督署や国は「広範囲の胸膜プラーク所見+石綿ばく露歴1年以上」を適用する際に必要とされる「胸膜プラークと判断できる明らかな陰影」に拘泥し続けてきた。労災認定基準では、石綿ばく露作業10年以上あれば「明らかな陰影」までは要求されず、「胸膜プラーク」があれば良く、その個数なども問題にされないはずである。
ぜひ傍聴ご支援を!
しかし、横浜地裁は国や酒井医師の「1ヶ所だけでは胸膜プラークとは認められない」という主張に引きずられ、棄却判決となった。これには遺族原告、飯田弁護士、裁判支援関係者全員が納得がいかず、総意で控訴する運びとなり、迎えた控訴審1回目で裁判官から「本件は裁判所としても関心あり審議続行」という趣旨の発言があった。控訴審1回目で「結審」となる場合も多い中、何とか土俵際で踏ん張った形となった。
この裁判は石綿肺がんの胸膜プラークの有無を争う裁判であり、本件だけの問題にとどまらない、建設労働者の石綿肺がんを労災として認めさせるという建設労働者全体のアスベスト被害補償のすそ野を押し広げる裁判である。是非ともご注目頂き、第2回控訴審の3月14日㈭11時~東京高裁717号法廷へ傍聴参加をお願いします。