労災職業病講座:精神障害の労災補償について

労災職業病講座:精神障害の労災補償について
講師/内田正子さん(東京労働安全衛生センター)

 みなさん、こんにちは。東京労働安全衛生センターの内田と申します。私たちは、神奈川労災職業病センターとは姉妹兄弟のような関係で、日々、働くもののいのちと健康を守る取り組みを一緒に続けています。今日は、医療現場でみなさんが患者さんと向き合うとき、労災あるいは働く方たちのストレスについて思いを巡らすときにお役に立てていただければと話をさせて頂きます。よろしくお願いします。

精神障害の労災認定基準の制定まで

 私が東京安全センターの仕事についた1997年当時として覚えているエピソードで一つご紹介します。女性の方だったと記憶していますが、自律神経失調症になってしまい仕事を休まないといけない。仕事のストレスだと思うが、労災申請できますか?労災認定されますか?という相談の電話が入りました。 1997年時点では、精神疾患でいう「うつ病」はもちろん「自律神経失調症」という診断名で労災認定するための認定基準というのはまだ形も整っていませんでした。もちろん、労災申請にトライすることはできるが、残念ながら認定に持ち込むことは極めて難しいと答えざるを得ないのが当時の実情でした。でもこうした自律神経の不定愁訴的な症状を訴え、疲れ果てて、悩んでいる方は、このころから確実にいらっしゃいました。いわゆる「過労死」という言葉が世界的に知られるようになり、日本の過重労働の異常さが国際的に話題になる時代でした。

 1999年、日本で年間の自殺者数が3万を超えたというニュースが報じられました。過重労働による過労死やうつ状態等の精神疾患が生じて自殺に追い込まれるという方々が増え、働く人の労働実態について大きくクローズアップされるなか「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」という精神障害と労災についての文書が厚生労働省から初めて出されました。職場における労働者のストレスの状況と労災認定の判断について、整備することが急務となっていました。

 その後、2001年、脳・心臓疾患による認定基準が改定されました。特徴として、時間外労働を中心にした過重労働に着目した認定基準です。2004年には「心の健康問題により休業した労働者の復職支援の手引き」も作られます。

 これらの一連の流れは過労自殺、自殺防止を念頭にして労働者の働き方も含めた過労自殺、うつ病の対策として進められたものといえるでしょう。2006年には自殺対策基本法、2007年には総合対策大綱が策定されました。

働く人のメンタル状況と精神障害の請求件数

 働く人のメンタル状況ですが、どんなふうに労働者が感じているのかを示す調査があります。厚生労働省が毎年行っている「労働安全衛生調査」の実態調査です。直近、平成28年の労働者調査をご紹介します。

 自分の仕事や職業生活に関して強い不安、悩み、ストレスを感じる労働者は28年調査で59・5%です。主なストレスとしては複数回答ですが、仕事の質・量53・8%、そして仕事の失敗、責任の発生など38・5%、続けて対人関係(パワハラ、セクハラも含む)が30・5%と出ています。複数回答であり、仕事の量や質、あるいは対人関係、それぞれが絡み合っています。

 このように半分以上の方々が仕事により何らかのストレスを感じている状況の中で、過重労働や心理的ストレスによる労災申請および労災補償の件数について厚生労働省が公表しているので見てみます。「平成28年度の過労死等の労災補償状況」ですが、脳・心臓疾患については、請求件数は825件で支給決定件数が260件となっています。件数が多い業種として、運輸・郵便、特に道路輸送運送業の請求が145件、旅客運送業43件。続いてサービス業あるいは建設業などで、全体としては男性労働者が中心に請求をしているということが特徴的です。

 次に精神障害の請求件数ですが、脳心に比べ、数字的に倍近くの請求件数1586件、支給件数498件です。件数が多い業種として、医療・福祉、社会福祉、介護などで、圧倒的に女性労働者の請求が多いことがわかります。続いて道路貨物業、建設業、情報サービス業などと続きます。

