アスベスト退職者の団体交渉権をめぐって

全造船関東地協事務局長 早川 寛

<その1>

■はじめに
1月8日、神奈川県労働委員会は、2012年2月から3回にわたって行われたニチアスとアスベストユニオンとの間で行われた団体交渉でのニチアスの対応は、不当労働行為に当たると断じた。あわせて、団体交渉においては具体的な資料を提示し、十分な説明を行うなどアスベストユニオンへの謝罪の文書を手交するよう命じた。

■ユニオン結成まで
ニチアス(旧名/日本アスベスト)は、日本最古の、そして最大のアスベスト製造メーカーとして君臨してきた企業である。会社のホームページによっても、これまでアスベストのために、社員・退職者・子会社・下請・地域住民も含めて300名以上の方の命が失われている。現在も療養中の方も多く、将来の発症者も考えると、アスベストによる被害者数は莫大になるだろう。(ただし、ホームページでの情報公開は2010年までしか行っていない。)
ニチアスはこれまで、アスベストによる被害者に対し、個別に秘密示談交渉を行い、口封じを行ってきた。口止め料を払う代わりに、こういった交渉があったことも含めて一切口外しないという念書を取ることにより、ニチアスによるアスベスト被害が世間に知られずにきた。2005年6月のクボタショックをきっかけに、初めてニチアスのアスベスト被害も明らかになった。
そのニチアスと闘う労働組合が2006年に結成された。全日本造船機械労働組合傘下の、ニチアス・関連企業退職者分会(略称/ニチアス分会)とアスベスト関連産業分会(略称/アスベストユニオン)である。この二つの組合は、それぞれ、損害賠償請求裁判と団体交渉をめぐって、ニチアスと闘っている。まず、それぞれの状況を説明する。

■ニチアス分会の闘い
ニチアス分会は、奈良のニチアス王寺工場の退職者を中心に結成された。2006年9月26日、王寺工場で2名による組合結成通知と団体交渉の申し入れを行った。その後、2007年2月に組合員は11名となった。当初は団交に応じる素振りを見せていたニチアスだったが、その後、団交拒否に転じた。
2007年3月26日、アスベストのため死亡し、労災保険上の時効5年により遺族補償の請求ができなくなった方や環境被害の方を救済するためにできた、通称アスベスト新法の一周年を記念して、全国集会が都内で開催された。午前中に、エーアンドエーマテリアルとニチアス本社への申し入れ行動が企画された。エー社は代表団を受け入れ、社内で交渉が行われた。一方、ニチアス本社は、「責任者はいない」とウソをつき、「すべて弁護士に任せている」と、申入書さえ受け取らなかった。ニチアス分会の組合員はもとより、参加者の怒りは高まり、抗議行動を続けた結果、ニチアスは、代表団を本社の地下室に招き入れた。7名の代表団は極めて平穏に団交開催の申し入れを行ったが、結局、ニチアスは団交に応じようとしなかった。
そこで、2007年4月、分会と全造船本部は、奈良県労働委員会に不当労働行為救済の申し立てを行った。
2008年7月31日、奈良県労働委員会は、分会との団交を拒否したニチアスの行為は不当労働行為に当たるとする救済命令を出した。アスベスト疾患は将来発症する可能性もあるので、退職後数十年経っていたとしても退職者には団体交渉権があると断定したのだ。
しかし、ニチアスは、この命令に従わず、中央労働委員会に再審査の申立てを行った。中労委は、2010年5月、不当にも奈良県労委命令を取り消した。退職後数十年経ったアスベスト被害者の団体交渉権は、あると「言えなくもない」と、判断を回避。一方、分会結成前の組合員の「粗暴な言動」や本社行動などから、ニチアスが団交を拒否する無理からぬ理由があるとした。もともと中労委は、退職した労働者の団体交渉権を認めたくない。そこで、「粗暴な言動」や組合の抗議行動に飛びついたのだ。甚大なアスベスト被害を引き起こしていることについて、ニチアスは一切謝罪していない。会社の決算書でもホームページ同様の被害状況を報告しているが、それは補償金を支払う経営上の「リスク」として載せているに過ぎない。ニチアスに対し、被害者が怒りの声を挙げ、行動する。それを口実にしたのが中労委なのだ。
このような状況の中、ニチアスとの団体交渉で、アスベスト被害の補償も含む問題を解決することは困難と考え、我々は、2010年10月28日に奈良・岐阜・札幌の3裁判所へ同時に損害賠償請求裁判を提訴した。そして、2012年11月、下請で吹き付けアスベスト作業を行い、じん肺で亡くなった大谷敏男さんについて、札幌地裁で、ニチアスが4158万円を支払うことで解決した。この解決条項に秘密条項はない。全面勝利解決だった。岐阜地裁は、当初1名だった原告がもう1名増えた。いずれもじん肺管理区分4。奈良地裁では、この3月27日に証人尋問が行われ、大きな山場を迎える。原告は3名。

