講演録:新型コロナ感染症の対応 ~保健所で何が起きていたのか?医療従事者と一緒に考える:講師/森田洋郎さん(元横須賀市保健所職員・現社会保険労務士/行政書士)

医療関係者のための労災職業病講座(2023/2/4)

 昨年、約1年前まで保健所に勤務しておりました森田と言います。本日は、「保健所で何が起きていたのか?」ということを中心に話をしようと思います。言いたいことがいっぱいありまして話が長くなりそうですが、時間内に収めるよう頑張りたいと思います。

 まず、自己紹介をさせて頂きます。社会保険労務士と行政書士ということでちょぼちょぼやっていますが、社会保険労務士としては障害年金などを中心に行っており、ソーシャルワーカー方々は病院でそういうご相談もあるかと思うので、私の名前を憶えておいて頂ければ、スライド(省略)にあるQRコードを一度覗いて頂き、ご紹介など頂ければ、寄り添って、そういう事務をしていきたいと思っています。行政書士としても、障害ある方の関係、成年後見などを考えているところでございます。横浜市戸塚区の自宅で開業しており、ホームページもございます。

 横須賀市の保健所には診療放射線技師として入り、昔はレントゲンも撮っておりました。最後のほうは、病院や診療所、薬局の監査の仕事、許可を出して立ち入り調査をして注意してくるという、小うるさい仕事をしておりました。また、市役所の労働組合で長く役員もやっておりまして、その中で先ほど申し上げた、障害者の活動なども取り組んできたところです。こういう資格も持っているということでご紹介をさせて頂きます。

 本日お話する内容は大きくは3つです。保健所とはどんなところでしょうか、いろんな印象があるかと思いますが、そういうお話をさせて頂いて、ちょっと歴史的な話をします。次に今回のコロナ、私は2年ほど、この仕事にお付き合いしたわけですが、保健所には笑っちゃうような話がいっぱいあるのでご紹介したいと思います。最後に、今後に向けた提言。提言というと大げさですが、労災的な、職員のメンタルについても感じることがありましたので、お話をできたらと思っています。

 今回の発表は私が経験したことからの考察ですから、何ら横須賀市とは関係ありませんのでご承知おきください。できるだけ出典なども明確にさせて頂いております。

保健所とはどんなところ

 最初、「保健所とはどんなところ」というお話をさせて頂きます。

 私は市役所に入ったと同時に保健所に配属され、先輩から、保健所の「健」を「犬」と言っている人がいるよと、笑い話ですが、昔の人は狂犬病というイメージが強かった。例えば私が電話して「保健所です」と言うと、「保険ですか? 要りません」という返事もあったこともあります。いろんな捉え方をされていたわけですが、今回のコロナで、保健所というと、コロナの何かをやってくれる所だろうという印象が非常に広まったのではないかと思います。これは戦後の保健所の成り立ちの中で初めてのことだろう、それぐらいの大きな出来事だろうと思っています。

 保健所の歴史の話になりますが、昭和12年に最初の保健所法が制定されました。戦前の話です。「国民の体位の向上を目指す」とか「都会と田舎を通じて」とか「あまねく衛生思想の普及」とか「日常生活において衛生の規範」と書いてある通り、何をやろうとしていたのかというと、完全に欧米人なみに身体を大きくしましょう、戦争に勝ちましょうという富国強兵的な意味あいの法律だと私は伺っております。

 そして終戦を迎え、昭和22年にGHQの政策の中で新しい保健所法ができました。健康相談、保健指導の他に、医事、薬事、食品衛生、医療機関や薬局、飲食店、風呂屋など、こういう仕事を一緒にしましょうということです。その前までは警察署が飲食店の取り締まりや食中毒を出さないようにということをやっていた時代もありました。これが公衆衛生全てにおいて保健所がやる、そういう機関になったわけです。

 この時代は、まだ結核やドブにネズミが走っているという非常に衛生状況が悪かったのですが、戦後、急速に整備され、結核もBCGを打つようになって激減します。そのかわり増えたのが癌です。結核から癌に疾病構造が変わっていきました。1957年頃から「保健所たそがれ論」という投稿等も見え始め、保健所は何をやる所かわからない、優秀な医者は将来が見通せないので来ないとか、そういうことが議論されていました。医療も皆保険制度の中で充実してきます。保健所の役割は、1人の幸せを考えるのではなく、全体の社会の平穏を仕事としているわけですので、そういう時代ではなく、個人の幸せという時代に変わってきたのではないかと私は思っておりまして、保健所が少したそがれた組織だというふうになっていくわけです。

