派遣労働者の精神疾患による労災行政訴訟

千葉 茂(いじめメンタルヘルス労働者支援センター)

派遣労働者は「引いている」

2008年の年末、年越派遣村が開設されました。「村民」から話を聞きました。なぜ派遣切りを受け入れたのか。派遣労働者は派遣先の会社や社員に対して「引いている」のだそうです。遠慮している、自己責任と捉えているということのようです。不満をもらしたり要求をしません。だから契約解除を黙って受け入れました。
派遣労働者は、常に「引いている」状況と、雇用不安の慢性的ストレス状態の中にいます。
非正規労働者が精神疾患で就労不能に至った時、労災認定の「認定基準」はどう適用されるでしょうか。
認定基準のなかに「非正規労働者」という言葉は、「出来事の類型」の「④役割・地位の変化等」の中に「「非正規社員であるとの理由等により、仕事上の差別、不利益取扱いを受けた」が「心理的負荷の強度」「Ⅱ」としてあるだけです。
そこでは「引いている」ストレス状態は全く対象になりません。

男性正規労働者中心の調査

認定基準は2011年12月26日に改訂されました。認定のためのストレス評価は、夏目誠大阪樟蔭女子大学大学院教授らによる研究論文「ストレス評価に関する調査研究 健常者群における43項目、および新規20項目のストレス点数と発生頻度」を活用しています。
あらかじめ設定された63項目の1項目ずつに、概ね半年間の生活で「体験あり」の場合、0から10までの11段階の中から該当するものに丸印をつけます。目安として、「0」は全くストレスを感じなかった(感じていない)、「5」は中程度のストレスを感じた(感じている)、「10」は極めて強いストレスを感じた(感じている)です。平均6以上の項目が、「心理的負荷の強度」「Ⅲ」となり、ストレス強度「強」となって、労災認定の可能性が出てきます。
全国の労働者10494人を対象に、職種、業種、年代別が偏らないようにした調査結果をまとめたものです。しかし、そのうち女性労働者は1977人(18・8%)でしかありません。また、非正規労働者については、契約社員451人(4・3%)、派遣労働者111人(1%)、パート・アルバイト185人(1・8%)で、合計でも747人(7・1%)しか対象になっていません。現在の全就労者数に占める非正規労働者の割合36%を踏まえると、男性正規労働者の状況を強く反映したものとなっています。
さらに、非正規労働者は、「戦力低下」や体調不良に陥った場合に契約満了や「自主」退職、つまりはストレス増加が離職に繋がる場合が多くあります。 すると調査の対象になった労働者は、比較的職場環境から発生するストレスが大きくない労働者です。調査結果はこのことからも実態を正確に反映しているとはいえません。

「認定基準」は非正規労働者の申請を排除
調査結果を詳細に分析すると、同じ項目について、正規労働者と非正規労働者とでは、数値に大きな開きが出ています。多くが、正規労働者の数値が大きくなっています。
派遣労働者について見てみます。正規労働者よりもストレス数値が高いのは「1ヶ月80時間以上、100時間未満の時間外労働(休日労働を含む)を行なった」が6・8(正規労働者5・3)、「非正規社員である自分の契約満了が迫った」5・5(4・3 この対象者は、非正規から6ヶ月以内に正規になったということでしょうか?)、「同僚などの病気により負担が生じた」5・5(5・0)です。やはり雇用不安は大きなストレスになっていることがうかがえます。そして長時間労働、過重労働における裁量権の有無の問題があると思われます。
調査項目には非正規労働が独自に抱えているストレスの原因が含まれていません。その結果、非正規労働者が労災申請に際して該当する「出来事」を探すことが難しくなっています。認定基準は、非正規労働者の申請を排除しているといえます。しかし研究者や厚労省、精神科医も非正規労働者のおかれている精神状態と実態についてはまだまだ関心が薄いようです。
Kさんの抱えた三重のストレス

