患者会派遣団20名がイギリスの「中皮腫の日」に参加

患者会派遣団20名がイギリスの「中皮腫の日」に参加(中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会)

●バーミンガムにおける活動記録

17年7月4日から9日まで「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」から20名がイギリスに派遣され、イギリスのアスベスト被災者の団体と交流し親睦を深めた。これは、イギリスで毎年行われている「アクション・メゾテリオーマ・デイ(中皮腫の日)」に日本のアスベスト患者団体が参加し、イギリスの被害と被害者の運動に学び、またお互いに交流して、今後の活動に寄与することを目的とした取り組みである。
「アクション・メゾテリオーマ・デイ」は、アスベストの諸問題について多くの人に知ってもらうために、イギリス各地で同時多発的に行うイベントであり、私たちは4人5グループで、マンチェスター、リバプール、バーミンガム、ダービー、シェフィールドの5都市に分散して参加した。
そして「患者と家族の会」山梨支部の渡邊雅雄、渡邊周美、渡邊羊子、神奈川支部の鈴木江郎の4人グループが、イングランド中部の中核都市であるバーミンガムの「アクション・メゾテリオーマ・デイ」へ参加したので報告する。バーミンガムで私たちを受け入れてくれたのは、現地のアスベスト支援団体のAsbestos Support West Midlandsで、そのスタッフのダグさん、キャロラインさんに様々な会合やバーミンガムの街を案内して頂いた。

イギリス視察に参加して(渡邊雅雄)

イギリス行きの誘いを受けて自分に与えられた使命だとばかり、息子の嫁さんたちを巻き込んで行ったイギリスは、アラ還の私にとってはだいぶきついものがあった。まずは、食べ物、時差ボケと言葉の壁、記録とあらゆる面で困惑してしまった。同行の患者と家族の会の方々の中には私より年上の方もいたが、たいしたものだと感心する。
建築に関わる者の立場での感想を書かねばなるまい。いくつか驚いたことがある。マンチェスター郊外のターナー社跡地の見学に行った時の事である。自然が美しく広がる、まるで宮崎駿の天空の城ラピュタの世界のようだ。うっそうと茂る、とは言ってもイギリスは日本の北海道より北にあるためか、山梨の荒れ地に生い茂る雑草の藪のようではなく、壊れかけた柵のはるか向こう300m位だろうか、かつて産業革命の折には大企業でイギリスの、世界の経済を牽引してきたであろう鉄骨造りの3階建てと思わしき廃屋、幾カ所も窓ガラスの割れた建物が建っていた。この場所は紡績工場であったが、アスベストが発見されると、燃えない繊維ということで非常に生産が活発になったそうだ。これにより当時、会社は相当な利益を出したことだろう。

マンチェスター郊外のターナー社跡地

この利益を出したことが災いしてか、早くから工場労働者に異変が起きても生産を止められなかったのは、人の欲望に対する悲しさを覚える。あまりにも多くの被害者を出して工場の閉鎖を余儀なくされても人の欲望には限がないのか、この地のアスベストを完全除去しないまま住宅地への転換を図ろうとして、計画が住民の反対を受けるまで、いや今でもそれを推し進めたい人たちがいるようだ。確かにただの廃屋となった大きな工場が雑草の中に残っているだけの様に見える。見学に行った我々もアスベストがあちこちに無造作に埋められているとか、工場内にはそのまま放置されているとか聞いてもあまりピンとこない。
福島の原発事故

話はそれるが、この時、福島の原発事故の時のことを思い出した。浪江町の人たちが一斉に原発の風下に向かって避難したのを鮮明に覚えている。当時、茨城の取手市で工事をしていた私はカーナビで福島原発の方向を調べ、自分のいるところが風上かどうかを本能的とでもいおうか目に見えない放射線もきっと埃のように風に乗って飛んでくると考え、外で仕事をする時はマスク、防塵服を着て、室内に入るときはブロアーで目に見えない放射線を吹き飛ばしてから室内に入ったものだ。 ところがこの工場跡地に来ると、見学に来た者たちばかりか近隣の方だろうか犬を連れて散歩に来ていた。アスベストの粉塵は細かく目には見えないサイレントキラーなのを誰もが知っているはずなのに我々見学者も、案内をされたマンチェスターの方も誰一人としてマスクを付けるなど防護をしていない。「皆で渡れば怖くない」という言葉が以前流行ったが、皆でいるから危険ではないことなどアスベストにも放射線にも通用しないのだ。イギリスの被害状況が日本の10年先を行っている。つまり、このイギリスの被害状況が10年後の日本に起こることを知って、それぞれの立場で学んでくるためにこの企画がなされたわけである。日本に於けるアスベスト予防に関することは、この工場見学に如実に表れていると言えるだろう。胸膜プラーク、中皮腫、肺がん、すべて怖い、苦しい病だということは誰しも知っており、その治療、補償、ケア等、今回参加した方々が当然のごとく考え、体験されていることである。

