動き出した公立学校における教職員の安全衛生対策

神奈川労災職業病センター所長 天明佳臣

はじめに
公立学校での安全衛生といえば、児童・生徒のことばかりが取り上げられてきたようです。それにしても、今だに教育現場のほとんどに空調設備がないのは信じがたい。夏休みがあることも理由にされているようですが、現場の実態を知らない人の発想でしょう。昨年9月の残暑や今年7月初めの炎暑を考えれば明らかでしょう。そもそも教員は、夏休みのかなりの日数を出勤しています。教員が病気やケガをしても、自己責任として、背景や関連要因を考慮されることなく見過ごされているようです。とりわけ組合に加入していない教員の中にそうした風潮が強いそうです。ある県の高校教員の健康調査に関わったときにも、そんな印象を受けました。

しかし、今ようやく、多くの公立学校教職員の健康状態について、他ならぬ文部科学省が、深刻に受け止め始めてきたようです。

どんなところに進展がみられるか
文部科学省は、07年12月に、「公立学校における労働安全衛生管理体制の整備について」という通知を、全国の教育委員会と教育長に出しました。これは05年12月の「教職員のメンタルヘルスの保持についての通知」と、06年の「労働安全衛生法の一部を改正する法律等の施行について」に続くものです。そこには重要な文言が記載されています。「08年4月より、常時50人未満の労働者を使用する事業場も含め、全ての事業場の(長時間残業者の)面接指導等が義務づけられることになっており、これまでの整備を速やかに行う必要があります」とした点です。

公立小学校では教職員の人数が50人未満であるところが多く、安衛法では衛生管理者の選任が義務づけられていません。おそらくそのこともあるのでしょうか、特に公立小学校では、安全衛生活動があまり活発に行われていませんでした。

●その1/活動する衛生推進者
しかし、あまりにも劣悪な教育現場の実態に耐えられず、立ち上が教職員も出てきました。そうした人たちの活動が依拠した法規の一つが衛生推進者です。

安衛法第12条の2、安衛則第12条の2で、使用する労働者の数が常時10人以上50未満の小規模事業場においても、安全管理者を選任すべき業種では安全衛生推進者を、それ以外の業種については衛生推進者をそれぞれ選任しなければならないとなっています。従って、小規模小学校では、衛生推進者を選任し、作業環境の点検、健康診断の結果チェックおよび健康の保持増進のための改善など、衛生に係る業務をやらなければなりません。

数年前のことですが、首都圏の、ある政令指定都市の教育委員会に対して、衛生推進者について問い合わせてみました。即答は得られず、後日、教頭や養護教諭がなっているとのお返事を頂きました。どう見ても、いわゆる「充て職」、上部行政機関への報告上、名前をあげているだけで、当事者自身にさえ選任されている自覚があるのかどうか疑わしいと思いました。

公立学校教員の多くは、これ以上仕事が増えてはたまらないというのが、おそらく本音だと思います。しかし、教職員組合の教員が率先して講習を受け、衛生推進者になるべきだとする取り組みをしてきた組合があります。

例えば、埼玉県の志木市教職員組合では、02年度までに2回、教職員の健康・労働実態調査を行いました。長時間過密労働と劣悪な職場環境の実態を明らかにし、市教委に対して、衛生推進者は養護教諭に充てるのではなく、職場で自主的に決めることにするように働きかけました。衛生推進者に法規で定められた職務を果たさせるためです。同時に、衛生推進者になるための講習参加を公費負担とする要求も実現しました(安全衛生推進者等になる資格については、1988年の労働省告示第80号に、5つの有資格者が提示されています。その4に「労働省労働基準局長が定める講習を修了した者」があります)。

07年には、市内2校で、安全衛生に意欲を持つ一般教諭が衛生推進者となり、学校の重点目標に「教職員の健康」を入れるなどして、教職員の健康を学校全体として取り組み始めました。活動的な衛生推進者が問題提起をして、当該職場の現場の実態に応じたものであれば、必ず支持者が現れるものです。誰もが健康について同じような不安を抱えているのですから。すでに述べた文科省の一連の通知が、教育委員会のこうした現場の動きに対する姿勢に少なからず影響を与えているのでしょう。

公立学校の教職員数が50人をめぐって語られるとき、しばしば問題になるのは学校長です。校長は、確かに学校では管理監督者です。しかし予算的な権限などは極めて限られており、安衛法上は労働者と見るのが正しい解釈とされています。教職員の健康は、教育現場全体で取り組むべき問題ですから、具体的な課題を職場に提起し、校長も巻き込んだ活動にしてゆく努力は不可欠だと考えます。公立学校における安衛法上の事業者とは、教育委員会です。

