センターを支える人々:なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)

 僕に関して言えば、「センターを支えるひとびと」ではなく、完全に「センターに支えられるひと」でしかありません。

 僕の運動への関わりは1986年、日雇労働者の街・山谷への支援活動でした。当時はまだ日本国粋会・金町一家と日雇全協・山谷争議団との実力闘争の最中で、労働争議も業者(ほぼヤクザ)や飯場への押しかけ争議と大衆団交だったし、救急車に添乗したり、福祉事務所に行ったり、野宿者を訪ねて毛布や食事を配って歩く(人民パトロール)といった取り組みでした。「労働基準法○○条違反であり…」などと書いた要求書など作ったことはないし、労働委員会に行ったことも、労基署への労災申請の付き添いも経験がありませんでした。社会保険もおよそ無縁で、日雇雇用保険によるアブレ金(日雇労働求職者給付金)と日雇手帳(白手帳)くらいしか関係ありませんでした。

 被ばく労働問題についても、寄せ場の中で僕が関わったのは一度きりで、97年に福島第一原発3号機で始められていたシュラウド交換作業の時でした。藤田祐幸さんたちの提起に日雇全協が応え、就労拒否を呼びかける「原発に行くな!殺されるぞ!」と書いたイラスト入りのビラを職安前で配ったり、東海原発で働いたことがあるという野宿の仲間の話を聞く学習会をしました。ただ、「この仕事のない時に、仕事に行くなとは何だ!」と言う労働者が多く、あまり盛り上がりませんでしたが…。

 そして3・11原発事故が起こり、原子炉は「誰も行くべきではない。でも、放置すれば壊滅的な状況になるかもしれない」という事態となりました。僕は、決死隊のごとく労働者が収束作業に入る報道を見ながら、これまで原発や被ばく労働問題に取り組んでこなかったことへの後悔とともに、今どのように考え、何をすればいいのかと葛藤をしていました。センターの方々が軸となった岩佐訴訟や長尾訴訟の資料を真面目に読んだのは、この時が初めてでした。そして僕は「収束作業に行くべきであるか否とは別に、現実に送り込まれている労働者に対して何を伝え、どのように連帯できるのかを考えよう」と思い、「被ばく労働自己防衛マニュアル〜あなたの命を『使い捨て』から守るために」という小冊子を作りました。内容の半分は就労や労働条件に関することで、日雇全協が毎年発行していた「労働者手帳」のエッセンスを移植し、残りの半分の内容は放射線や被ばく労働に関する知識や注意点でした。焦っていた僕は、この「マニュアル」の原稿を3月中に作りましたが、この内容でよいのか自信がありませんでした。

 ちょうどその頃、天野恵一さんから「新たに立ち上げる運動体で、被ばく労働問題をポイントの一つにすべきだと思うがどうか」という主旨の提案がありました。そこで「福島原発事故緊急会議」の「被曝労働問題プロジェクト」として「マニュアル」の発行を進めることにしました。そして、藤田祐幸さん、樋口健二さん、渡辺美紀子さん、斉藤征二さんなど、被ばく労働問題に取り組まれてきた方々に会って「マニュアル」の内容をチェックしていただき、修正・加筆コメントを頂きました。関西労働者安全センターや神奈川労災職業病センターの方にも原案を見て頂きたいと思い、亀戸の全国安全センターの事務所に天野さんと何人かで訪問しました。この「マニュアル」は多くの方の協力を得て7月に完成し、福島でも地元の労組に頼んで配布しました。必ずしも労働者には直接届きませんでしたが、被ばく労働問題の喚起には一定の役割を果たし、何よりもこの制作の取り組みの中で、「被ばく労働を考えるネットワーク」を立ち上げる関係性が形成されたと思います。

 2011年10月に準備会として動き出した「被ばく労働を考えるネットワーク」は12年11月に正式に設立し、除染や収束作業の労働者の労働相談を受け、労働争議や国・東電・元請企業への交渉・行動などを展開し始めました。相談を寄せる労働者の多くはかつての山谷労働者と同様の状況に置かれていましたが、運動としては「まっとうな」労働運動を展開することになるので僕には未経験のことばかりでした。そのため、東京安全センターの飯田勝泰さんや神奈川労災職業病センターの川本浩之さん、全国一般全国協の方々など経験の多い方々が頼りでした。ちなみに、外部への発信は神奈川センターの鈴木江郎さんに丸投げです。

 現在、被ばく労働ネットは収束作業による白血病で労災認定をうけた「あらかぶさん」の損害賠償裁判の支援に取り組んでいます。裁判となると通常の争議とはまた全く違うので、ここでも被ばく労災裁判の経験を持つセンターの方々、とりわけ川本さんを頼りにすることが多いです。最近私たちが三一書房から発行した『原発被ばく労災−拡がる健康被害と労災補償』では、本書の屋台骨である法制度上の問題点の整理を、関西労働者安全センターの西野方庸さん、長尾裁判からの教訓とあらかぶ裁判の意義を川本さんが執筆してくださっています。ぜひご一読ください。

 僕は当分「センターに支えられるひと」の状態が続くと思いますが、これからもよろしくお願いします。