 メンタル疾患のご相談のなかで「私のケースでは労災認定される確率はどれくらいでしょうか?」という質問をよく受けます。メンタル疾患の労災認定はそう簡単ではないと世間的にも知られていて、自分のケースではどうかという不安から相談に来る方が沢山います。統計などでの請求件数と支給決定件数(労災認定)からみると、大雑把にいえば3分の1という確率ですが、実際は、一つひとつのケースの職場の条件、構造、起こった出来事を、丁寧に聴きながら検討していかなければならず、確率で答えることは困難です。

 資料(過労死等の労災補償状況)の、請求ならびに支給にかかわる出来事の中でどういう出来事によるストレスが病気の原因になったかについて見ていきます。一番多いのは「上司とのトラブルがあった」という請求が265件で、このうち支給されたのが24件です。続いて「仕事内容・仕事量の大きな変化を所持させる出来事があった」請求158件、「ひどいいじめ、嫌がらせ、または暴行を受けた」請求173件、「特別な出来事」請求71件、「重度の病気やケガ」「悲惨な事故・災害の体験・目撃」「80時間以上の時間外労働」「2週間以上にわたる連続勤務」「セクシャルハラスメント」という出来事の件数順です。

「復職の手引き」と精神疾患の労災認定基準の一部改訂

 精神疾患の労災認定基準のパンフレットにみる「職場における心理的負荷評価表」では、心理的ストレスとなるとされる出来事がいろいろな項目で挙げられています。労災申請者は、自分の身に起こった出来事に当てはまりそうな項目を選び、さらに具体的な説明をしていく作業を行っていくことになります。しかし認定基準の読み方、運用のしかたも含めて大変わかりづらいため、請求する人たちの苦労は耐えません。

 寄せられる実際の相談では、具合が悪くて休業せざるを得ない、すでに退職がちらついているといった非常に追い込まれた状況で、労災申請をすべきか否か、どう労災申請すればいいのか、戸惑う方が多くいます。

 また、休職して時間をかけて体力や気力を戻しても、ずいぶんと時間をあけてしまった後の復職はとても難しい。現場の受け入れ、本人の気持ちと体調の波、その辺りのリズムを調整しながらの円滑な復職というのがなかなかうまくいかない。そういうなかで、あせって復職して再発してしまうケースもあります。厚生労働省の「復職の手引き」もこうした困難な現実があるから作成されたものですが、実際に「復職の手引き」通りにやろうとしても、現実はそううまく進まない。労災申請、復職は、本人はもちろん、職場、医療従事者などの治療の立場の人々の連携と試行錯誤のなかで、解決を探しながら進みます。

 前述した通り、2011年、精神障害の労災認定基準が一部改訂されました。それまで精神障害の労災認定の調査には大変時間がかかりましたが、私的要因の調査を簡略化することや、監督署判断で主治医の意見で十分であれば、精神科医による専門部会の協議にかけずに進めてよいということになりました。

 また、当初、極めて厳しかった人間関係、ハラスメントへの評価の認定基準の改定が行なわれました。対人関係、人間関係で悩んでしまい辛い思いをしている。それが酷いいじめ、嫌がらせと評価できるか、それとも上司や同僚とのトラブルとして評価されるのか。認定基準上、どの出来事の区分になるのかは、とても重要なので私たちもよく聴き取りをしなければなりません。人間関係、ハラスメントは、いまやどこの労働相談、労災相談の中でもトップですのでこれについて現状に見合った評価をするために2011年に認定基準が改定されました。しかし、この改訂が十分かどうかは、まだまだ意見があるところと思います。ちなみに現在でも調査から認定までには6ヶ月ほどはかかるというのが実情です。

