行政不服法で岩手労働局に勝つ!じん肺管理区分、管理2から管理4に

松舘 寛(NPO法人 石綿被害者支援の会 代表)

NPO法人石綿被害者支援の会とは

 NPO法人石綿被害者支援の会は、東京土建一般労働組合(東京土建)の書記だった松舘寛が定年退職後に創設したものです。「石綿被害者支援の会」という大きな名前は、「**会」といっても解る人がいないので、岩手でも通用するストレートな名前が良いのではと大きな名称になりました。
 東京土建などの建設労働組合と共に、トンネルじん肺に取り組んできたのが日本建設交運一般労働組合(略称/建交労)。組合の中に全国労災職業部会があり、その事務局の中心に岩手県出身のOさんがいました。ある会議で同席した時、Oさんに、「定年退職したら岩手で職業病の活動を考えている」と相談気味に話しかけると、Oさんは「岩手に行ってもあそこは駄目だ。じん肺を解る医者もいないし、労基署も労働組合もやる気がない」と言われました。厳しい餞別と思い、腹に納めました。岩手で活動を始めてみると、Oさんの言葉が本当に当たっているのです。その壁を突き進む活動の5年間でした。

 じん肺(石綿肺・じん肺など)被害者は、じん肺管理区分申請を所轄の労働局健康安全課に管理区分申請を行い、管理4と認められれば、じん肺による労災申請をすることができます。じん肺法のじん肺診査医は、次のように定められています。

第三十九条 厚生労働省に中央じん肺診査医を、都道府県労働局に地方じん肺診査医を置く。2 中央じん肺診査医は、この法律の規定によるじん肺の診断又は審査及びこれらに関する事務を行うものとする。3 地方じん肺診査医は、この法律の規定によるじん肺の診断又は審査及びこれらに関する事務を行うほか、第二十一条第四項の規定による指示に関する事務に参画するものとする。4 中央じん肺診査医及び地方じん肺診査医は、じん肺に関し相当の学識経験を有する医師のうちから、厚生労働大臣が任命する。

 このように、じん肺診査医はいずれも厚生労働大臣の任命によるもので、地方じん肺診査医の決定を中央じん肺診査医が覆すことはなかなか難しいものです。NPO法人石綿被害者支援の会は23年2月6日に行政不服法に基づき中央じん肺医に審査請求し、23年9月12日に加藤勝信厚生労働大臣より裁決書が届きました。

主文 本件審査請求に係る処分を取消し、本件審査請求に係る処分を受けた者のじん肺管理区分を管理4と決定する。

 この請求に至った経過、裁決の特徴などを時系列で述べます。

粉じん職場に一生を捧げた工藤さん

 工藤さん(仮名)は岩手県の中学を卒業し、東京の下町の旋盤加工関係の会社に就職したあと岩手に帰り農業の手伝い。そのうち近所の鉱山で働いている人に誘われ鉱山労働者になりました。そして秋田、高知、京都などの銅鉱山で坑内採掘に従事しました。各所の鉱山が閉山すると、会社の紹介で新潟県の三菱マテリアルでアスベストばく露を伴う金属加工に従事。定年退職後は岩手県に帰省し療養生活。一生のほとんどを鉱山や工場の粉じん職場で働き続けました。
 市のケースワーカーから、「肺が悪く、歩くのもままならない人がいるが、アスベストが原因ではないか」と当会へ電話がありました。市の施設に置いてあったチラシを見て当会を知ったとのこと。
 早速、当会は工藤さんと面会し、職歴などの聴き取り調査をし、最終事業場が三菱マテリアル新潟工場で、ベアリング加工現場でアスベスト粉じんを浴びて働いていたので石綿肺を疑いました。

じん肺管理区分ができる医療機関を求めて

 工藤さんは岩手県内の呼吸器系の医療機関で診察を受けましたが、医師から、障害認定の医学的所見は書けるがじん肺管理区分は出来ないと言われました。その後、岩手県内でじん肺管理区分が出来る医療機関を探しましたが見つからず、労働局健康安全課と交渉したところ、県南部の個人医院が候補にあがりました。岩手県は四国より広く、受診するだけでも大変です。車で2時間以上かけて行くと、検診車内のレントゲンと医師の問診のみで、じん肺管理区分決定書は別の医師が記載するとのこと。後日送られてきた結果は、管理2でした。
 その後、東京都内の専門医にレントゲンを読影してもらうと、「病気進行と年齢を重ねて不整形陰影が見づらい。呼吸器指標は管理4相当」とのことでした。冬は体調が心配なため、翌秋に都内の医療機関を受診することにしました。患者を東京まで連れて行くのは大変です。仲間が工藤さんをご自宅から新幹線駅まで送り、そこから松舘が同行し、階段は無理なので上野駅からタクシーで医療機関へ。胸部レントゲン撮影と呼吸器機能検査を受け、医師は「管理4に相当する。不整形陰影が見えにくいのが唯一心配」としましたが、じん肺健康管理区分は管理4の診断でした。

岩手労働局へ申請

 工藤さんは離職時に三菱マテリアル新潟工場なので新潟労働局へ管理区分申請をしましたが、新潟労働局から連絡があり、「現在、工藤さんは岩手県在住なので岩手労働局へ提出を」と言われました。また、「工藤さんは離職時に不整形陰影が所見されるので管理2相当」という情報を得ました。その後、岩手労働局から、管理2という結果が届きました。「工藤さんのじん肺は肺の筋力の低下によるもの」「医学的情報が少ないのでもっと意見書等をつけてほしかった」と説明され、じん肺申請手順そのものの認識に驚愕を覚えました。