バーミンガムで労働組合との話し合い

バーミンガムで労働組合の方々との話し合いの席で、住宅リフォームをしているという方が白い粉を付けた指を見せながら、こんなにアスベストがリフォームの現場では残っていると見せてくれた。粉は本物かどうか判らないが、私が公共工事をした時は、たった数枚の天井に張ってある大平板を撤去するのに、フルフェースの毒ガスマスクのようなものを付け、しかも電動ドライバーは粉塵が出るので手回しのドラーバーで、かつ外したら即ビニールでくるんで飛散しないようガムテープで固定するように言われたものだ。これは大げさなのか、或いは必要なのか、敵はサイレントキラーのアスベストである。30年、40年後に結論が出る。いずれにしても身の回りに恐ろしい程アスベスト建材が使われている。

天井裏の吹付アスベスト

8月半ばの事だが、私の所属する建設組合を通して、一般市民の若い方から中古物件を購入したら天井裏に吹付アスベストがあるのが見つかったがどうすればよいのかという相談があった。検査方法や処置方法を伝え、さらにはどこにどの様に使われているか説明した。他にも、これから中古物件を購入したいがアスベストはどこに使われているのか等の相談があった。この様に、多くの方がアスベストに関心を持ち、これ以上被害者が出ないように願う。

バーミンガム支援団体とアクション・メゾデリオーマ・デイ(渡邊周美)

バーミンガムの駅構内で「石綿被害者に正義を!」と日本語で印刷された紙を掲げて私たちを出迎えて下さったダグさんが、バーミンガムでの責任者です。また同じく支援団体のキャロラインさんも出迎えて下さいました。ダグさん、キャロラインさんが働かれている団体Asbestos Support West Midlandsは、West Midlands Hazards Trustという労働安全センターの傘下にあります。バーミンガムを中心としたイギリス中西部をカバーしています。
バーミンガムでは建築関係者はもちろんのこと、学校建物における環境暴露の報告が増えているとのことでした。バーミンガムにて中皮腫の診断を受けた際は、東に直線で55キロ、車や電車で約1時間の距離にある街、レスター(Leicester)の病院を紹介されることが多く、その理由は、専門家の医師が2名いるからだそうで、近くに頼りになる医師がいる点では他地域に比べると多少は恵まれているとのことでした。しかしながら、移動が難しくなる患者さんも多いため、自宅からなるべく近くに医療体制が整うことが望まれています。
この仕事は時間との勝負

アスベスト関連疾患の患者さんを病院側から支援団体に自動的に紹介するシステムが出来上がっているということですが、それは支援団体側が病院を一つ一つ回って挨拶し、自分たちの活動を理解してもらう地道な努力から発展したそうです。初めに紹介した何人かの患者さんが、「手厚い支援を受けた」と病院側に良い報告をして下さったことで、病院と支援団体のパイプラインができたそうです。1~2週間に1人新しい中皮腫の患者さんからの問い合わせが来ており、連絡を受けたら一刻も早く会いに行くことを心がけているそうです。診断を受けるまでは元気で、5日後には亡くなった方もおられ、この病気の性質上、すぐに支援を始める必要があるとおっしゃっていました。「この仕事は時間との勝負だ」と使命感を持っていらっしゃるキャロラインさんの姿が印象的でした。現在、相談は増えているため、新たにスタッフを雇う必要があるそうです。

