センターを支える人々:風呂橋修(全造船関東地協労働組合いすゞ自動車分会)

時代を引き戻すもの
風呂橋 修さん(全造船関東地協労働組合いすゞ自動車分会)

 1967年から川崎で働いて50年が過ぎる。70年代は、川崎の大気汚染による公害病、チッソが垂れ流す有機水銀による水俣病問題、ベトナム戦争と反戦闘争など、資本主義経済の下、高度経済成長がもたらす「金儲け競争」により、必然的に負の遺産が積み重なっていった。そうした中、労働災害に遭ってもきちんとした法的救済がなされない問題を許さず、労災職業病センターが設立され、「労働者の駆け込み寺」として現在も大いに活躍している。

 日本がアジアに侵略し朝鮮半島を支配下に置き、殺りくと混乱と貧困の中でも必死に生き抜き、強制連行も含めて日本に住んで生きてきた方も多くいる。私は、働きながら学ぶ夜間高校に通った中で在日コリアンの人とも学んだ。先輩から「差別することは良くない」と学ばされた。「見て見ぬふりも差別を助長する」。就職差別問題もあり、企業と行政に改善を求める取り組みもあった。こうした問題を共に考え行動もしてきた。差別ではなく共生していく社会を求め市民と行政の取り組みも着実に積み重ねられてきた川崎。

 ところが数年前から極右政党を名乗る団体によるコリアタウンと言われるところへの襲撃がなされてきた。奈良や大阪や東京へと「ヘイトスピーチ」を繰り返し、朝鮮学校や教師やコリアタウンを狙い撃ちし「差別」「人権侵害」「排外主義」を叫びながら襲い掛かるというデモが川崎にも来た。そして桜本を襲うという事態となった。

 なんだこれは、長い年月をかけ市民と行政が積み上げてきた共生の町川崎を、根こそぎ壊そうとする許しがたい事だ。時代を引き戻すものだ。デモは多くの人で取りやめとして来た。国は「ヘイトスピーチを許さない」として解消法を作り、同時に川崎市は「ヘイトスピーチは許さない」その為の「ガイドライン」を作成した。更に「差別根絶のため」の「条例」化に向け協議を進めて来ていた。ところが「ヘイト集団」は、条例化がされると自らの行動が出来なくなる事を憂慮し、「ヘイトスピーチを考える」と称して「ヘイト集会」を行うとした。もともと条例化の制定阻止を公言しており、口実として「言論の自由」を訴えつつ「ヘイトスピーチ」の制約をなくす狙いである。川崎ですべての民族が共に生き生活していく社会創りを誰が嫌というだろうか。これを壊す準備などさせない。社会の矛盾に苦しむものが弱者への攻撃に走ると言われるが、よく考え共に生きていく事のすばらしさに向かっていきたいものである。