自殺の取扱いと労災認定の対象になる精神障害

 新基準では、自殺の取扱いについても「故意の欠如の推定」ということが加わりました。また、申請以前の業務以外の心理的負荷により治療をしていた人が職場の新しい出来事のために既往が増悪した場合の判断、治癒(症状固定)に関する精神障害の場合の判断、「寛解」についての解説などが加わりました。

 労災認定の対象になる精神障害は、『国際疾病分類第10回修正版(ICD-10)第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害で、認知症や頭部外傷などによる障害(F0)およびアルコールや薬物による障害(F1)は除きます』とされています。労災認定の対象となる精神障害の代表的なものとして分類F3のうつ病(気分障害、感情障害)、分類F4の神経症性障害、ストレス関連障害、身体表現性障害が挙げられていますが、その他の疾病も、例えば、分類F2の統合失調症は除外されていません。神奈川労災職業病センターで統合失調症の方で労災認定を受けたケースがあります。分類F3、F4に入っていないからダメだとあきらめず、経緯や症状経過、診断などをつき合わせてしっかり検討することが大切だと思います。

 精神障害の請求では、発症時をどこにするというのが大きな問題となります。発症年月日を起点として労災認定の調査対象の期間が決められていくからです。通常は、医療的な治療が必要な状態と確認されたという意味で、精神科や心療内科に一番最初にかかった日にち(初診日)が発症日とみなされ、これを起点に以前6ヶ月が調査されます。しかし現実には、初診日の前から、おかしいな、ちょっと調子が崩れているな、気分が落ちているな、でももう少し経ったら治るかなと思い、ずるずると受診が遅れる方も多いです。従って最終的には労災の調査の過程で、ご本人の自覚症状が初診日の2ヶ月前からあったと確認され、発症年月日を初診日の2ヶ月前とする場合もあります。発症年月日が2ヶ月繰り下がると、おのずと調査期間も2ヶ月繰り下がります。このように、まずは初診日が第一のポイントですが、その上で、私たちの聴き取りでは、ご本人がいつ頃から、どういう症状を覚えるようになったのかの確認が非常に重要となります。

労災認定基準でいう「特別な出来事」

 続いて、認定基準でいう「特別な出来事」について説明します。「特別な出来事」が認められれば最終的な評価がストレス強度「強」と認定され、業務上と決定されます。いわゆる心理的負荷が極度な出来事です。具体的には「生死に関わる極度の苦痛を伴う、又は永久労働不能となるような後遺症を残す業務上の病気やけがをした」。それから「業務に関連し、他人を死亡させ、又は生死に関わる重大なけがを負わせた」「強姦や本人の意思を抑圧して行われたわいせつ行為などのセクシャルハラスメントを受けた」「その他、上記に準ずる程度の心理的負荷が極度と認められるもの」が心理的な負荷が極度である例示です。

 もうひとつ「特別な出来事」として、長時間労働に関わる例が示されています。発症直前の1ヶ月におおむね160時間を超えるような、またはこれに満たない期間にこれと同程度の、例えば3週間におおむね120時間以上の時間外労働を行った、ただし休憩時間は少ないが手待ち時間が多い場合等、労働密度が特に低い場合を除く、となっています。1ヶ月160時間という極めて長い時間外労働でないと「特別な出来事」とはみなされません。

 長時間労働がある場合の評価方法は、他にも2つ挙げられています。まず「特別な出来事」とはみなされないが、認定基準には通常の長時間労働の評価項目です。この評価項目では、発症直前に2ヶ月連続でおおむね120時間以上の時間外労働、あるいは発症直前に3ヶ月連続でおおむね100時間以上の時間外労働があれば心理的負荷が「強」で労災認定されます。

 更に、他の出来事と関連した長時間労働の評価基準があります。これは他の出来事が発生した前後に恒常的な長時間労働(月100時間程度)があった場合、心理的負荷の強度を修正するという基準です。例えば、他の出来事の評価が「中」でも、その出来事の後に恒常的な長時間労働(月100時間程度)があれば、総合評価を「強」として労災認定するという考え方です。