私の夫も肺がんだった

アクション・メゾデリオーマ・デイでは、医師の報告、現地の被害者家族の方の体験談があり、鈴木さんが日本の現状を報告され、義父雅雄が自らの体験談を分かち合いました。参加者からは、「専門の看護師をもっと養成してもらいたい」という訴えがありました。具体的な相談をされる方もおり、医師が発表後に個別に話を聞くという一幕もありました。
鈴木さんが持参した患者と家族の会のチラシを会場で配らせていただき、多くの参加者の方が興味を持って下さいました。すべて日本語で書かれてありましたが、丸本様や中田様の写真を見ながら「どのような方ですか?」と質問される方もいて、説明致しますと「私の夫も肺がんだったのよ」と涙を流されていました。私の手を握る方、ご自分のことを話される方もいました。裏にある電話番号のリストを見て、「こんなに支部があるほど患者さんがいるのね」とおっしゃる方もいました。義父雅雄に「うちのだんなも大工だったのよ」と手を差し伸べる参加者もいました。キャロラインさんから後に連絡がありましたが、多くの参加者の皆さんが日本の状況を知り、実際に顔を見て話を聞けたことを感謝しているとのことでした。

死ぬのなんか怖くないよ

ダグさんは、元々は修理工をされていましたが、アスベスト問題の深刻さを知り、本格的に支援活動に携わるようになったそうです。大変温厚で、様々な知識と独特のユーモアを持ち合わせた方です。私たちの質問に正確な情報を持って答えて下さり、また冗談を言って笑わせて下さいました。仲間の方々がおっしゃるには、苦しみの中にいる患者さんが、ダグさんに会って話をするだけで笑顔を取り戻し、「死ぬのなんかこわくないよ」と言える程だそうです。彼の人柄に多くの方が魅了され、信頼を寄せていることが分かりました。アスベスト問題の今後を思うと決して楽観できる状況ではありませんが、このような支援者がいらっしゃることも分かりました。おみやげに富士山の形をした、人間の言葉をマネして話すマスコットを渡しましたが、後日ダグさんから「今はオフィスに置いてあって、訪問される患者さんたちが喜んで笑っているよ」と連絡がありました。

皆さん、
希望を捨てないで

私自身はこの機会がなければアスベストのことを何も知らずに過ごしていただろうと思います。鈴木さんがお知りになりたかった現在進行形の専門的な情報をどの程度正確に通訳できたかは分かりません。しかし、歩きながら食事をしながらの現地の方々との交流には、多少はお役に立てたかなと感じております。患者の会の皆さまとは初対面で、ゆっくりと話す時間はありませんでしたが、お世話になりありがとうございました。一番印象に残ったのは、ロッチデールの工場跡地での現地の方のお話です。工場が閉鎖されてもなおアスベスト利権と対峙せねばならない一般市民がいる現実を突き付けられました。
アクション・メゾデリオーマ・デイの終わりに、ある遺族の女性が語られた言葉を最後にお伝え致します。
「皆さん、希望を捨てないで。良い薬が開発される日は近いと信じましょう。栄養のあるものを食べて、健康に気を付けて運動をして。笑って。」
当事者ではない私に託された手の温もりとバーミンガムの皆さまの思いを、文面を通してではありますが受け取っていただけたらと願います。

街の紹介とアスベスト視察報告(渡邊羊子)

バーミンガムの街の紹介を分担することになりましたので簡単にご紹介します。バーミンガム患者会の方に街を案内していただきました。道路脇にある階段を下りていくと、運河沿いの小道に出ました。バーミンガムの運河は最盛期は257㎞あったそうですが、今は一部が残されています。運河沿いを歩くと、カラフルに彩られた小屋付のボートがいくつも係留されているのが見えました。ボートには実際に住めるそうで、患者会の方にも、一時期ボートで生活していた方がいらっしゃいました。

歴史ある建物と
近代的な建物

バーミンガムは、歴史ある建物と近代的な建物が一緒に見られる地域でもありました。ロンドン、マンチェスターでは築100年以上の建物がほとんどのように見えましたが、バーミンガムでは新しい建物を建てようという意識が強いそうです。
街中で特に目立っていたのは、10階建ての巨大なバーミンガム図書館でした。この図書館にはシェークスピア図書館がまるまる移築されているそうです。外壁はゴールドの壁面に円をいくつも重ねたデザインで、遠くからでも目を引く近代的なデザインでした。また、街のいたる所に高さ2mほどのクマのオブジェがあり、それぞれ真っ赤に塗られたり、シェークスピアのペイントがされたりと、インパクトがありました。どちらも歴史ある建物の中で異彩を放っていましたが、歴史あるものと近代的なものが互いに主張しあうのが、バーミンガムらしさなのかもしれません。

