夫の中皮腫の公務災害認定を求める裁判をしています

 2020(令和2)年4月20日、故夫の地方公務員災害補償基金の公務外決定の処分を取り消すために、東京地方裁判所に提訴しました。
 夫は1973(昭和48)年4月に県職員に採用され、技能専門学校電気工事科指導員8年、人事異動に伴い他所属、他の科の指導員等14年半の勤務でした。

 1987(昭和62)年2月末、右肩甲骨辺りの鈍痛、発熱、息苦しさから大学病院を受診し悪性胸膜中皮腫の診断を受け入院。当時、病名は患者本人に告知はありませんでした。治療の化学療法は辛く副作用もあり体力も落ち、治療は計画どおりには進まなく同年9月に亡くなりました。短い闘病でした。
 ある時、アスベストについてのドキュメンタリー番組を観ました。この番組を観終えて、夫の無念を晴らすためには自ら動くしかないと心の底から思いました。そんな時、アスベスト相談会があり、この時から中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会の皆さまにはお世話になりっ放しで今日に至っております。

 この提訴では、神奈川総合法律事務所の福田弁護士と山岡弁護士に代理人になって頂き、打ち合わせを重ねてきました。その後、コロナ感染拡大により打ち合わせはズームとなりました。夫の案件は古く、時間も経過しているため、家の中を探しても資料は見当たらず、支援してくださる方々には本当にお手数をおかけしました。現在、電気工事業を営んでいる方からも話を聞く機会を作っていただきました。行政文書の開示、閲覧では何回も足を運んでいただきました。アスベストセンターの永倉さん、事務局の鈴木さんには、お忙しいところ奔走していただき、膨大な資料作成に関わっていただきました。私は当事者でありながら、いまひとつ理解が足りておりません。

 2020(令和2)年10月22日に第1回口頭弁論がありました。多くの方が傍聴に来て頂きありがとうございました。この裁判のための意見陳述書を作成することによって、夫の死について改めて向き合うことができました。ほぼ隔月に行われる裁判は、毎回、身が引き締まる思いです。特に被告の反論には気持ちが沈むこともありました。

 以前、裁判官が「この裁判は、非常に難しい裁判です」とおっしゃっていたことが、頼もしくもありました。提訴から4年になります。今年1月11日に口頭弁論は終了し、来たる4月18日は私自身の本人尋問が行われます。これまでも多くの方々に支えられてきました。さらにアスベスト被害への関心を訴えるために、引き続き傍聴支援をお願いしたく稚拙ながら書かせて頂きました。どうぞよろしくお願いいたします。