建設アスベスト訴訟・原告意見陳述

現在、横浜地方裁判所にて進行している東日本建設アスベスト訴訟の原告意見陳述(匿名化しています)。

Aさんの意見陳述書

 私は、肺ガンを発症して2014年3月10日に亡くなった父のの長男です。今日は父が建築工事現場において石綿粉じんに直接間接ばく露し、肺ガンを発症したこと、闘病生活のこと、私がこの裁判に加わろうと思ったことについて私の気持ちを述べます。

父の仕事のこと

 父は1967年9月から2003年3月まで35年6ヶ月、建設工事会社の従業員として、主にタイル工事や上下水道の管工事に従事し、台所や風呂場など水回りの工事なども行っていたと聞いています。私が小学生の夏休みの時には、新築工事現場でバケツでセメント運びの手伝いをした事を覚えています。また家での会話の中で、建築工法が途中から変化しタイル工事の量が減り本来のタイル工事より別の作業が多くなった事や、私が通っていた小学校のタイル工事を行った事なども話していました。勤め始めてから退職するまで、ずっと一貫して現場の仕事をしていました。

 私は1972年生まれで、生まれたとき父はもう建設工事に従事していましたが、その前の会社でも主にタイル貼りの工事をしていたと聞いています。父がずっと従事してきたタイル工事や水道・水回りの仕事で、アスベストにばく露され、肺ガンになるなどとは、父が死亡するまで、思いもよりませんでした。

父の治療のこと

 父は、覚えている限りでは、痔治療での入院のほか救急車で運ばれ脳梗塞の疑いで入院しましたが約1週間程度で問題なく退院し、重い病気での入院などはなく健康でした。ところが2013年12月年末に息苦しさを訴え、年末年始で専門医の診断が受けられず、2014年1月6日、市立病院の診療開始を待って初診、1月16日左胸水貯留で入院となりました。当時私は勤務先の系列会社の応援作業で他県に単身赴任でしたので、父の入院中の事は、母と弟に看病をしてもらっていました。検査中、医師から父がどういう仕事をしていたか聞かれたことがあり、石綿の病気の中皮腫の可能性の話もあってびっくりしましたが、結局、1月中に数種類の検査を終了し、検査結果から肺ガンだと診断され、根治は難しく余命は約1年、化学療法(抗がん剤治療)になるが病気の勢いを抑える、とどめておくのが目的の治療だと説明されました。そして、医師から本人への告知をどうするかを家族間で相談するよう話があり、相談の結果、本人に告知したのですが、父の病状はその後急速に悪化し、入院2ヶ月後の3月10日に息を引き取りました。

 今振り返ると、入院期間が短く、転移箇所の検査段階で亡くなった事から、告知は不要だったのかもしれないと、今も思い出すと正しかったのかどうかわかりません。そして母も、父のあとを追うように、その年の8月に亡くなってしまいました。

裁判を通じて訴えたいこと

 父は死亡時76歳でしたが、父の兄弟は皆長寿で、父だけが早く亡くなってしまったことは残念でなりません。私はこの裁判を通じて幅広い方へ周知することにより、アスベスト被害の早期発見と、アスベストが使われてきた建物の解体作業前の事前検査拡充に繋がってほしいと思っています。また、アスベスト被害者への簡易な調査での早期補償を実現させ、治療法の研究開発が活発になることを望んでいます。

Bさんの意見陳述書

 私は夫を悪性胸膜中皮腫で亡くした妻です。今日は、夫が仕事でアスベストにばく露し、悪性胸膜中皮腫を発症したこと、闘病生活のこと、私がこの裁判に加わろうと思ったことについて、私の気持ちを述べます。

夫の仕事のこと

 夫は中学卒業後、設計事務所に1年間勤務した後に、父が営んでいた工務店に入社し、大工仕事を始めました。工務店では木造建築を取り扱っており、木造住宅の新築工事、改修工事、解体工事を行っていました。夫も工務店に入社してからはこれらの工事作業に従事しました。その後、工務店は有限会社になりましたが、夫はその後も同様の工事作業に従事しました。

 夫は、1975年頃から大和ハウスの下請けで木造戸建て住宅の新築工事、改修工事に従事し、工事現場にて各種の石綿含有建材の加工、切断、貼り付け作業時に石綿に晒されていました。また木造住宅の解体工事にも従事し、石綿含有建材をばらす作業をして石綿にさらされていました。夫はとても真面目な性格で、大工仕事も率先して行い、夜遅くまで仕事をしていました。

 私も最初の頃は夫と一緒に現場に行って、夫の作業の補助をしていました。ボード類を電動丸ノコで切断する際などは、粉じんがひどく舞っていた事を覚えています。夫の作業着は家で私が洗濯していましたが、作業着は毎日ほこりまみれで大変でした。夫が家に帰ると鼻の穴まで真っ黒になるような状態で、断熱材などを仕事で扱った後は、体中がチクチクすると言っていました。

悪性胸膜中皮腫発症のこと

 夫は病気などしたこともない健康な身体でしたが、2014年の健康診断で肺の異常を指摘され、検査をすると肺に水が溜まっており、翌2015年に病理検査をして悪性胸膜中皮腫と診断されました。夫は手術を受けず、2年間にわたり抗がん剤治療を受けていましたが、抗がん剤治療により血管がダメージを受け、点滴のチューブが血管に入りにくくなったので、胸にポートを付けて、胸から抗がん剤を点滴せざるを得なくなりました。

 その後、オプジーボの治療を始めましたが、効果が出なくなったので、再び抗がん剤を行いました。夫は、抗がん剤の副作用もあり、病院食が食べられなくなり、体もやせ細ってしまいました。その後、悪性胸膜中皮腫が脊髄に転移してしまい、放射線治療も行いましたが、下半身が不随となって歩けなくなり、車椅子に頼る生活になりました。背中の痛みもひどくなり、麻薬で痛みを抑えなければならない状態でした。また体にけいれんが起きて、痛みもひどくなったことから、緩和ケアの病院にかかり、訪問診療・訪問看護を受けました。最後は自宅で亡くなりました。

裁判を通じて訴えたいこと

 私はこの裁判を通じて、これからのアスベスト被害者への速やかな救済制度を実現させ、また中皮腫の治療法の研究開発の促進に寄与していきたいと思います。まだまだアスベスト被害者は増え続け、患者やその家族はみんな苦しんでいるからです。どうか公正な判決を宜しくお願い致します。