国へ不服申立

 じん肺管理4は、両肺に粒状影又は不整形陰影が有り、肺機能検査の数値が該当するか否かです。岩手労働局は、工藤さんは加齢等により肺の筋力が低下したと主張していますが、過去に管理2相当の判定を受けているので矛盾しています。肺機能検査は、①パーセント肺活量が60%未満、②1秒率が限界値41・87未満の場合です。工藤さんは肺活量61・8%、1秒率は37・2でしたので管理4相当と私たちは判断していました。
 23年5月30日、厚生労働省(中央じん肺診査医)の審理員3人は加藤厚生大臣に次のような意見書を上げました。

 本件審査請求については令和5年5月12日に開催された中央じん肺診査会において審査が行われ、「PR1(1/0)F++。じん肺による著しい肺機能の障害が認められる」との審査所見、「令和4年10月4日の胸部エックス線写真及びその他提出された検査結果等を診査したところ、じん肺のエックス線写真の像は第1型PR(1/0)である。じん肺による著しい肺機能の障害があると考えられ、したがって、じん肺管理区分の管理4に相当する。

 9月12日、岩手労働局から管理4の決定通知書が届いたので、新潟労基署に労災申請しました。新潟労基署が三菱マテリアルに調査書を送ったところ、「どの部署で働いたか不明」という回答が来たとのことでした。アスベスト裁判の時と同様、三菱マテリアルは労働者と向き合いません。

地方じん肺医は低水準

 工藤さんの件で明らかになったことは、地方じん肺医も県内の呼吸器系医師も、じん肺の診断や申請の手引書である「じん肺ハンドブック」から離れていることです。じん肺は世界最古の職業病と言われるように、じん肺患者は常に職業と関わり合いがあります。それを理解していない医師は「じん肺ハンドブック」を読んでいるとは思われません。当会は労働局交渉の当初から、県内の全労基署に、「じん肺ハンドブック」を設置するよう求めてきました。

審査請求や情報開示請求などを旺盛に

 じん肺やアスベストの件で労基署に相談に行ったが門前払いされ、当会に来られる方が多いです。当会が労働局に審査請求や情報開示請求を行った時も担当者の前で申請したのに後日、補正(訂正)依頼が来たりしました。労基署にはアスベスト申請に係る書式なども用意されていません。そもそも申請者がいないので、申請手続きの経験がないのです。建設労働組合も含め労働組合自身が必要に応じて各種申請をしなければ労基署も窓が開かないと痛感しています。東京土建では全支部が学習し経験し各労基署と向き合うという方針決定をしている事は素晴らしいと改めて解りました。

記者会見と地元紙の動き

 今回の工藤さんの件について岩手県庁で記者会見を行いました。会見後も地元紙が熱心に取材にきましたが、地元の新聞にもテレビでも報道されませんでした。これまで、アスベスト関連の投稿は全て地元紙に掲載されましたが、今回の取材記事は掲載されなかったので、改めて投稿しましたが、掲載されることはありませんでした。

アスベスト労災申請も

 岩手県盛岡市近郊の遺族からアスベスト肺がん労災の相談がありました。都内に本店のある発電所等の工事に携り、63歳で原発性肺がんで亡くなられたが、県内2つの医療機関で、アスベストばく露の指標の一つである「胸膜プラークが無い」と言われたとのこと。都内の労基署に申請したところ、都内の医師は「胸膜プラークがしっかり有る」とし、労災認定されました。

東京土建一般労働組合が運動して出来たじん肺法

 16年6月1日発行の雑誌「労働科学」で三浦豊彦が労働私観論「石屋の項」で次のような聞き取りをしています。
 64年(昭和39)当時、東京土建一般労働組合の石工部部会長であった石黒義雄氏が東京土建副委員長であった久保田保太郎氏と「石工業40年」という鼎談を行っています。
 「東京土建労組の石工部会には500人くらいの組合員がいたが、このうち170人が珪肺で入院していた。戦前から、奴は達者だ仕事がうまいなどといわれて一生懸命働いた人が珪肺で倒れたと語っていた」と石黒、久保田両氏は語っています。
 60年(昭和35)じん肺法制定は、両氏はじめ石工部会員を中心に活動した運動の成果です。ここに底流があり、首都圏建設アスベスト訴訟で国に勝ち、建設アスベスト給付金制度が創設にいたりました。

海老原医師の熱意に学ぶ

 私は東京土建の定年後に再雇用で本部アスベスト労災関係の仕事につきました。その一つが、故海老原勇医師の「しばぞの診療所」で来所する組合員に寄り添い相談を受けることでした。ある日、海老原医師から呼ばれ、「じん肺管理区分の診査がおかしいので不服請求しろ」と言われ、一度に3人の代理請求をしました。審理が進み、反論書の提出が近づいた時に海老原医師は帰らぬ人となりました。請求を取り下げることが最後の仕事になりました。
 今回の工藤さんの事案は、故海老原医師、芝診療所の藤井医師の呼吸器系職業病救済の熱意に応える意義も持って取り組み、勝利裁決を勝ち取ることができました。

その後の経過

 昨年10月に新潟労働基準監督署に労災申請し、今年3月に労災認定に至りました。厚生年金記録等で雇用関係は明確なのに、三菱マテリアルは「粉じん作業現場が明確でない」と主張しました。そこで工藤さんに、当時の指示命令の立場にあった社員、粉塵作業部の同僚、それぞれ3人の苗字を思い出してもらい、労基署に提出しました。労基署がその名簿を基に会社調査したところ、2人ほどと連絡が取れて粉じん現場就労が明確に判断されました。
 会では、会社の不適切な対応もあり、神奈川労災職業病センターさんのご協力を得ながら今後の対応を検討しています。
 現在、工藤さんは一人暮らしで、100m歩くには5~6回休まなければ歩けない状態です。会では市のヘルパーさんと相談し、休業補償で介護施設入居を進めています。