地方公務員災害補償基金は、宮本さんを直ちに公務上に!

 17年11月、消防署で体力錬成中に亡くなった宮本竜徳さんの公務外決定取り消しを求める、再審査請求の口頭意見陳述が地方公務員災害補償基金本部で行われた。代理人弁護士や当センターも発言したが、ここでは、竜徳さんの父、宮本洋治さんの意見陳述を紹介する。【川本】

宮本洋治さんの再審査請求意見陳述

 本日は口頭意見陳述の機会を頂き、ありがとうございます。
 17年11月15日夕刻、高度救助隊「スーパーレスキュー稲敷」の隊員として、勤務していた息子の竜徳は、公務での体力錬成中に突然倒れ、同僚達や搬送先の医師による6時間に及ぶ懸命の教命処置にも係わらず、翌16日死亡、25歳でした。

 被災時の体力錬成は、特別な思いで挑んでいたのだと思います。なぜなら、その年の6月に行われた茨城県消防救助技術大会に於いて、稲敷消防ロープブリッジ救助チームは上位入賞が期待されていましたが、ロープ牽引役の竜徳のミスでタイムロスし、関東大会出場の道が閉ざされてしまいました。それ故に竜徳にとって、恐らくラストチャンスとなるであろう「翌年の大会に備えての強い意欲」が、精神的、肉体的に強い負荷をかけた体力錬成へと、突き動かしていたのだと思います。瞬発力と持続力を発揮する為に、通常以上の負荷を掛けた体力錬成を選択した竜徳の「チームへの思い」が伝わってきます。

 竜徳は、消防士として地元を守りながら、また長男として、私たちの面倒を見てくれるはずでした。竜徳が消防士を目指した理由は、「人命救助を一生の仕事にしたい」との思いからでした。高校を卒業してすぐに消防士になり「救命救助技術を磨き、市民の生命・財産を守る」強い使命感と、高い志を胸に、高度救助隊になる夢を叶え、仲間とともに職務に励んでいました。消防署の期待を受け、救急隊員として救急車での業務や、潜水士として水難救助活動にも出動し、多方面で経験を積んでいました。

 妻は、「公務員である消防士は、公私にわたり模範となる行動をしなければいけない」と言って息子と向き合っていました。それをうざったく思う息子は、「仕事の事は、守秘義務があるから」と、多くは語りませんでした。時々、家に持ち帰ってきた水浸しで焦げ臭い防火服を見て、妻は、「火災現場や、救助の現場で自分の身が危ない事はないの?」と尋ねると、「自分を守れない者は、人の命を守れるはずはないから、その為に日々訓練をしているんだよ」「災害現場で怪我をする事が無いよう、鍛錬しているから大丈夫だよ」と、誇らしげに言っているのを聞いて安心したそうです。

 竜徳が死亡した後、救助隊の皆様や同じ消防署に勤務するフィアンセから、竜徳の激しい訓練や鍛錬の様子、職務に対する熱い想い、「厳しい訓練は、きっと俺らの力に変わるはず。ちょっとだけ無理な事に挑戦していこうぜ」と、言っていた事を知り、生前竜徳が、「俺達、高度救助隊は消防最後の砦だから」と公言していた事が、より理解できました。

 元日に発生した能登半島地震のテレビでは、厳しい環境下で救命救助活動する多くの救助隊員が映し出されました。竜徳もこういった大きな災害に備えて日々、今回の体力錬成のような「身体を酷使する厳しい訓練」を重ねてきたのです。

 最後になりますが、本部審査会の委員の皆様、竜徳は、誇り高きオレンジ色の救助服姿で「体力錬成中」に倒れ、死亡したのです。「公務外認定」の取消しと、「竜徳の死」を無駄にする事なく教訓とし、現役消防士の「命」を守る運用を周知徹底願います。