アスベスト肺がん日本初船員の労災認定!

 Hさんは一九六二年から一九九三年まで約三十年間機関士として勤務していた。主に電気エンジニアとして、船に乗り込み、機関部の中の修理に携わった。エンジンからの排気管、ボイラー、高熱部分などには全てアスベストが巻いてあり、電気関係においては(船に一人か二人乗船する)船上でのちょっとしたエンジン等のトラブルの修理は、機関士が行っていた。またドックに戻ってきて修理をする際は、交替で監督したり、また小型の船の場合はドックの労働者と一緒に修理作業を行ったことから、アスベスト粉じんに曝露した。

 下船後、アルバイトなどをしていたが、四年前のミニ人間ドックで異常を指摘され、検査の後、肺ガンと診断された。翌年手術右肺の三分の二を切除。その後は検査をしながらの通院をしていた。しかし二年前には脳に転移していることがわかり、コバルト照射するために遠方の病院へ通院していた。症状が落ち着いた昨年七月、新聞広告で「じん肺ホットライン」があることを知った。親・兄弟にガンの者はいないし、アスベストについて今まで話は聞いたことがあるが、まさか自分にふりかかるとは思ってもみなかったが、早速相談をした。

 相談に応じた『じん肺アスベスト被災者救済基金』では、船員で初めてのケースだということで、早速社会保険事務所の船員保険課に連絡。調べてもらったところ、労災保険の認定基準に準じて認定するとの確認をうけたため、早速申請の準備をし、申請をした。申請してまもなく、Hさんは体調を崩し、再入院となったが、病院において船員保健課担当による長時間の聞き取りなどを経て、今年一月一〇日付船員保険に基づく労災と認定された。船員保険課に問い合わせると、Hさんの場合、下船後に民間職場で働いたことがほとんどないことが早期認定につながったようである。残念ながら、Hさんはそれからまもなくの同月二一日にお亡くなりになった。

 船員のアスベスト疾患による認定は、神奈川はもちろんのこと、全国でも初めてのこと。今後、休業補償にあたる船員保険傷病手当金の未支給分と、遺族補償にあたるものについて申請する。遺族補償が認定された時に、また報告したい。