地域保健法と老人保健法

 その後、平成6年に地域保健法という法律に改正されます。イラストはラジオ体操ですが、これは昭和4年という戦前のもので、富国強兵ですね。こんなポスターで昔はラジオ体操をやっていたということです。

 平成6年に地域保健法ができますが、昭和57年に老人保健法という法律が制定されます。「医療の確保のため、疾病の予防、治療、機能訓練などの保健事業を総合的に実施」する。「老人福祉の増進をはかる」。医療の場合は70歳以上を対象としますが、保健事業は40歳以上が対象です。概ね大人は老人保健法で保健が施されるという法律です。

 この法律ができた背景をお話します。昭和30年代から高度経済成長で日本は発展していきますが、その影の部分として公害問題などいろいろなトラブルが発生します。こういう時代に各地に革新知事がどんどん登場します。1967年には美濃部東京都知事が誕生し、東京都は独自で70歳以上の医療費を無料化しました。東京に続けといろいろな革新自治体、最終的にはほとんどの都道府県で70歳以上の医療費が無料になります。すると、外堀を埋められた田中角栄内閣が1973年に「国民福祉の充実と国際協調の推進を目指した経済社会基本計画」を出しました。これを福祉元年と申します。そして70歳以上の医療費は無料化されました。年金もこの頃から物価スライド制になり、物価があがると年金もたくさんもらえる。高額医療費制度もこの時期に始まりました。この少し前に児童手当も始まっております。福祉の基礎がこの辺でできたわけです。当時の漫才師のネタですが、クリニックの待合室でお年寄り2人が話しています。「最近、何々さん見ないよね。いつも来ていたのにね」「うん、それはきっと具合が悪いんだよ」というのがありました。お年寄りはタダだから、元気なのに病院に行っているのでないかと考える人もいました。

 少し脱線しますが、今、コロナで小児科の患者さんが激減しました。なぜかというと、小児科は中学生か高校生ぐらいまでは無料ですからちょっとしたことでお子さんがクリニックにかかるんですね。コロナだから、行ったら逆に感染するとなって行かなくなってしまった。でも、小児科の医者の中には、これが普通だと言う方もいらっしゃいました。今回の岸田内閣の子ども政策では、もっと無料にする流れになるかと思います。

 この70歳以上の医療費無料は財政的にとてももたないということで、老人保健法により昭和57年から1割負担に変わりました。医療サイドからは、受診抑制により重症化してから受診するためにかえって医療費負担が増えるのではないかという批判もありました。そこで厚生労働省は、老人保健法という法律で40歳以上について癌検診など健康診断を全員受けてもらう、すると糖尿病や癌が見つかった人が早期に受診することで結果として医療費は少なくなるという話をして、保健事業を一生懸命やろうということに切り替わったのです。早期の受診や予防にお金をかけて実際にどのくらい医療費が減るのか、実証は容易ではありません。

 この保健事業の実施主体は市町村で、保健所ではありません。例えば、横須賀の隣の逗子市には保健所がありません。鎌倉保健所が隣の鎌倉市に県の保健所としてあります。保健所はますます仕事が市町村に流れていって、良い人材が保健所に集まらなくなったというきっかけが昭和57年です。そして先ほどの地域保健法が平成6年で、保健所がたそがれていくという感じです。横須賀市の場合は保健所を持ちながら市町村の両方の業務をやりますので、そういったことはありませんでした。当時、我々保健の関係者は「老健法の風が吹く」ということで、私と同期で入った保健師は5人でしたが、毎年5人、保健師の採用が増えていきました。市町村に特に増えたということになります。

減少していく保健所

 保健所が減ったから今回、対応が悪かったのではないかというご意見を頂いています。確かに、平成元年848あったのが、令和4年には468と激減しています。横須賀市は保健所は3つあったのですが、保健所の機能を持ち、市町村の機能も同じだから変わらないだろうと思われるかもしれませんが、横須賀市も3ヶ所が1ヶ所になっています。これが完全に悪かったかどうかは、ちょっと微妙なところです。

 政令指定都市は121から70ヶ所と、非常に大きな減り方をしています。大阪市は非常に減らしています。当時、有名な市長さんがいて潰していった。行政改革で減らしすぎた部分もあるのかと感じています。