 時間外労働の評価基準は非常にややこしいのですが、長時間労働について「強」となる時間外労働時間のハードルが高いということをご理解いただければと思います。

いじめ・セクシャルハラスメントの評価期間の特例

 もうひとつ、相談の中で一番多い、いじめやセクシャルハラスメントについては、次の評価期間の特例が記載されています。『認定基準では、発症前おおむね6ヶ月の間に起こった出来事について評価します。ただし、いじめやセクシュアルハラスメントのように、出来事が繰り返されるものについては、発病の6ヶ月よりも前にそれが始まり、発病まで継続していたときは、それが始まった時点からの心理的負荷を評価します』。

 いじめやセクシュアルハラスメントは、強弱ありながら長い期間続くことがあります。年単位の経過の中で耐え続け、弱ってしまった末に診察を受けてお休みをするというパターンも少なくありません。こうしたケースでは、本人からすれば、起点と思う出来事がすでに発病(初診日)前6ヶ月に入らない場合も結構あります。しかし6ヶ月以前の出来事でも継続性、関連性が認められた場合、例えば1年前から続いていたものは1年前の出来事も含めて評価されるということになります。

出来事の心理的負荷の「弱」「中」「強」評価

 「特別な出来事」に該当する場合があれば、最終的評価は「強」になり労災認定されるとお話しましたが、一方で「特別な出来事」に該当する出来事が無い場合、いわゆる「具体的出来事」一覧の発病の原因と考えられる出来事について、心理的負荷の強度を「強」「中」「弱」と3段階で評価していきます。先にも触れた「職場における心理的負荷評価表」にその具体的な出来事が36項目にわたり挙げられています。請求者は自分が経験した出来事がこの36項目の具体的出来事に当てはまるのかを検討していくことになります。

 相談を受けるときは「発症日(初診日)はいつですか」を確認した上で、発症原因になったとご本人が考えている出来事と自覚症状を聴き取る中で、実際の発症時期と調査対象期間を探り、具体的出来事の検討をします。

 36項目の中身は大きく次の6つに分類されます。①事故や災害の体験、②仕事の失敗、過重な責任の発生等、③仕事の質・量の変化、④役割、地位の変化等、⑤対人関係、⑥セクシャルハラスメント。それがさらに細かく分かれていて、例えば対人関係であれば、ひどいいじめ嫌がらせがあった又は暴行を受けた、上司とのトラブルがあった、同僚とのトラブルがあった、理解してくれた人の異動があった等あります。

 まず、36項目の個々の出来事ごとに平均的(同種の労働者の一般的な受け止め)心理的負荷の強度が書かれています。「ひどいいじめ嫌がらせがあった又は暴行を受けた」は、心理的負荷の強度としては平均的に「強」ですよ、一方で「上司とのトラブルがあった」は平均的に「中」ですよと評価されています。

 次に、個別ケースの具体的経過を検討しながら、本当に「強」あるいは「中」なのかどうかを判断していきます。例えば、「ひどいいじめ嫌がらせがあった又は暴行を受けた」が「強」とされるのは「部下に対する上司の言動が業務指導の範囲を逸脱していて、その中に人格や人間性を否定するような言動が含まれて、かつ、これが執拗に行われた」という場合です。個別具体的な経過などからそこまでの評価に至らない場合、労基署の調査結果は「中」や「弱」となり労災認定されない場合もあります。

 同様に「上司とのトラブルがあった」は平均的には「中(業務の指導範囲内である強い指導・叱責を受けた)」ですが、「強」になる場合として「業務を巡る方針において、周囲にも客観的に認識されるような大きな対立が生じ、その後の業務に大きな支障を来した」場合などとされています。相談者に起きた具体的な状況をよくよく聴き取り、裏付けていく必要があります。

