センターを支える人々:小田島・向笠(中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会「神奈川支部」世話人)

小田島章さん

小田島章と申します。私は57年から77年頃まで真空管製造のための電子炉製作作業に従事し、そこでアスベストばく露し、11年に肺がんを発症しました。そして神奈川労災職業病センターの協力を得て労災認定され、現在も労災療養中です。センターの紹介で十条通り医院の斉藤竜太先生に診てもらっていますが、なんと奇遇にも、私も斉藤先生と同じ岩手県沢内村の出身なのです。岩手県にいた頃はスキーがとても得意で、県大会に出場するほどの腕前でしたが、肺がんを発症してからはスキーが出来なくなってしまい、悔しい思いをしています。今の趣味は油絵を描くことです。趣味が高じて、章山という称号も頂き、先日は、自作の個展も開きました。最近は、観音様の絵を描いて欲しいというリクエストを多く受けます。

私は15年に中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会の神奈川支部が設立された時から同支部の世話人を務めています。私もセンターの皆様に支えられてここまで来たので、今度は恩返しとして、支える側で貢献したいと思います。患者と家族の会ではアスベストの患者さんやご家族が参加されますので、絶望せずに希望を持って生きていきましょうと伝えていきたいです。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

向笠眞弘さん

向笠眞弘と申します。私の父が14年に肺がんになり、職歴を訊いたところアスベストを扱っていた事が分かり(船具商で石綿製品を取り扱う)、入院した病院の主治医にその事を告げレントゲン写真を見てもらいましたが、胸膜プラークはないとの診断でした。そこでセカンドオピニオンを求めてネットをいろいろ検索して最も信頼できそうな「神奈川労災職業病センター」にたどり着きました。労職センターから名取先生を紹介していただき診てもらったところ、胸膜プラークがあることが分かり、無事に労災認定されました。
父と一緒にお世話になった労職センターに恩返ししたいと思っていましたが、15年1月に父が亡くなってしまいました。そこでその遺志を継いで、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会「神奈川支部」の立ち上げから世話人として活動させて頂いています。

患者と家族の会の活動を通じて、より多くの人にアスベストの恐ろしさを知ってもらい、被害に遭われた方の補償・救済に役立つ組織にしていきたいと思います。神奈川支部では、支部の会員で県営住宅のアスベストで亡くなった斉藤和子さんの遺志を継いで、日本中の公共住宅などの建物アスベスト被害の取り組みを進めたいと思っています。

私の職業はミュージシャンで、キーボード奏者・作曲家・アレンジャー等をしています。かつて「5カラット」というバンドのメンバーでした。「5カラット」は「ジンギスカン」という曲で79年にデビューし、その年の「日本有線大賞・新人賞」を獲りました。ミュージシャンとして、音楽のチカラでアスベスト被害者の為の活動や一般の人への啓蒙活動をしていこうと思っています。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。