横浜港のトラック運転手のYさん「胸膜中皮腫」で労災認定

横浜港のトラック運転手のYさん、「胸膜中皮腫」で労災認定!
55年前のアスベストばく露作業が原因

横浜港で貨物取扱事業のトラック運転手として働いていたYさんに発症した胸膜中皮腫は業務上によるものとして労災認定された(横浜南労働基準監督署)。Yさんは、今から約55年前の3年9ヶ月間、トラック運転手および運転助手(上乗り)として石綿等を運搬し、荷台での荷積み・荷下ろしの作業に従事し、アスベストにばく露した。また、労災認定後には、Yさんが勤務していたA社を吸収合併したB社と労災上乗せ補償の交渉を行い、合意に至った。【鈴木江郎】

■病院のMSWからの相談がきっかけ

当センターに最初に連絡があったのは、Yさんが胸膜中皮腫で療養している病院のメディカル・ソーシャル・ワーカー(MSW)からであった。この医療機関では近年、中皮腫や肺がんなどアスベスト関連疾患の患者が増えており、たびたび労災相談の連絡が入る。そこで早速、病院に出向き、Yさんご夫妻からお仕事の話を伺った。
Yさんは相談時76歳であったが、さかのぼること55年前の20歳から23歳までA社にトラック運転手として働いていた。当初は運転助手(上乗り)として勤務していたが、大型免許取得後に運転手として本採用された。A社を退職後はアスベストとは関連が薄い仕事に従事しており、アスベストばく露はA社での仕事が原因だと思っていると仰っていた。
■トラック1台にアスベスト150袋を積込み

YさんのA社におけるアスベストばく露作業は以下の通り。A社では様々な荷物を取り扱っており、漆、なめかわ、南京豆、レジン、ナフタリンなどが袋詰めされていた。なかでもアスベストは全体の半分位を占め、取扱量が多かった。アスベストは麻袋(長さ1m、幅50㎝、厚さ25㎝位)に入っており、重さ約50㌔。大体7㌧半のトラックで運搬していたので、トラック1台につき100~150袋を積み込んでいた。
まず、人夫が、倉庫から担いできたアスベスト麻袋をトラック荷台の端にドンと置く。ここでアスベスト粉塵が舞い上がる。Yさんはトラック荷台の中におり、麻袋を荷台の中にきちんと整理して積んでいく(=はい付け作業)。この「はい付け作業」をきちんと行わないと、品物が効率的に多く積み込めないし、荷台の重さが左右いずれかに偏って運転時にトラックがバランスを崩し危険なので、必ず行う重要な作業であった。

■荷台も運転席もほこりっぽくチクチクしていた

はい付け作業は、麻袋を手鉤(長柄・ノンコ)でひっかけて積み直すため袋に穴が空き、鉤穴から漏れたアスベストが荷台内に多く飛散していた。作業後はアスベスト粉じんにより頭や眉毛は真っ白、耳や鼻の穴の中にもアスベストが付着し、衣服もアスベストまみれだった。この身体中に付着したアスベスト粉じんを手で何回も払いのけてから運転席に入るようにしていたが、それでもアスベストが残っていて、運転席はいつも埃っぽい状況だった。
その後、アスベスト麻袋を関東地方の様々な石綿製品製造工場までトラックで運搬し、着いた先で荷下ろし作業を行う。工場や倉庫の中まで、アスベスト麻袋を肩に担いで運び込むのだが、粉じん避けとしてシャツを頭に被りながら作業した。会社からマスクなど防護具は支給されず、アスベストの危険性についても聞かされなかった。荷台の中も運転席も常にほこりっぽく、チクチクして嫌だなと感じていたのである。

■労災認定と労災上乗せ補償交渉

以上の通り、A社における業務でのアスベストばく露は明らかであり、A社は既に存在しないので事業主証明を付けずに労災の請求書を監督署に提出した。一方でYさんにはA社退職後も年賀状をやり取りをしていた同僚がいらしたので、その方に事情を説明し、「同僚による石綿ばく露作業職歴証明書」をもらうことが出来た。また、A社の他支店でもアスベスト被害が出ており、既に複数の労災認定事例が出ていたこともあり、労災請求から約4ヶ月で無事に労災業務上決定された。
しかしながらYさんは胸膜中皮腫が再発し、療養開始から1年8ヶ月でお亡くなりになられた。Yさんはとても信義に厚く礼儀を重んじる方で、笑顔が優しく、その温和なお顔は今も忘れられない。私はYさんと接する中でいろいろ教えて頂いたが、お礼をお伝えすることなく逝かれてしまわれたので、この場を借りてお礼をお伝えしたい。ありがとうございました。
労災認定後、当初はYさんが、死去後はご遺族が弁護士を通じて労災上乗せ補償の交渉を行った。交渉相手はA社を吸収合併したB社であり、このたび合意に至り解決した。