若い人の、アスベストに対する関心は高くない

さて、今回のアスベスト視察についてですが、様々な報告や交流を通し、私はアスベストが身近な問題だと実感しました。私と同世代の日本人(同世代以外もそうかもしれませんが)の多くは、アスベストの問題をよく知らないと思います。
イギリスでも、状況は似ているようです。バーミンガム患者会の方によると、イギリスでも若い人のアスベストに対する関心は高くないとのことでした。建設関係者であっても、病気になるのは30~40年後なので、深刻に考えない人が多いそうです。知識や関心を持つ人が増えることで、状況が改善していくこともあると思いますので、私自身これからもアスベストの問題について学び、身近な人にも話していきたいと思います。

アスベスト問題についてイングランド中部の労働組合と意見交換(鈴木江郎)

バーミンガムでは、午前中にAsbestos Support West Midlands他によるキャンペーンに参加し、午後はイギリス全土で50組合560万人を組織している労働組合TUC(Trades Union Congress)のイングランド中部地域の安全衛生担当者との意見交換を行いました。バーミンガムの市街地から少し離れた工場街にある地元の労働組合CWUの建物内にてAsbestos Support West Midlandsから2名、TUCから5名、そして私たち4人と通訳1人が参加しました。
この会合では日本のアスベスト被害の現状に関して知りたいという要望があり、建築物のアスベスト使用実態については渡邊雅雄さんが説明し、私は日本の被害状況全般と支援の取り組みについて説明を行いました。

「石綿ばく露作業による労災認定等事業場」の公開について

まず、どんな職業でアスベスト被害が出ているかを示すために「石綿ばく露歴把握のための手引」(http://www.asbestos-center.jp/asbestos/tebiki.pdf)の写真を使って、日本の労働現場におけるアスベスト使用状況を説明し、続いて、厚生労働省の「石綿ばく露作業による労災認定等事業場」の公開(http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/sekimen/ichiran/081217-1.html)とその意義について説明しました。
TUCからは「これらの官製情報は信用できるのか?」という質問がまずあり、政府の情報は鵜呑みにしないという市民感覚(労働運動)が徹底しているのだと感心しました。私からは「手引き」の情報はアスベスト被災者が協力して作り上げたものである事、また「事業場公開」は企業からの反対圧力を私たち患者と家族の会が押し返し、継続させている事を説明して、行政への働きかけの重要性について共通認識を得ることが出来ました。

アスベストユニオンについて

また、患者と家族の会とは別団体ですが、せっかくの機会なので「アスベストユニオン」というアスベスト被害者の労働組合について紹介しました。アスベスト被害が発症した時は、多くの場合、既に会社を退職しており、会社と交渉することが困難です。しかしアスベストユニオンの取り組みにより、最高裁はアスベスト被害を受けた退職者の団体交渉権を認め、これによってアスベストユニオンに加入し会社と団体交渉する道が開けたのです(http://asbestounion.web.fc2.com)。
多くのアスベスト被害者がアスベストユニオンを通じて会社と交渉し解決している事を紹介すると、TUCの参加者全員に非常な驚きをもって受け止められました。アスベスト疾患で退職後に労働組合に加入し、会社と団体交渉している事例はイギリスでも類例のない先進的な取り組みであると、多いに関心をもって頂きました。

日本でも全国一斉のキャンペーンを!

私が今回のイギリス訪問で感じた事は、アスベスト被害にまつわる現状と課題が日本とイギリスで共通している事です。治療方法がまだまだ進歩の途上であること、地域による医療格差が生じていること、特に中皮腫についての情報不足と患者・家族の孤立が余儀なくされていることなどです。もちろんアスベストによる被害者が今もなお出続けている事も同じです。
これらの課題を克服するための取り組みとして、イギリスでは毎年、「アクション・メゾテリオーマ・デイ」のキャンペーンを全国各地で一斉に行っています。アスベスト問題について被害者自らが地元で声を上げ、人々に注意喚起し知ってもらうキャンペーンです。これは非常に意義のある重要な取り組みだと思いました。私たちもこのイギリスの取り組みに習い、日本でも同様な全国一斉のキャンペーンを行う必要性を感じました。またこのキャンペーンが世界中に広がれば、世界中のアスベスト被害者との連帯を通じて、今もなお世界のいたるところで使用されているアスベストを禁止させる取り組みにつながっていくと思いました。