センターを支える人々:小菅 千恵子さん(中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会 会長)
「アスベスト」って何?「中皮腫」って何? から始まった
「中皮腫アスベスト疾患患者と家族の会」の小菅千恵子と申します。私の夫は28年前、42才の若さで悪性胸膜中皮腫にて亡くなりました。夫の父親が日本エタニットパイプの原料職場で勤務しており、父親が持ち帰った防塵マスクを幼少の頃掛けて遊んだ事での家庭内曝露でした。28年も前は、アスベストって何? そして中皮腫って何? と疑問だらけでした。2005年のクボタショック以前のことですし、アスベストを吸った人がなる病気とも判らず、治療法は何もなく、心臓に溜まった水を抜くだけの処置だけでした。発症前元気な頃は183㎝96㎏もあった体重は2~3年でみるみるうちに骨と皮だけの56㎏まで減少していきました。亡くなる当日、私には遺言めいた言葉もなく、受験を控えていた長女に頑張れと励ましたそうです。当時は中3の長女、中1の次女、小3の長男、小1の次男の4人の子供達が残され、悲しむ時間も無く育児に必死でした。
2000年末にエタニット社を相手に損害賠償の裁判を東京地裁に提訴しました。2005年クボタショックが勃発した頃は、最高裁に上告中でした。グットタイミングと思いきや8月には棄却の通知がきて、20年以上前の裁判闘争はやはり厳しいものでした。この裁判期間中には、アスベストセンターの方々、そして古谷さん達に傍聴に来て頂きました。お世話になったご恩返しの思いで、2004年の会の発足当初からの会員です。
2006年に石綿健康被害救済法が制定されました。早速申請し、認定されました。とはいえ、同じアスベスト被災者でありながらも一時金だけの粗末な給付金だったと今では思っています。夫が中皮腫に罹患していなければまだ生存していると思いますし、この会の方々とも関わることのない人生だったと出会いを不思議に思います。今では全国の支部の集いに参加し、患者さんやご遺族の方々とお会いし、交流させて頂き、仲間が沢山でき、嬉しく思っております。
会は、毎年6月頃に省庁交渉を開催しています。中皮腫を治せる病気にする為に、会長として、厚労省には治療研究の予算を付けて頂くこと、環境省へは750憶円の積立金を研究費そして遺族年金の創設を労災並みにと要望して訴えています。
また、会員さんの裁判の傍聴にも参加してきました。山梨支部のご遺族の公務災害の裁判では、東京地裁は敗訴、東京高裁では1回目に結審の日程も告げられずいきなりの判決日を迎え、憤りの控訴審になりました。それが逆転勝訴で喜ばしい結果には驚きでした。私の裁判では敗訴の苦い経験から、私の夫より前に亡くなったご主人様の無念を晴らす為諦めない強い思いで勝ち取った判決には、私の悔しい思いも重なり、支援者全員で喜び合いました。
これからも労災と救済法の格差、また、労災の中でも格差が生じていますし、全てのアスベスト被災者の皆様がすき間のない補償を得られますよう国会議員にも面談していきます。
神奈川センターの鈴木さんには神奈川支部そして山梨支部の事務局を担って頂き、また川本さんにもお世話になっております。感謝申し上げます。微力な私をこれからもお支え頂きますようご助言頂きますように宜しくお願い申し上げます。