 横須賀市の場合、今まで1人がエイズも結核も難病もやっていましたが、3つが1つになったことで3人に増え、1人は結核担当、1人は難病担当、1人はエイズ担当となりました。有機的に3人でやって頂ければ良いのですが、「私は結核のことしか知りません」などと、公務員というか市役所は縦割りになりやすく、全体化されていないことが問題としてあるかと思っているところです。

 中心となる保健師の数の推移ですが、平成4年から令和2年までかなり増えています。ただ、就業場所でいうと、市町村が54%、保健所は15%にすぎません。ざっくり言うと、優秀な保健師は市町村に行ってお子さんや赤ちゃんの業務など住民に身近な仕事をする方が楽しいというか、そういう傾向があると思います。

 保健所の役割には対人サービスと対物サービスの2つがあります。コロナやエイズ、結核など、直接人に対する業務が対人サービスです。事業者、例えば飲食店、風呂屋、床屋などに対するのは対物サービスです。私は医療監査をやっていたので、どちらかというと対物サービスでしょう。かなり趣が異なる業務です。

 いろいろな事をやっているので、コロナの専門家はいませんでしたが、何となくの担当、直接の担当というのは保健師では4名程度です。4名で何ができるかという話になりますが、薬剤師や医師もいるし、獣医もいるし、放射線技師、検査技師などいろいろな職種がいますが、専門家はこれほど少ないという話です。

 次に、感染症法の話をします。感染症法には前文があります。私もコロナ禍で勉強したのですが、立派な法律だと思います。過去に、ハンセン病、HIV感染患者に対する差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、教訓にすることが重要で、人権を尊重しながらきちんと医療提供しましょうという素晴らしい法律です。これが法の原点です。ただ、これが今回のコロナの場合は、足枷になったというか辛かった部分もあります。

コロナでの保健所の奮闘

 今回のコロナでの保健所の奮闘についてお話します。今まで保健所が感染症法で行ってきた2類の感染症は結核だけです。結核の患者さんは少なく、急激に容体が悪くなることはないし、亡くなったということは聞いたことがありません。結核の仕事は、他人にうつしてないか薬をちゃんと飲んでいるか調査したり、家族等にレントゲンを撮ってもらうという手続きで、蔓延防止を中心に考えて行っておりました。

 私が携わったのは上の3つですが、人がとにかく必要だったのは相談部門、疫学調査部門、勧告部門、予防接種の4つだろうと思います。積極的疫学調査という言葉は濃厚接触者とかですね、これがコロナのキーワードとしてでてくるわけです。

 まず、相談部門の話をします。私は一番最初の頃にこれを担当しましたので古い話も混ざってくるかもしれません。今は少し変わりましたが、横須賀市帰国者接触者相談センターという名称を長く使っておりました。

 当初21年1月23日、国からの通知で、PCR検査の対象は帰国者か接触者という定義でしたので、そういう人へのお電話をお願いしますということで、保健所の会議室を潰して外線電話を8台位引いてきて、私も保健所の職員として電話を取る役をしました。役所の中のいろんなポジションの保健師も当番制で集められ、電話を受けました。帰国者でも接触者でも無い人、熱が出ただけの人が殺到したわけですね。必要な方にはPCR検査の予約をして検査に繋げるという電話です。本当に電話がひっきりなしに鳴りまして、正直、辛かったです。話した内容を記録しなければいけないのですが、記録もそこそこに、受話器を置いた瞬間に電話が鳴りました。ただ、「3日間、熱が出ていましたか」ということだけを聞くのですが、人それぞれに事情がありますので話を聞き、結局3日間熱が出ないと、申し訳ないがもう少し様子を見て下さいと言うしかありません。この数たるやすごいものでした。科学的なトリアージということでは全く無かったです。

 その後、派遣会社にお願いして毎日大量に看護師に来て頂き、職員は監督役みたいな形で、派遣の看護師からの相談を受けたりしました。当時はほとんどの人が陰性です。マスコミ報道などを見て、熱が出ると、コロナになった!と心配になるのは当然ですが、市民の方はかなりパニック状態だろうと思いました。

