産業保健の目 感情労働をめぐって

神奈川労災職業病センター所長・医師 天明 佳臣

感情労働とは

カリフォルニア大学のホックシールド教授は、1983年に「管理される心」と題する著書を発表し、感情が仕事の大きな要素を占める職種を感情労働と名付けました。看護師、介護士、レストランのウェイターやウェイトレス、航空機の客室乗務員など、対人サービスの職種は、すべて感情労働者です。
従来から肉体労働、精神労働という職業分類がありますが、感情労働は当てはまりません。感情労働の特徴として、ホックシールド教授(以下「ホ教授」と略)は、次の3点をあげています。
第一に、対面するか、声を掛け合うか、いずれにせよ人々との接触が不可欠であること。
第二に、接触する相手の感情に変化を起こすこと(例えば感謝や不安など)が求められること。
第三に、雇用者は研修や管理体制を通じて、労働者の感情活動をある程度支配するということ。
どんな雇用労働においても、感情管理は必要でしょうが、感情労働とあえて呼ぶのは、労働者と顧客との間でやりとりされる感情に、商品価値があるからです。例えば接客業の場合では、温泉旅館の仲居さんに求められている感情労働で、経営者が期待しているのは、失礼な客に対しても怒りやイライラを隠して、感じの良い笑顔、優雅な物腰、そしていろいろな状況にあっても冷静かつ的確な対応をすることです。

二つの感情労働

ホ教授が指摘したのは、表層演技と深層演技です。上述した旅館の仲居さんのように、客との関りが一時的であり、不愉快な要求や態度に対しても、不快な表情を見せず、冷静さを装い、本来の感情を相手に隠す。「偽りの自分」を演じて、相手をだましているが、自分自身をだましていないのが「表層演技」です。横浜のあるホテルは、「妥協なきおもてなしと期待以上の最良のホスピタリティ」を理念に掲げています。その実現に向かう従業員のストレスは大きいでしょう。
一方で、病院の患者さんと接する看護師や施設の利用者との関わりを持つ介護士が求められるのは、一時的ではない「心からの笑顔」や「本物の思いやり」です。そうした自然な感情を得るためには、偽りの自分ではだめで、自分の感情自体を管理し、不適切な感じ方を変えるしかありません。自らの内面にまで働きかけて、感情を加工する感情労働が深層演技です。

感情労働にともなう
ストレス対策

ホ教授の感情労働の提言以降、国際的に産業心理学領域の感情労働の研究が行われています。とくにジェンダー(文化的・社会的な役割としての性)の視点から、女性優位の職場における感情労働研究が盛んです。
日本では、武井麻子が、「感情と看護―人とのかかわりを職業とすることの意味」(2001年/医学書院)で、看護師が直面する感情労働のさまざまな具体例とそのストレス対策に言及しており、看護に関わる人々にとって必読書です。実は私も武井先生の著書が感情労働を考える契機となり、ホ教授の原著も入手しました。問題提起20周年版の原著へのあとがきの冒頭には、ロンドン、シドニー、アトランタ、シカゴ、ダラス、ニューヨークへの航空機旅行中に、何人かの客室乗務員の方たちに、自分の手を温かく、固く握られたと書いています。
感情労働のストレス対策の基本は、メンタルヘルス対策の一次予防(職場ストレス要因の把握と予防対策)でしょう。そのためには、まずは勤務者同士の支え合い、メンタルヘルス教育の実施があげられます。その結果を事業所の産業衛生スタッフにつなげること(二次予防)、さらには私たちのようなソーシャル・サポート組織もお忘れなく。