 また、複数の出来事が生じた場合、出来事が関連していれば全体を一つの出来事として評価します。関連していなければ、それぞれの出来事ごとに心理的負荷の強度を評価します。出来事が複数あり関連しておらず、例えば「中」の出来事が複数あった場合など、総合的な評価で「強」となり、労災認定される場合があります。

「精神障害の業務起因性判断のための調査復命書」

 資料として「精神障害の業務起因性判断のための調査復命書」をお持ちしました。これは2013年に厚生労働省による労働基準監督署の実務者のために編纂した「精神障害の労災認定の実務要領」のなかの一つの資料です。調査復命書とは、労災決定するとき、どのような調査を行い、どのような理由で決定したかを労基署の調査官がまとめて報告する内部的書面です。

 今回用意した調査復命書はあくまで想定モデルの資料で、被災者である安衛一男さんの事例が紹介されています。安衛一男さんは会計事務所にお勤めでしたが45歳で亡くなりました。投身自殺したケースで生前の受診歴はありません。従って、労災請求する段階での精神障害の発症は不明でした。このケースは遺族補償請求ですので、安衛一男さんの配偶者・安衛花子さんが請求人です。花子さんが「8月15日の自殺当日まで仕事が忙しく、帰宅時間が深夜12時を過ぎることもあった。会社事務所での自殺であり、所長が帰宅した直後の出来事なので、何かあったのではと疑っている。前日は休日だったが疲れたようで家でぼーっとしていた。8月下旬に家族旅行の計画があり楽しみにしていた。プライベートに投身の理由が思い当たらない」と労基署に申し立て、遺族補償の請求をしたというストーリーで始まっています。

 まず、精神疾患の発病の有無と発症年月日についてです。このケースでは精神科等の受診歴はありませんでしたが、専門部会は以下の通り意見しています。『妻や事務所の所長や同僚の申述等をICD-10の診断ガイドラインに照らし分類すれば、周りの者は7月中旬以降8月15日までの間、徐々に安衛の情動的な反応性を欠いた様子に気付き始めており、どの段階で診断基準を満たしたのかの特定は困難であるが、安衛は遅くとも8月15日にはF32のうつ病エピソードを発病していたものと推察される。そして8月15日の自殺は当該精神障害によって正常な認識、行為選択能力が著しく阻害された希死念慮等の病的心理のもとでなされた自殺であった可能性が高いと判断する』。

複数の出来事の全体評価としては「強」と判断

 続いて発症年月日とみなされた8月15日から遡っておおむね6ヶ月以内に安衛さんにどんな出来事が起きたのかについて、労基署は、事務所の所長と同僚の聴取結果から、次のとおりの事実認定とその評価を行いました。

 ①会社経営に影響するなど重大な仕事上のミスをした/8月に入ってすぐ、相続税の申告を担当した顧客に対して税務署より調査予告があり、内容を再チェックしたところ、8月6日に計算ミスによる270万円分の申告漏れが発覚した。8月13日付で自主的に修正申告し、顧客が100万円余の追加納付を行うとともに2万円の延滞税が課税されることになった。2万円の延滞税は事務所が負担することになったが、相続額3億円のうちの270万円の申告漏れであることから、重大なミスとまではいえないものであった。心理的負荷は「中」と評価する。

 ②仕事内容・仕事量の大きな変化を生じさせる出来事があった/7月頃から、それまでの仕事の積み残しに加え、新たな仕事により安衛の業務量は5割程度増大していた。ただし、時間外労働時間数は大幅に増加したとまではいえない。その他に、安衛は自殺直前の時点において、翌日までが締め切りの仕事を2事業所分担当しており、それらについて完成のメドが立たない状況にあったが、安衛の担当業務自体は特に困難なものとまではいえない。心理的負荷は「中」とする。

 そして発病前6ヶ月間の時間外労働時間は、タイムカードにより、発病前1ヶ月88時間、同2ヶ月72時間、同3ヶ月66時間、同4ヶ月68時間、同5ヶ月63時間、同6ヶ月65時間と計算していますが、この時間外が労働時間数では労災認定基準の「強」とまではみなされません。