PCR検査のこと

 PCR検査をする機関を市内に作らなければいけないということで、まず最初に、医師会の駐車場に横須賀市のPCRセンターを設置しました。アスファルトの上にプレハブを建てましたが、熱が出ている人は入れない。外の電話ボックスみたいな所で採取するのと、車で採取するという2種類の方法でPCR検査をしました。これが暑くて熱くて仕方ない。スポットクーラーなどは後からつきましたが、医師会関係の病院の検査技師や医者が当番で来て、フルPPE(個人用防護具)で灼熱の中ぐったりして行われていました。技師長のような年配者が仕方無く嫌々来ている感じで、気の毒だなと思ったところです。そういう辛いPCRセンターなので検査のキャパシティも限られています。希望している方はできるだけ繋げたいのですが、キャパシティの問題もありますので、その調整を電話で行っていました。その後、第2PCRセンターが横須賀共済病院の空き地に作られ、クーラーの効いたプレハブの中で検査ができる体制になりましたが、医師会駐車場と並行してやっていました。

 問題点は、電話で、その場で、具合の悪さを判断しなければならない。受診して下さいとは簡単に言えない辛さがあります。できるだけ検査に回したいのですが、国の判断基準を逸脱できない。なぜ一般の病院や診療所で検査できないのかと当時は思っていました。頑張っている診療所もありましたが、熱がある人には来て欲しくないというクリニックが多かったように思います。これが5類になると少し困るなという感じがします。

 最初の時、集団のPCRを受けますと手を挙げたクリニックが1つだけあって、偉いなと思いました。横須賀の中でもバス便で遠い所にあって、行きたいという患者はあまりいませんでしたが、協力しようというクリニックがもっとあってもよかったかと感じているところです。

 自分のところの患者をPCRセンターに回すことはできたのですが、例えば内科の医者に、かかりつけの患者が来て、熱っぽければPCR検査もできたのですが、そういう件数はなかなか増えなかったと思っています。これは想像ですが、かかりつけの患者が熱っぽいと訴えても、「保健所に電話して下さい」で終わっていたのではないかと思っています。これが相談部門の仕事です。

疫学調査部門について

 疫学調査という言葉の定義は「感染症の発生を予防し、原因を明らかにするために必要がある時、質問、調査ができる」という規定です。なんでもかんでも質問していいという話ではないということです。患者は、聞かれたら協力に務めなければならないという法律の建て付けになっています。でも、現実はまったく違ったということです。

 具体的にどうやっていたかというと、陽性患者全員に電話します。全員ですからものすごい人が毎日電話を5ケースとか7ケースかけないととても追いつかない。聞く内容は3つです。まず、患者の行動。最初のうちは丁寧にやっていましたので1週間前位から、ライブに行ったか、誰と食事をしたか、大学に行ったかなどつぶさに聞く。家族などは明らかに濃厚接触者になるのでPCR検査の予約をとってあげて検査の案内をする。そして本人の具合を聞き、処遇を決定する。自宅療養、施設、入院のどれかを決める。最終的に入院になると医者の判断も入りますが、とりあえずそういうことをする仕事です。

 スライド(省略)の①患者の行動は法文に沿った対応だと思います。感染予防のためにお伺いする。②は少し微妙ですね、検査の案内です。家族からの拡大という話になるのかもしれません。③は完全に疫学調査とは違います。本人が入院するかどうかを決めているだけですから法の疫学調査とは全く違うと思います。けれども、最後のほうは①も②もやめて③だけにして下さいとなりました。それはそうですよね。毎日100人とか200人とか出るときに、とにかくこの人が生きて家にいるのか、死なないで下さいねと確認するだけで終わっている。1日に出た数をその日のうちにこなせないで翌日送りというのも出てきて、ヒヤヒヤしながら③だけをやるということが続きました。

 今考えると問題点だらけです。知識がある職員が聞き取ることが全くできていない。派遣会社や市役所の本庁舎の応援がないと処理しきれない数で、電話して、生きているかという生存確認だけになってしまいました。これは保健所の仕事なのでしょうかと思います。医療機関でPCR検査をやって陽性になった方は、主治医から本人に必ず1本は電話してもらうようにしていました。あなたは陽性だからそのうち保健所から電話があるからね、という電話だけをしてもらう。そこで、もう少し聞いて指導などして頂けると、保健所と医療機関の連携をして頂けると、少しは楽になったのかなと思っています。

