宮本竜徳さんの公務災害認定を求める裁判


 17 年 11 月 16日、体力錬成中に「致死性不整脈」を発症して亡くなられた宮本竜徳さん(当時25歳)の公務災害認定を求める裁判の第1回口頭弁論が、東京地方裁判所で23年11月14日に行われた。過労死を考える家族の会のみなさんも傍聴に駆けつけてくださった。当日は、原告である宮本さんらが意見陳述を行った(下記参照)。裁判官は、「事実関係はほとんど争いがないようですから基金は次回までにきちんとした反論を準備してください。」と述べた。多くの皆さんのご注目、ご支援を!

意見陳述 小宮玲子弁護士

 訴状で述べたとおり、本件被災職員である宮本竜徳さんが生前従事していた業務に過重性が認められること、そしてそれが本件死因となる不整脈の誘発基盤になったことは、専門医による医学的意見書を含む公務災害認定手続上の調査結果からも既に明らかとなっています。それにもかかわらず、本件事案が公務外とされたのは、ひとえに公務災害認定手続きにおける業務の過重性と公務起因性に関する極めて不合理な認定基準の設定、適用によるものです。
 司法による判断は当然、このような認定基準には拘束されません。しかし、亡き息子の公務災害認定を求める竜徳さんの両親は、そもそも本件提訴にたどりつくまで6年もの間、待たされ続けました。現状の公務災害認定手続きは、被災者の迅速かつ公正な救済を図る制度とはいえず、それ自体が、被災職員とその家族に多大な負担を強いるものとなっています。
 本裁判において、本件公務外処分は直ちに取り消しがなされるべきです。

意見陳述 宮本藤子さん

 命は、何よりも尊いものです。
 竜徳が、守りたかったのは命でした。スーパーレスキュー稲敷のオレンジ色の救助服は、救助を諦めない、人命を守る者の証です。
 思い起こせば竜徳は、小学校、中学校、高校と野球を通して多くの仲間に恵まれ、学校生活を謳歌していました。高校入学の際は「野球をする為、通わせて下さい」と言ってくるほどでした。「あれ、勉強は?」と聞き返すと「最低限は頑張ります」などと答え、部活で野球に明け暮れる日々を過ごしていました。
 高校3年生の夏の大会が終わり、突然「地元のために働きたい、地元を守る。その為に消防士になる」と言ってきました。その時は、「専門学校にでも行ってから、消防士になるのかな」と思っておりました。しかし、猛勉強をして、春には夢をかなえて消防士として働き始めました。
 ある日、年上の部下との接し方で相談されたことがあります。私はその時、「言葉ではなく、背中で示せ。体力練成や訓練に真摯に取り組みなさい」と言った事を覚えています。竜徳なりに思い悩んでいるのだなと感じ、悩みながら成長していって欲しいと思いました。
 スーパーレスキュー隊員にとって、自分の限界を超える体力錬成、訓練をするのは、特別な事ではありません。常に自分を追い込む厳しい体力錬成、訓練は、もしもの時に市民の皆様を守る為には必要なのです。スーパーレスキュー隊の使命を誇りとして、自分の道だと竜徳は信じていました。
 竜徳は、スーパーレスキュー隊員だからこそ自分の限界を超えるチャレンジをし続けました。私は、消防署での体力錬成中に救助服で最後を迎えた竜徳を誇りに思います。なぜなら、竜徳は「一生現役で、現場で人命救助をしたい」と言っていたからです。
 私は、竜徳の救助隊員としての名誉の回復と、誇りを守る為『公務外災害』の認定取り消しを強く訴えます。

意見陳述 宮本洋治さん

 甚大な被害を及ぼした東日本大震災が発生した2011年の4月、息子の竜徳は、地元茨城の広域消防本部に採用となりました。「市民の生命と財産を守る」強い決意の元、 高度救助隊「スーパーレスキュー稲敷」として日々、体力錬成・訓練に邁進する中、2017年11月15日夕刻、竜徳は、同僚との体力錬成中に突然倒れ、同僚達や搬送先の医師による6時間にも及ぶ懸命の救命処置にも 係わらず、翌16日、25歳の生涯を閉じました。
 当時、私は、神奈川への単身赴任で週末に帰宅する生活をしていたので、被災当日、竜徳が心肺停止で倒れ、意識がないとの妻からの電話で慌てて電車に飛び乗りました。妙な胸騒ぎを覚えながら病院に向かったのがつい昨日の事の様に思い起こされます。胸の鼓動を強く感じる中、病院には竜徳の姉、祖父母はもとより叔父、伯母、従兄弟、地元の友人達が多数駆けつけ、最後まで見守ってくれた事に「竜徳の人柄の良さ」を感じていました。病院側も救命処置の様子をガラス越しに皆で見守ることを許してくれ、
大変勇気づけられました。しかし、健康だった竜徳がどうして心停止を起こしたのか知りたくて、病理解剖をお願いしました。
 消防本部では、公務中の被災という事で速やかに 公務災害認定請求を行ってくれましたが、翌年8月28日付で「公務外認定通知」が届きました。「公務中の被災なのになぜ?」妻と2人納得できず、18年11月22日付で審査請求を提出しました。それから5年経った23年12月現在、まだ再審査請求中です。被災から丸6年が過ぎ、これで「迅速かつ公正な救済」が図られているといえるでしょうか?
 審査請求棄却後に開示請求で取り寄せた資料によると、基金は死亡確認した病院による剖検成績通知と専門医の医学的意見書を入手しており、意見書では、公務と本件被災との因果関係を明確に認められていながら、なぜ公務起因性を否定し続けるのか、全く理解出来ません。
 「竜徳の死」が無駄にされることのないよう、認定基準の改善による本来の「迅速 かつ公正な救済」を強く望むと共に、本裁判での処分取り消しを求めます。