■最高裁判断とユニオン
アスベスト退職者の団体交渉権については、ニチアス分会に先行して、ひょうごユニオンの住友ゴム工業分会が闘ってきた。2011年11月、最高裁が住友ゴムとの団体交渉権を認める判断を下し、確定した。そこで我々は、岐阜羽島工場のニチアス退職者はアスベストユニオンに加入してもらうことを決めた。団体交渉を行うなら、各工場単位で組織した方が活動がスムースになるからだ。そして、岐阜地裁で損賠裁判を闘っている山田さんには、ニチアス分会からアスベストユニオンに移ってもらった。同じ時期、じん肺管理区分4になり療養中であった角田さんもアスベストユニオンに加入した。アスベストユニオンは、職種を問わず、アスベストの仕事に携わった人なら現役、退職者、遺族に関わらず加入できるユニオンとして、2006年12月に結成された。
最高裁での団体交渉権の確定、岐阜羽島のニチアス退職者2名の加入という中で、2011年12月、アスベストユニオンは、ニチアスに対し、団体交渉を申入れた。ニチアスは、「組合員2名の個人の問題に限る」とか、場所は名古屋にしてとか、マスコミは一切お断りなどの条件を言い張ったが、2012年2月2日に第一回団交が行われた。その後、4月、6月と行われたが、ニチアスは不誠実な交渉態度だった。今回の神奈川県労委では、その交渉をめぐっての闘いだった。
一方、ニチアス分会は、中労委の棄却に対する行政訴訟を東京地裁に起こしたが、2012年5月、東京地裁はこれを却下した。しかし、地裁はこの中で50年以上前の退職者だとしてもアスベスト問題の場合は、団体交渉権があるという判断を下した。分会は、東京高裁に控訴する一方、この地裁判断をもとに2012年6月21日、ニチアスに対し、団体交渉を求めた。ニチアスは、組合員の過去の言動に対しての謝罪要求などを言いつつも団体交渉には応じざるを得なかった。2012年9月に第一回、10月に第二回の団交が行われたが、羽島でのアスベストユニオンの時と全く同じ対応のため、決裂。2013年1月、分会は、奈良県労働委員会に不当労働行為救済申立てを行った。審理は、証人尋問が終わり、3月3日に結審となる。


以上が、ニチアスと、アスベスト退職者の団体交渉権をめぐるニチアス分会・アスベストユニオンの闘いの経過である。少し長くなったが、今回の神奈川県労働委員会の不当労働行為救済命令に至るまでの前置き部分である。

<その2>

2011年11月、最高裁が、住友ゴム工業事件で、退職した後のアスベスト従事者の団体交渉権を認める判断を下した。そこで、ニチアス岐阜羽島工場の退職者は、アスベストユニオンに加入し団体交渉を行うという方針のもとに、すでに全造船ニチアス退職者分会に加入していた山田益美さんがアスベストユニオンに加入し直した。そして、あらたに角田正さんがアスベストユニオンに加入。
アスベストユニオンは、2011年12月、ニチアスに対し、以下の要求のもとに団体交渉開催を要求した。
ニチアスは、あくまでも山田・角田両組合員の「個人の問題に関する限度において」団体交渉に応じるという回答をよこし、2012年2月16日、羽島市内のホテルで第1回団体交渉が行われた。
ニチアスは、要求1(被害実態)については、山田及び角田両氏の問題とは関係がない。要求2(アスベスト被害補償制度の説明)については、山田・角田両氏は会社の制度の適用対象外なので一切説明しない。要求3(退職労働者への健康対策)については、山田・角田両氏はすでに国の制度で健康診断を受けており、両氏を含む退職者全般の健康対策については説明する必要がないと、それぞれ回答した。
山田さんは1959年から1967年まで羽島工場のアスベスト製品の製造部や倉庫係で働いた。退職後40年経って、じん肺管理区分2となった。そして、団体交渉決裂後の2013年4月に、じん肺でもっとも重い、じん肺管理区分4となり、労災認定を受けている。
角田さんは1961年から1995年の定年まで、羽島工場の製造部門で働いた。退職時は管理区分3|イだったので、当時の定年退職者への見舞金規程により600万円を受領した。この時、「以後一切の異議申し立てを行いません」という趣旨の念書を書かされた。これを根拠に、要求4については、ニチアスは、補償問題は解決済みなので回答する必要はないと繰り返した。ユニオンが見舞金規程の根拠を問うと、第三回団交で、ニチアスは、その部分だけを読み上げた。そもそも退職時より悪化していることについての差額補償制度がないとしたら、そのことも含めて団交議題としてとりあげて議論すれば良いのであり、一部のみ読みあげておしまいというニチアスの態度は論外と言わざるを得ない。事実、退職時にニチアスから補償を受け、その後、症状が悪化し、差額補償を受けた事例を私たちは知っている。秘密交渉なら応じるということだろう。
ただ、この団交の成果がゼロだったわけではない。角田さんの労災補償の根拠となる退職直前の賃金記録について、「ない」と言ってきたニチアスに対し、あらためて調査させ、記録が発見され、労災補償額の是正をさせたのは成果だった。
さて、このような3回の団体交渉の経過をもとに、2012年8月、アスベストユニオンは、神奈川県労働委員会に不当労働行為(不誠実団交)の申立てを行った。その結果、県労委は、2014年1月8日に以下のような判断を行った。