ハーシスの不具合と勧告部門について

 ハーシス(HER-SYS)という、全国統一で陽性患者を登録する仕組みがあります。これをもとに、陽性になった人を確認して電話をかけるのですが、このハーシスが最初の頃、かなりポンコツでした。派遣職員や市役所の応援者を講堂に集めて、朝、ハーシスを起動したら固まって動かないということがありました。厚生労働省に電話すると、今日は東日本で調子が悪いみたいな話になる。それで午前中は電話をかけられず待機して、午後2時か3時に復旧したこともありました。さすがにそこまでは引っ張れないので、午後は各自の職場にお帰り下さいと、待機解除した経験も何度かあります。もはや積極的疫学調査とは言えません。

 保健所の仕事は、入院が必要な人に入院して下さいという、ルーチンワークという表現が正しいかわかりませんが、そういうことを伝えるのが本来の仕事ではありません。本当に重症化する恐れがあるから早く入院して下さいと言っても、ペットや家族がいるとか言って入院してくれない人を入院にもっていくというのが保健所の本来の仕事でなければならないと思っているところです。

 次に勧告部門です。勧告とは書類を出す話です。感染症法の規定では、入院させる時は入院させるべきことを勧告できます。勧告は人権を抑制するという強制力があることは、先ほどの法の定義にあります。陽性になると、全員に対して就業制限通知という勧告をします。具体的な勧告作業は入院勧告書、就業制限通知書、就業制限解除通知書。それから、嫌らしい療養証明書もありました。

 この上の3つを勧告するときは、感染症の審査に関する協議会にかけなければいけません。外部の医者の協議会に、この人たちの人権を侵害してよいかというお伺いを立てなければいけないというのが法の建て付けになっています。ところが、毎日100人とか200人について協議会をやるのは現実的に無理なので、FAX審査という言い方ですが、メールで200人分の名簿をつけて、名前は伏せますが、職業を書いたりして審査をお願いします。でも200人もいると間違える。漏れたり多かったりして報道発表と合わないことがしょっちゅうあります。真面目な先生は数を合わせて見てくれて、違うのはどういうことかね?と言われて、間違えました、すみませんとメールで謝るというドタバタ劇を繰り返していました。

 すべての勧告書について所長の決済のハンコが必要なので、段ボール箱2箱とかを所長室に持っていってハンコをもらう。そして戻ってきた書類に公印を押すという作業をしていました。だから所長が1日休むと段ボール箱が3つから4つになるという話でした。

 問題点は、紙との闘いです。時間が経つにつれ、合理化に合理化を重ね楽になってまいりました。保険会社が入院特約を出さなくなったとか療養証明が意味をなさなくなってきたので楽になりました。私は療養証明の仕事を結構やっていましたのでドタバタをお話したいのですが、時間があれば、また最後に戻ってきたいと思います。

 療養証明は入院特約をもらうための証明です。今はMyHer-sys(マイハーシス)というシステムからダウンロードしてスマホを見せれば良いというふうに変わりましたが、当時は全員に対して紙にハンコを捺していました。私は、紙はやめましょう、メールで送りつければいいのではと主張したことがありますが、役所の書類だからハンコが無ければダメだと一蹴されたという記憶もあります。

生存確認という仕事

 その他、様々な仕事がありますが、一つだけ触れさせて頂きます。横須賀市役所のホームページに、こういう陽性者が出ましたと、毎日アップロードしていました。自衛隊員とか学校の先生とか職業も書くのですが、防衛大の学生さんは「自衛隊員」にして「大学生」にしないなどいろいろルールがあります。特定されてしまうという事でしょうか。あるいは、「小学校教諭」と書いてはいけない。「中学校」もダメ。「教員」と書けと。できるだけぼやかせと。今は職業すら書いていませんが、なんで職業を書かなければいけないのか。知る権利という話だとは思いますが、先ほどの人権という法の建て付けとどうなのかな、どっちが正しいのかという話です。市民で、町内の役員が毎日、横須賀市のホームページをコピーして町の掲示板に貼っていたというテレビのニュースも見ましたが、何をやっているのか、どういう気持ちでやっているのか、よくわかりませんが、そういう方もいらっしゃいました。

 それから生存確認という仕事。横須賀市で私は1件も経験していませんが、東京などでは、行ったら死んでいたということもあったようです。これはメンタルがきついですね。私どもも、どうしても電話に出ない、生存が確認できない人について、保健所の職員が車を運転してカップラーメンを持ってお宅に行きました。テレビを見て元気にしていたというのがオチですが、そういう個別対応もしていました。

