センターを支える人々:伊地知 朋子さん(ユニオンカント)

私の話

 職種変更、減給、降格、遠隔地配転、メンタル疾患による休職、復職、パワハラ、セクハラ、解雇、地裁、高裁、最高裁、ユニオン加入、労働基準局、労働委員会、中央労働委員会、団体交渉、抗議行動…これらはすべて筒井道隆さんのCMでお馴染みの一般社団法人「あんしん財団」との闘争の中で私が経験してきたことです。会社からの不利益取扱いから闘争経験まで「労働者が直面する問題や闘争」をほぼほぼ経験してきたのではないかと、この10年余を振り返って「よく頑張ってやってきたなぁ」と自分自身感心しているところです。

 ただ、この振り返える作業にはメンタル的につらい気持ちがよみがえることがあります。過去の経験一つ一つに当たり前ですが「感情」があるからです。そしてその感情は「記憶」として残ります。

 ですから私自身「よく頑張ってきたなぁ」とこの文章を書いている今日は自分を褒められても、明日の心の形次第ではその記憶が重荷になることもあるのです。しかし、今私が客観的に自分の心の話ができる時があるのは、信頼できる医師と治療が必要であることを理解してくれる職場環境があったおかげです。

信頼する医師と治療に理解ある職場環境

 新卒で入団した20年前、支店の総務、庶務、営業事務、電話対応、クレーム処理などを営業の男性や本部の女性と賃金格差がある中で当たり前のように行ってきました。サービス残業は当たり前、昼休みも事務机で取り「安月給でも会社の為に一秒でも働く」姿勢を誇りに思っていましたし、こんなに安月給で文句も言わず献身的に仕事する従業員を会社は大事にするだろうと、心からこの働き方をする自分の価値を信じていました。そんな私が10年後、「あなたの仕事は正社員の給与じゃ見合わない。だから給与に見合いう営業になれ」「ノルマが達成できないなら地元を離れ、知らない土地で再起を図れ」と言われたのです。(最初の裁判:地方の支店で私と同じ仕事をする女性ばかり10名が対象。自主退職を目的とした人事異動だった)その時、私の心は確かに壊れました。しかし、その頃は疾患の自覚がなく、会社には2年の休職期間があり、定期的な診断書の提出を求められた為、「診断書を貰うため」に心療内科へ通院している「つもり」でした。なので、この頃はまともに治療を受けていませんでした。ですから「この医者は私を精神異常者にしようとしてる」とか「処方された薬を飲んだら精神病になるんだ」とか次第に医師を敵対視し、ウイッグを被り、変装しないと外に出られないまで実生活に影響が出ていきました。もちろんその頃自覚はありません。

 そんな私の変化を見逃さず適切に根気よく治療をしてくれたT医師のおかげで今こうやって辛かった時のことを書き出すことができるのですが、メンタル疾患の治療は主治医との相性も大きくあります。全幅の信頼ができるか否か、大げさではなくここが大事です。また、ここまで回復したのは治療に理解がある職場のおかげでもありました。

 あんしん財団から解雇された後、代理人弁護士の紹介でユニオンの専従として就職するのですが、あんしん財団に復職し、復職先で人格否定などのパワハラに遭い、働けなくなり、最終的に解雇されるという中で重篤なメンタル疾患に再び罹患しており、週2回の通院を主治医から指示され、実際に働くことすら不安な頃でした。執行委員長から正式に就職を打診されたとき、そのことを正直に言ったところ「労働組合はどんな人でも差別なく働ける社会を目指すところだから関係ないよ。働きながら通院していい」と言われ、最終的に解雇という一般社会からも「いらない」と言われたような失望感とメンタル疾患で働けるかわからない不安感から解放されたように思いました。「労働組合はどんな人でも差別なく働ける社会を目指す」という言葉に救われ、通院を継続させてもらい、今現在私は「感情の記憶」を労働組合の専従のとして同じ経験をしている人に話ことができます。大げさかもしれませんが、解雇から争議まで労働者の気持ちが分かる労働組合専従を自負しています。

差別のない社会をめざして

 「全幅の信頼を置く医師」と「その治療に理解がある職場」の二つが揃わねば心の回復は難しいのかもしれません。また、一度傷つき、治療を受けている心は「何が痛いのか。怖いのか」わかっています。その上で心に武装をするか否かで日々暮らしているので、人と関わる限りメンタル疾患に関して根治はないと思っています。全幅の信頼を置ける医師には出会えても、治療が必要であると理解してくれる職場に出会うことは難しいからです。労災制度自体、労働者を守る大切な制度です。「あんしん財団」と聞けば労災事案に関わる方なら24年の最高裁判決がすぐ頭に浮かぶと思います。事業者に「原告適格」は無いという判決を私たちは勝ち取りました。従って、事業者から労働者が「この労災認定は不服だ」と裁判を起こされることは未来永劫ないのですが、この裁判の原告Aさんは労災認定を受けてはいますが、今もメンタル疾患に苦しんで家から出られない状態が続いています。判決から1年と少し経った今、私の頭にあるのは「Aさんは生活的な問題はないが、それで良いのか…」ということです。メンタルに限らず労働災害はその人やそのご家族の人生そのものを大きく変えてしまう可能性があります。Aさんのことを考えると、第三者や、ましてや会社にその人の人生を侵害する権利などないと思っています。しかし、この資本主義社会においては労働を対価に賃金を貰わねばなりません。

 社会を変えることは革命です。しかしそれは現状なかなか難しいので、まず第一に労働災害の種を排除できるような職場。第二に社会復帰時、差別のない職場環境の構築に向け労働組合と労働安全センターが再度声を上げるのはどうでしょうか。

 実際、メンタル疾患の労災申請一つとっても増加傾向にある現状です。これは、現代の日本社会の根底に横たわる差別排外主義からも派生している問題に他なりません。どんな人でも働きやすい社会を目指し、私たちが再度しっかり手を携え愚直に声を上げていきましょう。