大手運輸会社で派遣労働者として働いていたKさんの労災申請は不支給決定になりました。決定取り消しを求めた行政訴訟が2月24日に結審しました。5月8日の第1審判決結果を待つ段階です。
Kさんは派遣労働者として勤務していた時に直属の上司からさまざまな嫌がらせを受けていました。例えば、それまでは1年間の更新だったのが突然3ヶ月間と告げられます。直属の上司の上司に相談して3か月間の更新は撤回されましたが、その頃から「辞めさせられる」と雇用不安を覚えます。
配送倉庫から顧客の荷物が紛失します。それまで紛失事故は保険で処理できるためうやむやにされていました。しかしこの時は、倉庫に出入りする木村さんの姿がビデオに映っていたというだけで犯人扱いされ、同僚たちにも周知されて疑いの眼差しが注がれます。雇用不安の中でのいじめよるストレス、さらに同僚たちの視線です。しかし防衛手段がありません。心身を維持させるのが困難な状態が続きました。
しかし、生活の糧を失うことが出来ないため無理を続けます。無理を続けることは働くことができていたということではありません。倒れなければ働けないということにはないという判断はあまりにも残酷です。働き続けなければならないという現実を無視します。

疑った後に「実行者不明」
別のある運送会社の支店での事例です。顧客から荷物が配達されないと問い合わせがありました。放置されたままになっているのが発見されました。顧客に事情説明をしなければなりません。犯人探しが始まりました。
支店は本社から定期異動で就任している管理職、地元出身の正規労働者、高齢者雇用安定法に基づく正規労働者出身の嘱託職員、短時間契約の非正規労働者が働いています。
管理職は在任中に問題を起きてほしくないという思いです。正規労働者は仲間意識を強く持っています。嘱託労働者は正規労働者のかつての仲間です。犯人に仕立てられる対象者は自然に狭められ、非正規労働者の1人がターゲットにされました。
非正規労働者は自分の業務遂行を細かく説明して否定しました。すると管理職は「だったら誰が犯人だというんだ」と筋違いなことを言い出します。管理職は非正規労働者の責任にしてこっそり顧客に謝罪に行きました。
後日、非正規労働者はそのことを顧客から聞かされ「気にしなくていいよ」と慰められました。支社に戻って管理職を追求しました。すると管理職は調査を続けることなく「実行者不明」の結論を出して発表します。その結論は非正規労働者にとっては疑いが晴れないままです。周囲の目に耐えられなくなっていきました。管理職に逆らったことで雇用契約更新も期待できません。体調を崩して出勤できなくなりました。
体調が少し回復したのでもう一度事実調査を要請しようとした頃は、管理職は転勤で代っていました。新しい管理職は「実行者不明」だと聞いていると回答しました。しかし非正規労働者にとっては疑いが晴れていないのです。非正規労働は職場に恐怖感を覚えて退職を決意しました。
管理職の自己保身と正規労働者の固い「団結」は非正規労働者の排除に至ります。
一度疑われた後の「実行者不明」の結論は、当事者にとっては疑いが続いているということです。
労基署は、人権侵害の苦痛を軽く捉えている
Kさんが働いていた会社では紛失事件の犯人探しが開始され、警察に被害届が出されます。Kさんに突然、警察署に出頭するよう業務命令が出され、うそ発見器にかけられます。警察署から呼び出されるだけでも恐怖に襲われます。そして直接弁明できない応答を繰り返させられます。普通の生活をしている労働者が生涯においてほとんど遭遇することはないことです。結果は後日に知らされるということですが「クロ」の場合は逮捕・拘留です。三重のストレス状態に恐怖が重なりました。この後、対人恐怖から電車通勤が出来なくなってしまいました。
結果は「シロ」でした。上司はそのことをこっそり伝えて謝りました。しかし、同僚たちには周知されませんでした。さすが会社は「シロ」の直後は契約更新をせざるを得ませんでした。しかしその次は打ち切りでした。この間、体調は回復していません。離職後、労災申請をしました。
経過は「認定基準」が想定しない異常な出来事です。しかし、労働基準監督署は不支給決定をしました。労基署は、労働者が遭遇した事態のなかで襲われる精神状態についての想像力が貧しすぎます。人権が侵害された人間の苦痛を軽く捉えています。
「心理的負荷が極度のもの」で支給決定を
Kさんの案件は「認定基準」の項目には想定しないあまりにも異常な出来事・「特別の出来事」の「心理的負荷が極度のもの」が労働現場で発生したのです。
裁判所は、「認定基準」が持つ限界性を踏まえながらも「心理的負荷が極度のもの」であったことをしっかりと捉え、不支給決定の取り消しを行なうことを期待します。