豊かな自然をのちの世に・幌延深地層研究センターに思うこと
坂巻フミエ(センター会員/北海道・稚内市在住)
神奈川・大和市から北海道・稚内市民となって2年。幌延の「高レベル放射性廃棄物施設」計画が「研究」の名で問題を継続させていることを知り、運動を担ってきた方々と知り合いました。この度の「寿都町文献調査応募・幌延深地層研究センター」の中止を求める署名要請を機に、当機関誌で幌延の状況を書かせていただけることに感謝します。不勉強で誤った記述があるかもしれませんが、ご指摘、ご教示いただければと思います。
最北端の地で
北の果て稚内市は毎日強風が吹き、半年間は冬ごもりです。漁業の町が200カイリ問題で船を奪われ、加工場が潰れ、職を求めて人々が町を離れました。1980年代には、国鉄分割民営化による職員の大量解雇に反対し、国労稚内闘争団の24年間の闘いが始まります。分割民営化後、人も列車も減らされ、循環器内科がない稚内市民は札幌まで1泊約3万円の通院を余儀なくされます。住民の移動は車頼み、超高齢の方が這うように車に向かい、ハンドルを握って発進していく光景にはびっくりしました。町に人影はなく、鉄道は公共事業であるのに、寒冷地ゆえの膨大な保守・管理費用の赤字を理由に鉄路が剥がされていきます。秘境駅の「抜海」が存亡の危機にあり、住民たちと存続を訴えています。
冬はホワイトアウトの日々、酔って眠ったら凍死する、ビラまきなど滅相もないという世界です。好きな徘徊をしていたら「あの人は大丈夫か」と言われてしまいますが、雪解川の音が聞こえると、トンネルの先に光を見たような気持ちです。
幌延の町が二分
稚内市から南に50㎞、幌延町はサロベツ原野に接し、広大な放牧場で牛が美味しそうに草を食んでいます。
1984年、幌延町長は人口減、財源難対策として、高レベル放射性廃棄物施設「貯蔵工学センター」誘致を独断で進め、決定しました。この「貯蔵工学センター計画」は、高レベル放射性廃棄物のガラス固化体2000本(1本40万キューリー《1キューリー=370億ベクレル》)、さらに、低レベル放射性廃棄物がドラム缶にして20万本の貯蔵というものでしたが、この低レベル廃棄物の中にはTRU廃棄物(熱や放射能は低いが放射能の半減期が長く、プルトニウム等アルファ線を出す元素を多く含む)が11万本も含まれていました。
住民にはまったく寝耳に水の計画に、住民団体の結成・反対行動が相次ぎました。高レベル放射性廃棄物施設誘致反対稚内市民の会は、横断組織体の「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会」に加盟して計画停止を訴えました。動燃は、夜陰に紛れて予定地踏査を強行し(以降この日を「11・23幌延デー」として毎年、反対集会・デモを開催)、86年には機動隊を導入してボーリング調査を強行しました。以降、酪農を基幹産業とした静かな町が切り裂かれていきました。
幌延周辺市町村の反対決議、住民の反対の声が高まると、科学技術庁は98年「貯蔵工学センター計画」の名を「深地層研究計画」に変えて道に再提案。住民たちは「研究の名でなし崩し的に処分場にされてしまう」と、吹雪を突いて反対行動に展開し、酪農家たちは牛の世話の時間をやりくりし、道庁を人間の鎖で取り囲み知事への要請、座り込み、上京して国への要請続けましたが、2000年、道知事は「深地層研究所計画」を受け入れました。
道知事の受入れ後、道議会は「北海道における特定放射性廃棄物に関する条例」(特定廃棄物の持込みは受け入れ難い)を可決し、道・幌延町・核燃機構による三者協定書(「研究終了後は施設解体、埋め戻す」「放射性廃棄物持込み・使用しない」「最終処分場、中間貯蔵施設を設置しない」等)が結ばれ、20年間を研究期限とする地下350mでの試験が開始されたのです。
しかし20年3月末の研究期限目前に、「機構」は20年間の研究の検証も期限延長の根拠も曖昧に、三者協定を反故にして、今後9年間延長の新計画を町と結んでしまったのです。機構は、14年4月、理事が、「埋め戻すのはもったいない」と発言しています。また、20年8月末の「確認会議」(機構が道、幌延町、有識者などに研究成果・今後の方針などを説明する)でも、機構はさらに500mまで地下掘削を進める意向を示しており、研究の延長を続けて処分場にする懸念は消えません。
地球には、いらないもの
幌延の周辺には5ヶ所の活断層と19・12・12宗谷地方北部地震震源地があります。幌延深地層研究センターは地下から大量のガスが出る場所に位置し、14年異常出水事故、19・4・9の地下施設での電気ケーブル出火事故を起こしており地下での影響は計り知れません。
17年に国が公表した、「核のゴミ」処分場の適正地を示す科学的特性マップでは、北海道沿岸の多くが適正地となっています。寿都町や神恵内村に示されるように、国は、今も惨禍が続く福島原発事故の教訓を置き去りにこのマップを振りかざし、沿岸過疎地の首長をターゲットに「勉強会」を開き、反対の声が消えるまで、執拗に飴と鞭で説得を続けるでしょう。「最終処分法」には「調査途中での中止」の記述はありません。不適切地域でも、「得たデータは他で利用できる」と、交付金をエサに安全性が解明されていない深地層処分、海底処分を迫るでしょう。北海道、過疎の地は豊かな自然も、その恵みの地場産業もボロボロにされます。
今、するべきことは原発を止め、核のゴミを安全に確保できる方法で管理し、再生エネルギーへの転換、大量生産・大量消費の経済、生活を見直して、豊かな地球を残すことではないでしょうか。そのために、この先が何年あるか分かりませんが、「深地層研究センター」の埋め戻しを求め、できることをしていきたいと思います。
幌延とその周辺では、若い酪農家たちが牛とともに自然の恵みを生かした乳・乳製品の製造に励み、次世代に伝えていこうとしています。