石綿救済法改正への3つの緊急要求:小菅千恵子(中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会会長)
私は1997年に当時42歳の夫を「悪性胸膜中皮腫」で亡くしました。夫は発病当時、「俺は親父のマスクを掛けて遊んだ事でこの病気になったみたい。」と告げられました。夫の父親が働いていた石綿工場から持ち帰ってきた作業着やマスクで遊んでいたことが原因でした。当時は、「肺がん」の診断で、労災も適用されず、石綿健康被害救済制度もなく、小学生から中学生の4人の子どもを育てていくのに必死の思いでした。のちに、救済制度での認定を受け、原因会社のエタニットパイプの責任を問う裁判も起こしましたが2005年に最高裁で敗訴しました。
「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」が2004年2月7日に発足し(会長は故・斉藤文利さん)、翌年2005年には兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場の周辺に住んでいたことで中皮腫を発症された土井雅子さん、前田恵子さん、早川義一さんの告発に端を発する「クボタショック」によって、2006年に石綿健康被害救済制度が成立する契機となりました。その後も、各地の関係団体のみなさんの奮闘によって、不十分な部分がありながらも多くの被害者が救われてきました。2017年には世界的なアスベスト企業であるエタニットの世界各地の被害者交流のためにベルギーにも訪問し、現地の工場跡地の見学や会社への抗議行動などに参加し、被害者連帯の活動にも尽力してきました。現在、北海道支部から南九州支部まで、全国23の支部、800名ほどの患者さん、ご家族、ご遺族などの会員さんによって私たちの活動は支えられています。2021年には新たに北関東支部も発足し、私も一員として頑張っています。
患者と家族の会は、石綿健康被害救済法の改正を求めて「3つの緊急要求」をまとめ、国会議員や関係自治体などに対して私たちの要求事項について理解を促進して頂くための活動に邁進しています。アスベスト被害を受けたすべての患者と家族が公正かつ平等に救済・補償され、中皮腫をはじめとするアスベスト関連疾患の治療法が1日も早く確立されるために今後も先頭に立って奮闘していきます。