 ワクチン接種について、私は直接、段取りは担当していません。世の中はコロナワクチンがゲームチェンジャーになるというのでしょうか、世の中が変わってくれると信じている方が今もたくさんいるかと思いますが、そういうふうに感じました。最初、高齢の方から順番に接種を始めたのですが、初日にデパートの接種会場に見に行きました。すると80代の方がエスカレータを走って打ちに来てました。そこまで必要あるのかと思いましたが、そういう接種会場でした。結局はいろんなトラブルがありました。期限切れのワクチン摂取とか、フリーザーを開けっぱなしにしていて全部捨てたとか、新聞報道に載っていたワクチントラブルは全部経験しています。横須賀市がクリニック等も含め、そういうトラブルや失敗が起きた際、私の本来業務は医者の監督業務なので、「こんなことがあった様なので注意して下さい」と言いに行きました。期限切れに注意して下さいと言う位ですが、期限切れワクチンを打った方に対する抗体検査などもきちんとやってくださる真面目な医者もいらっしゃいました。

今後に向けた提言

 私が考える、希望的観測を含めた今後の提言をお話したいと思います。

 やはり保健所が力をつけなければいけないと思います。先ほど大阪市長の話に触れましたが、税金を安くしよう、そのために職員数を減らそうという市長が今もいます。保健所の場合は県知事ですが、そういうことがうける時代でもあります。

 コロナのこともあり、来年度の厚生労働省予算の中で保健師を増やそうという財政措置がされているようです。保健師を増やす保健所もあると思いますが、コロナが下火になって平穏な日々が続いたら、また減らすという話は当然出てくるでしょう。そこは、私らOBがこういうことを言い続けないといけないと思っています。

 保健所の職員が力を持つ。これは当たり前の話ですが、横須賀市は果たしてどうでしょうか。わかっている担当がいれば済む話ではありません。人事異動もあるし、感染症は1人だけでこなす話ではありません。ですから感染症や危機管理をたくさんの職員が経験し、力をつけていただく。そういうローテーションをきちんと持つことが重要だろうと思います。

 大きな病院だと感染症の認定看護師がいて感染制御部という形で力を付けて責任者をやっています。それに比べて保健所はどうか。ぜひ、こういう重要な仕事をする人に、責任あるポジションについて頂きたいと思います。

災害対応という言い方でごまかされた

 今回、災害対応だから頑張って下さいと保健所の職員は言われました。災害対応という言い方でごまかされたなという被害者意識を私は持っています。災害だから助けて下さい、保健所の災害なので助けて下さいと、横須賀市役所の本庁舎職員や医師会の先生方に言って協力して頂いたのですが、私はそれは違うと思っています。それは「助けに行ってあげた」になる。そういう問題ではないと、保健所側の職員としては思っています。

 また、助けに来て頂いていても、私も5時15分になったら帰らなければいけない時はある。すると応援者から、あの人は災害なのに5時15分に帰ったと言われてしまう。言いたいのはわかりますが、あまり気分の良い話ではありません。コロナ禍は法的には災害ではありませんし、災害基本法にも書いてないし、災害基本計画に入っていませんので、災害という言い方が良いかどうかはありますが、メリハリをつけた役割分担をして頂きたかったです。4月の人事異動はメリハリの役割を担っていて、私も退職しましたし、コロナの最先端にいた方が違う部署に行ったということは保健師でもございました。

 コロナ協議会が市議会の中に設置されました。通常の市議会で議論していたら時間が足りないので別に特別な委員会を作るという考え方です。議員の先生方は責任ある市民の代表ですから、考えたことをおっしゃられているとは思うのですが、「保健所もお忙しいでしょうが、これはどうなっているのか調べて下さい」みたいな話ですね。知りたいのはそうなんだろうけれど、やらせているという感覚をお持ちかどうか知りませんが、もう少し市民との連携を。代表者だから市議会の場でやらなければいけないという理屈はわかりますが、もう少し保健所と議員の連携が密にできた方が良いのではと思います。

 面白い話としては、横須賀にある神奈川県立保健福祉大学から、保健所が大変だからと応援に来て頂きました。たぶん災害だということで見かねて来てくれたと思います。ある日、教授が保健所に来られて、私が「先生、こういうことをやってください」とお願いするのですが、少し気を遣いますね。非常に真面目な方で、言ったことはやって頂けたのですが、大学との連携も一生懸命考えて頂いているなという温かみを感じたところです。