1、アスベストユニオンの5項目の要求は、会社が団体交渉に応じなければならない義務的団交事項にあたるかどうかについて

「羽島工場の在職者の健康被害の実態および退職者のアスベスト健康被害に対する補償制度の開示要求は、安全衛生や災害補償という労働条件問題であり、山田・角田両組合員のアスベスト被害に対する補償を他のアスベスト健康被害者と比較検討するために必要となる点で、両氏の労働条件等と密接に関連する」「退職者に対する健康対策についても会社のこれまでの対策を検討する上で必要」であり、「角田氏の在職時の安全対策及び労災に対する補償はまさに労働条件に関する事項」と断定した。
ただ、「家族や地域住民の被害については、労働条件と密接に関連するというのは困難」という判断だった。この点は承服できない部分だ。

2、不誠実な団交交渉だったかどうかの判断について
まず、「一般に会社には、組合の申し入れた義務的団交事項を議題とする団交に誠実に応じる義務があり、組合の要求に対する回答や自己の主張の根拠を具体的に説明したり、必要な資料を提示するなどして、組合の理解や納得を得られるよう誠意をもって団体交渉に当たることが求められる」としたうえで、被害実態については、会社のホームページに載せている情報についても説明していない、山田及び角田両氏は補償制度の対象外との説明に終始。特に、将来、両氏の症状が悪化した場合の議論はする必要はないという対応だが、「そのような元従業員が存在することを充分に把握している会社が、悪化した場合の対応について、組合の理解や納得を十分得るような説明を尽くさなければならない」と、指摘している。
●補償制度について
「山田・角田両氏には関係ないとして、一貫して組合に資料を提示しようとせず、角田氏に適用した規程部分のみ口頭で説明しただけである。しかも労働委員会の結審日に書証として提出しながら団交で組合に提示しなかった理由を何ら説明していない」
●健康対策について
「一切説明していないが、実施された健康対策が他の退職者と比較して十分だったかを検討するためにも必要であり、将来悪化しないための対策を考える上でも十分な説明がなされるべきであった」
●角田氏に対する労災補償や在職者への安全対策について
「十分な説明をしなければならないことは言うまでもない」としている。

3、本件団体交渉における会社の対応に正当な理由はあるかについて
ニチアスは、勝手な推測で、山田・角田両氏が2006年9月結成のニチアス分会結成時やその後の損害賠償請求裁判など、つまり、今回のアスベストユニオンの団交申し入れ時よりもずっと前に組合加入しており、団交申し入れまでの間の合理的期間は過ぎているので会社の対応は正当だと主張していることへの判断である。
また、ニチアスは、アスベストユニオンとして団交申し入れを行ったのは、「粗暴な言動」により団交拒否は正当とされたニチアス分会だと謝罪を要求されるので、それを回避するためであったなどとも主張している。
これらに対し、労働委員会は、「①アスベスト健康被害の性質上、雇用期間が終了してから長期間経った後に、症状の悪化を契機として団体交渉の申し入れに至る場合があるので、是認されて然るべき。②会社の誠実団交応諾義務に、(別組合である)退職者分会のとった過去の態度に影響を受けることはない」とした。最後に、「補償規程を開示すると、じん肺管理区分の決定を受けた従業員の個人情報を提供する」ことになるというニチアスの主張に対して、そんなことでは個人情報を提供する事にはならないと一蹴している。
以上のような内容で、県労委は不当労働行為と判断した。極めて当然の結論である。
3回の団交での会社側出席者は代理人弁護士3人と会社役員3人だったが、団交での発言は99%弁護士だった。その上、労働委員会でニチアス側証人に立った盛大輔弁護士は、「退職者に対する会社の補償規定を見たことはない。山田さんが補償の対象外と言うのは、会社の担当者からそう聞いていたから、そう答えた」と証言した。これが、莫大なアスベスト被害者を出しているニチアスという不誠実極まりない会社の実態であった。

その後、この事件は、中央労働委員会にニチアス側が再審査請求をしたため、4月7日から中央労働委員会で、あらたな闘いが始まる。ご注目ください。
注)団交でニチアスが読みあげたのは在職者の「じん肺取扱規程」(1992年度版)第20条の一部(表の下線部分のみ)。じん肺はあるが、労災になっていない人を対象とした規程。
一方、結審日になってニチアス側から証拠として出された規程によると、同程度のじん肺でも合併症などで労災となっている人への見舞金は第21条であり、大きな差がある。つまり、ニチアスから退職時にわずかな金をもらい、以後全く補償されず、アスベスト被害に苦しんでいる人がたくさんいるということだろう。