65歳の新米衛生管理者の独り言


O(センター会員)
1957年生。21年4月から、東京にある中小企業のメッキ会社で衛生管理者として勤務している。

はじめに

 神奈川労災職業病センターから依頼があり、初めての衛生管理者勤務(3年間)に戸惑いながら進めた衛生管理業務について、皆様に少しでも何らかのヒントがあれば幸いと思います。
 衛生管理業務を行う上で、①仕組み作り、②公平さ、③専門家との連携、④第14次労働衛生計画(厚生労働省の23~28年の5ヶ年計画)を意識して行った内容を数回に分けて報告したいと思います。

プロフィール

 81年4月、東芝タンガロイ(現タンガロイ)韮崎工場に入社。配属は技術課にて摩擦試験機のオペレータ(機械操作)からスタートし、摩擦材料の試作・評価等を行った。→工場の現場作業の理解(社会人入門、摩擦試験機の操作やメンテナンス、材料試作および物性評価、QC活動や5Sなど)
 約5年の現場作業経験を経て横浜の研究所へ転勤となる。研究所での仕事はいままでと全く異なり、その年入社した新人と一緒に1から再スタートすることになった。研究所では博士や修士が3分の2を占めていることから、私が現場作業に慣れているので、掃除・5S・機械修理・工場の現場手伝い・飲み会幹事などの雑用全般も受け持ち、通称A級幹事となった(A級とは永久担当の意味)。また、転勤を機に自分が何も知らないことを痛感し、広く知識を得るために通信教育をランダムに選んで受講した。一方、仕事面でも社内発表や社外セミナー等を聴講する機会があり、転勤から3年後には各種学会(トライボロジ、セラミックなど)で発表の機会を得た。→技術者の気持や技術者教育、サポート業務の大切さの理解(技術者として再スタート、研究所の雑用全般、学会発表や自己啓発として通信教育等)
 03年に東海カーボンに摩擦材料の技術者として転職し、今まで経験したことのない建設機械の摺動材を担当する。転職10年後(55才)に工場長から技術者教育の依頼があり、技術士会を活用することを計画し、技術士の1次試験を受けることとした。朝の勤務開始前1時間を勉強することを習慣とし、基本的な技術者としての知識を確認した。約1年半後に合格し、技術士補(機械)となった。技術士会のセミナーは高度な内容を安価に提供しており、セミナーに参加した情報を仕事に活用した。その後、この勉強の習慣を生かし、第一種衛生管理者を受験し、取得した(1ヶ月)。これが後のメッキ会社の知人から衛生管理者としての仕事の依頼に繋がった。
→技術者教育の方法模索(各種セミナーへの参加、研究人材のためのe-learningの活用、衛生管理者試験への挑戦) 

衛生管理者として

 衛生管理者業務とは事業者(統括安全管理者)が行う安全衛生管理の内の労働衛生の技術的な事項を管理することが安衛法で定められている。これを進めるためには専門スタッフである産業医、作業環境測定士、保健士や現場や管理監督者との連携が求められている。
 メッキ会社は従業員50人以上だが衛生管理者が選任(義務)できておらず、メッキ会社の知人から打診があり、衛生管理者業務を行うことになった(週1回兼業)。
 まずは安全衛生委員会を定期開催(月1回)することを決め、会社で行っている既存の年間計画表に衛生管理関係の項目(健康診断、ストレスチェック、衛生関係のセミナー)を加えて進捗管理することとした。毎月の安全衛生会議で、担当した労働衛生や安全関係の報告を議論し、議事録を回覧して周知することとした。衛生管理業務はできることから調査し、順番に進めることとなった。
 次回以降は、具体的に進めていった衛生管理業務(健康診断、ストレスチェック等)で感じたことやアドバイスを報告したいと思います。何か気になったことや御質問などございましたら神奈川労災職業病センターへ御連絡頂ければと思います。