職員のメンタルヘルスケアと労働組合

 職員のメンタルヘルスケアは当たり前の話ですが、今回私が難しかったのは、国から下りてくるミッションが100%正しくないのではということが結構あったことです。COCOAなどは最たるものです。日本財団のPCRプール法も最初は本当に誤差が大きかったと思います。薬局で売っている研究用抗原キットで陽性になったとしても、これは本当のキットではありませんとか、保健所側から見て、これは大丈夫かというものが結構あったので翻弄された部分があります。そういういろんなおかしなものがあったのでメンタル的にはやられたなと思います。

 「地域保健」という雑誌に「コロナで増える休職・退職」という特集で保健師が辞めてしまうという話があります。保健師は人手不足で、ある市では年齢制限を撤廃しました。本当は、市役所職員の募集では「何年生まれから何年生まれの方」と年代を区切るのですが、保健師に至っては「何年生まれ以上」だけにして60歳でも就職できるよう門戸を広げた神奈川県内の市もあります。それほどメンタルをやられて辞めているという特集が組まれています。この特集の冒頭で、辞めた人の対談があります。1人は横須賀市役所出身で、私が辞めた後に辞めて大学の准教授になられた私の後輩です。とてもユニークで力のある、統計などを一生懸命されている方ですが、その方もご意見などあったようです。こういう大きな出来事があると、区切りを付けたい気持ちはどうしてもあると。そこをどうクリアしていくか、ということです。この「地域保健」の雑誌には、小規模ミーティングを定例的に開催して悩みを共有しましょうということが書いてありました。横須賀市では、これはできていなかったと思います。

 労働組合の力が落ちていることについてです。私は労働組合OBなので申し上げるところもあります。組合に頼るのは、組合としても荷が重いのかと思っています。大阪では、ウェブサイトに保健師の声を載せています。携帯電話の持ち帰りや夜間対応が辛い、帰宅後もコロナの方から電話がかかってくる。これは私もやっていました。4人ぐらいで1週間交代で携帯電話を持ち帰るのですが、夜中2時や3時に救急隊から「今、コロナ患者さんのところに現着しました。どうしましょうか?」という電話がきます。「とりあえずコロナを扱っている病院に向かって下さい。保健所が言っていたと言って下さい」と伝えます。30分後位に「搬送が終わりました」という電話がかかってきます。これは辛いものがあります。偉いクリニックの先生からは夜中2時頃に電話がかかり、先ほどのハーシスで「パソコン入力しているが、パソコンが固まってしまい動きません。どうしたらいいでしょう」ということもありました。確かにこれはきつい話です。今は管理職だけで回していて、本数も減っているようです。

コロナが5類になったら

 コロナが5類にうまく移行できたら、診療所がPCR検査をして、あなたは陽性です、入院が必要ですという判断を医者がして、入院先の調整まですることになります。保健所はもう関係ありませんと言ったとしたら、保健所はまた「たそがれ論」に入っていくでしょう。医療機関からも見放され、困った時だけ頼む。保健所は何のためにあるのかという理屈になると思います。千葉県だったか、保健所で引き続き入院調整をやると言っている自治体もあるようです。ここは議論が必要だと思います。政府がどう考えているかわかりませんし、これからの話かもしれません。

お伝えしたい言葉

 大変参考にさせて頂いた本があります。東京都の管理職の医者で、「ミッションはただ一つ、つぶれないこと。戦場に例えて言うなら、とにかく生き延びることである。」良い言葉です。職場の管理者として、医者として、皆さんにエールを送って頂いたと思います。スタンスとして非常に素晴らしいと思います。

 最後に、皆さんにお伝えしたい言葉です。カミュの小説「ペスト」で、主人公の医者リウーがペスト禍で、「ペストと戦う唯一の方法は誠実さということです」と発言します。「誠実さとはどういうことですか」と新聞記者が問いかけたところ、「僕の場合は自分の仕事をまっとうすることだと思っています」という返事が返ってきた。自分の仕事を果たすことが誠実さということです。医者だから言ったという小説の話ではなく、市民も保健所職員も病院職員も社会も新聞記者も、いろんな人が誠実さを持ってやらないと、こういうとんでもない感染症などが起こったら立ち向かえない。自分が素直な気持ちで誠実に闘っていかなければいけないと私は思ったところです。良い小説なのでぜひ読んで頂ければと思います。ご静聴ありがとうございました。