●その2/労働条件改善に向けての衛生委員会の結成
越谷市の、ある小学校では、1997年に衛生委員会が出来ています。衛生推進者の場合もそうですが、越谷市にも一人のキーパーソンの活動があったようです。劣悪になっていく学校現場の労働条件、市内の小学校初任者教諭の自死、教員だったお兄さんの急死といったことに加えて、さらに組合の学習会で、安衛法の重要さを改めて思い知ったそうです。まず、組合の企画委員会で説明し、教務の教員にもしっかりと確認をとり、①なぜ作るのか、②(法的)根拠は何か、③何をするところか、④自校でやることを記した提案書など、慎重に準備を進めました。そして、ある日の職員会議で提案しました。司会の先生が、「今提案された委員会を新しく作ることでよろしいでしょうか」と確認したところ、職員会議はシーンと静まり返りました。そんな雰囲気の中、2人の組合員が「いいです」「はーい」と賛意を表明し、質問もなく衛生委員会はできました。

ここに、安全衛生が職場で働く全ての人の問題であることの特徴がみられます。反対することは、自らの首を絞める行為になるのですから。その後、この学校の衛生委員会は、安全衛生活動の基本に忠実に取り組みました。実現可能な案件を全職員に提案し、実現に向けて出来る限り多くの教職員が動いているのです。例えば、運動会の重い入場門を軽いものに変える、職員室の流し台の詰まりの修理、トイレの臭いをなくすなど、安全衛生委員会が学校長を通じて市教委に提出しています。いくつかの要望のうち、職員室内の湯沸器の設置が「予算上無理」となったようですが、予算が付かなかったために設置されないことが、教職員全体に周知された事の意味は小さくありません。

やがて、この衛生委員会は、一つの小学校の教職員が50人を超えた機会に、県の人事委員会にも度々提起した結果、教育委員会から「1校だけではなく、44学校を同一事業場とみて、全体を通じて総括的な衛生委員会をつくる」という回答を引き出しました。03年12月のことです。さらにさまざまな活動を積み重ね、05年4月には越谷市と市内44校のそれぞれに衛生委員会ができています。

その過程で、衛生委員会は何回も学習会をもっていますが、そのテキストは「公立学校職員の安全衛生管理ハンドブック」です。これは96年に当時の文部省、自治省、労働省の三省合同で作成された、学校の労働安全衛生についての報告書を基にしてできたものです。

安衛法遵守の大きな武器「措置要求」と、地域実態に応じた安全衛生委員会の設立
「事業者が講ずべき快適職場環境の形成のための措置に関する指針」(92年7月1日労働省告示第59号 改正97年9月25日同省告示第104号)には、「快適な職場環境の形成を図るために事業者が講ずべき措置」として、温熱条件について、屋内作業場においては温度、湿度等を適切に保つこととあります。措置は、学校も含む社会福祉施設などの利用を法律に従って決定することです。前項で述べた小学校の衛生委員会の「要望」は、すべて「措置」すべき項目になります。措置要求は都道府県の人事委員会に提出し、法律に明文化されている事項の実施を要求すること、従って法律違反の是正に大いに威力を発揮します。いくつかの要求・要望に対して、のらりくらりと曖昧な返事を繰り返してきた市教育委員会も、措置要求と聞いて急に姿勢を一転するケースも少なくありません。

仙台市では、06年度から全ての市立学校に安全衛生委員会が設置されています。一方、千葉県船橋市は、全市を一つの事業場とみなして、船橋市市立小・中学校安全衛生員会を結成しています。市立学校が84校、教職員数は2000人以上という大きな規模の自治体ですが、市立学校の中には教職員15人程度の小規模校が珍しくないからです(小規模校では教職員が多忙のため、安衛活動が形骸化しないために)。

また、組合の組織率が低い職場では、組合代表に過大な負担が強いられないような配慮も働いたようです。ただ、教職員50人以上の市立特別支援学校と市立高校では、それぞれに安全衛生委員会が設立されています。

安全衛生の先行自治体には、すべての社会活動に共通しているように、既に述べたようなキーパーソンが必ずいます。そして、しばしば現職教諭の過労死とみられる事案もあり、教職員の健康状態や労働条件の調査が行われており、教職員の仕事の負担が大きく疲労状態にあることを明らかにしています。私が話し合った教職員組合の役員の方は、一部の青年教諭の中には、「子どものため」の美名のもとで、「情熱とやりがいがやせ細っていくと感じる人が出ているのも現実です」と言い、しかし、過労死で命を失った仲間の死を無駄にしたくない、と熱く語っていました。

冒頭でも触れたように、文科省自体も危機感を持っている状況は、教育現場で安全衛生活動を進める上で、追い風にあるという私の意見は、あまりにも職場の実態がひど過ぎるせいでしょうか、必ずしも賛成ばかりは得られませんでしたが・・・。 私たちとしては、過労死事案ばかりではなく、相談を受けたケースについて当該校の負担状況の把握に努め、適切な助言ができるように精一杯努力してゆくつもりです。