センターを支える人々:右田孝雄(中皮腫サポートキャラバン隊)

死ぬまで元気です

皆さま、初めまして。中皮腫サポートキャラバン隊の共同代表・右田と申します。

「死ぬまで元気です」この表題は、関西労働者安全センターの会報で掲載しているコラムの題名です。この表題のとおり、私はギリギリまで元気に笑っていきたいと思っていて、地方で人から「元気でね」と言われたら、必ず「死ぬまで元気やから」と笑顔で返します。

私は2016年5月、自宅で寝ていたら違和感があり、すぐに近くのクリニックで診てもらった結果、右肺がレントゲンで見ても分かるくらい小さく写っていて、すぐに和歌山労災病院へ紹介状を書いてもらってすぐに受診しました。最初はガンなのか結核なのかと色々調べて、「悪性胸膜中皮腫」と確定診断を受けました。「余命2年」、主治医の残酷な一言が私の心にグサリと刺さり、その後の説明なんて入ってきませんでした。

「中皮腫」聞いたこともない病名に、主治医に「手術はできない」と言われ、抗がん剤治療になりました。当然暫くは生きる屍の様に落ち込んでは「なんで自分なんやろう」と嘆いたりもしていました。しかし確定診断から約1ヶ月、私に1つ目の転機が来ました。ヨーロッパでテロが起きて200人以上の方が一瞬にして命を落としたのを見て、私は「まだ生きてるやん。せっかく2年の猶予を貰ったんやからやりたいこと思いっきり楽しもう」と思って、ブログを始めたり、髪の色を金髪に染めたり、甲子園に野球を観に行ったり好きなアーティストのコンサートを観に行ったりと治療の合間を楽しく過ごしました。

確定診断を受けて1年が経った頃、2つ目の転機である栗田英司氏と出会ったのでした。彼が17年も闘病していると聞き、「中皮腫って予後が悪いと言われているけど、ボクみたいに長生きしている方も探したらいるんだよ」ということを教えてもらい、2人で全国の長生きしている患者さんや元気な患者さんを探してインタビューをしようと意気投合しました。そして全国に点在する中皮腫患者さんに会いに行ったのが『中皮腫サポートキャラバン隊』の始まりでした。それからというと、全国を走り回って講演会やピアサポートをしたりしながら出会った患者さんと励まし合ったり、セミナーや市民公開講座に積極的に参加し患者力を高めたり、栗田氏の本を出版したり、ネット上で中皮腫のことを調べたい方々のために中皮腫ポータルサイト「みぎくりハウス」を開設など、やりたいことを速やかにしてきました。しかし、一緒に頑張ってきた栗田氏は19年6月、19年6ヶ月の闘病生活にピリオドを打ちました。

それからは、彼の遺志を受け継いで、患者のために何ができるか患者ファーストの目線で考え、どんどん実行していきたいと思います。そしていつか中皮腫が完治する病気となるように願います。

中皮腫サポートキャラバン隊も私のヒストリーもまだまだ続きますので、ご支援のほどよろしくお願い致します。