 ここまで出来事の評価は「会社の経営に影響するなどの重大な仕事上のミスをした」が「中」、「仕事内容・仕事量の大きな変化を生じさせる出来事があった」が「中」、時間外労働は最大で88時間であり、100時間を超えません。しかしながら労基署は、出来事が複数ある場合として、次の通り「強」と全体評価し、労災認定します。『それぞれの心理的負荷は「中」ではあるが比較的大きく、当該精神障害発病直前に極めて近接して心理的負荷が「中」の出来事が2つ発生したことを考慮して、複数の出来事の全体評価としては「強」と判断する』。

 安衛一男さんのケースは、労基署が精神障害の労災申請に対しどのような調査・認定の経過をたどるのかの基本的流れ、自殺にかかわる故意の欠如の推定などを理解する上で参考となる例示と思います。

「業務以外の心理的負荷」と「個体側要因」

 労基署の調査では、被災者の「業務以外の心理的負荷」と「個体側要因」というものも調査します。「業務以外の心理的負荷」が「強」とされる出来事として、例えば自分や家族の出来事として「離婚または別居した」「家族が死亡した」、金銭関係として「多額の財産を損失した又は突然大きな支出があった」、事件・事故・災害の体験として「天災や火災などにあった又は犯罪に巻き込まれた」などが例示されています。心理的負荷が「強」とされる「業務以外の出来事」が複数ある場合などは、「業務以外の出来事」が発症原因であると言えるか慎重に判断するとなっています。

 また、「個体側の要因」としては例えば「既往歴」や「アルコール等依存状況」などを調査します。「個体側の要因」がある場合には、それが発病の原因であると言えるか、慎重に判断するとなっています。

相談対応のポイント

 労災を請求したいという相談者には、初診日や治療経過などを聞くとともに「主治医の先生に労災請求について相談しましたか?」とお聞きしています。労災請求することが治療の妨げになるなどの理由から請求に抵抗を示す主治医も少なからずいらっしゃいます。ご本人の体調を優先にしつつ、どんなサポートとどんなペースが良いのかいろいろ考えます。

 労災請求すれば、請求者は、自分の身に起きた出来事を客観的に証明することが求められます。事業所が協力してくれて「その(本人の主張)通り」と言ってくれれば良いのですが、いじめやハラスメントあるいは職務評価など、本人と会社の事実認識・言い分が全く違う場合もあります。ハラスメント行為としての暴言などは往々にして「言った、言わない」になりがちです。最近は自己防衛で録音を取る方も増えています。ハラスメントは密室や第三者がいない所で行われることも多く、身を守るために録音せざるを得ない状況があります。また、メールでのやり取りの記録などで具体的な立証をすることもあります。特に「いじめ嫌がらせ」で「強」の評価を得るハードルは高いため、本人が「いじめ嫌がらせ」で労災請求しても、労基署の会社への調査の結果、程度問題として「上司とのトラブル」などに変更されてしまう事もよくあります。

 労災申請の際、思い出したくない、口にしたくもない辛い出来事を労基署にちゃんと伝えられるか不安を覚える人は大変多いです。相談の中では、出来事とそれに伴う症状の出現、実際に治療を始めた経過など、少なくとも6ヶ月前、場合によっては1年あるいは3年以上前など、発症に関係があろうと思われる事を時系列で聴き取りますが、その際、職場の人数配置、業務内容、その特殊性などから出来事の背景、人間関係、構造なども含めて把握に努めます。そして相談者本人の実感にできるだけ近づくよう自分なりに咀嚼を進めます。労基署が出来事の負荷を切り縮めることを許さず、本人を支えていく上で大切な過程だと考えます。以上、ご清聴ありがとうございました。

*本記録は、2017年9月16日に行われた労災職業病講座の講演録です。