アスベスト肺がん日本製紙事件 団体交渉で解決
塚原久雄(アスベストユニオン執行委員)
島根県にある日本製紙江津工場で42年間、工務関係業務に従事してきたIさんが、退職後の2012年に肺がんを発症し、手術を受けた。計装機器の保温作業をしていたことや先輩が中皮腫で労災認定されたことを思い出し、労災申請を行うと、監督署は、病院に残っていた肺の組織片を岡山労災病院で病理検査を実施。基準値を超える6170本もの石綿小体が確認され、2013年に労災認定された。
Iさんの先輩が中皮腫で亡くなられた時、会社から見舞金100万円が支払われたことを聞き、会社に補償制度の問い合わせをしたところ、会社から「アスベスト災害特別補償内規」が郵送されてきた。内規には死亡時の弔慰金規定しかなかったため、死亡時以外の補償の検討を求めたが、結果はゼロ回答だった。
この頃、「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」が山陰で相談会を行っており、相談会にIさんも参加。その後も何度か兵庫のセンターに相談の電話があったが、「長年お世話になってきた会社」という思いが強く、穏便に解決を求めたいIさんにとって、アスベストユニオンに入って交渉を行うことは高いハードルだった。
そうした中、今年1月、Iさんからの電話を受けた私は、「電話ではなく、一度お会いしてお話ししましょう」と、出雲で会う約束をした。穏便に話し合いで解決したいという思いはユニオンも同じだということ。多くの企業はユニオンとの話し合いで解決してきたことを説明すると、ようやく納得され、ユニオンに加入された。
ユニオンからの団体交渉申し入れに対して、会社からすぐに団体交渉に応じる旨の回答が寄せられた。さすがに企業内組合がある会社だ。
第1回交渉でIさんは、会社対応があまりにも不誠実だった点について思いの丈を述べた。会社は、その点について謝罪し、誠意を持って交渉を行うと約束した。
その後、電話などで具体的な補償内容の折衝を行った。会社は、Iさんの肺がんがタバコによるものではないかと疑っていたため、病理検査データーを提示して無用な争いを回避するよう説得した。会社も早期解決を希望し、内規(支給水準や年齢区分)の見直しは困難だが、運用で労災認定時に見舞金として一定額を支給したいと回答してきた。交渉の結果、アスベスト補償制度内規は上表のように運用されるようになり、認定時点で見舞金が支給されるようになった。
また、会社は、Iさんが再雇用後に肺がんを発症したため定年退職の場合と比較して休業補償給付が大幅に低くなったことや、健康管理手帳を取得せずに労災認定を受けたために見舞金の一部が受け取れないことなどを勘案し、特別見舞金300万円を支払うと回答。Iさんもこれを受け入れ、6月19日に合意した。
ユニオンは、交渉前に安倍川製紙労働組合が王子特殊紙との間で結んでいた補償規定を入手し、補償額の引き上げを求めたが、会社もその内容を理解した上で「製紙業界には補償規定もない会社も多く、トータルとして見た場合、決して低い水準でない」とし、補償額全体の引き上げには至らなかった。交渉後、Iさんから手紙が寄せられたので、紹介する。