旧国鉄・JRは、公正な補償を!大井工場アスベスト裁判
小池 敏哉/国労大井工場支部OB親睦会幹事
9月30日、10時より東京地裁415号法廷において、旧国鉄・JR大井工場工場アスベスト裁判の第1回口頭弁論が行われました。開廷前、原告と弁護団、支援者など30名が集合し、コロナ禍で傍聴制限の中で12名が傍聴しました。
原告のKさんが意見陳述を行い、自身の現職時代の石綿粉じんの中での作業、とりわけガス溶接による車体外板の切断作業の際に直接石綿を手で丸めて車体に張り付けたり、取り外していた事例を語り、退職後に肺がんと診断・宣告されたときの気持ち、治療・療養の中での苦しさ、悔しさ、そして新型コロナウィルス感染が全国で広がる中で、感染が死に直結することへの不安を涙ながら切々と述べました。
また、原告側代理人の山岡弁護士が、裁判の目的、争点、被告である旧国鉄・JRの一体性と安全対策を怠り労働者を危険にさらした両者の共同不法行為について意見陳述を行いました。
なお、JR、鉄道運輸機構と代理人は、答弁書を提出。「原告の被告に対する請求を棄却し、訴訟費用は原告が負担する判決を求める」「請求の原因に対する認否は追って主張する」として、裁判には出廷しませんでした。
閉廷後、法廷控室で行動参加者に報告を行い、国労本部、東日本本部、東京地本、神奈川地区本部、東京OB会の各代表から挨拶を受けました。大井工場支部木村委員長から支援のお礼が述べられ、Kさんからお礼の言葉と家族紹介、裁判闘争の決意表明がありました。
次回の口頭弁論は11月10日(火)13時15分からです。旧国鉄・JR側の主張が行われる予定です。いよいよ本格化、具体的攻防が始まります。コロナ禍で傍聴人数は制限されますが、こちらの闘う体制を裁判所と相手は注視しています。勝利に向けてみなさんの引き続きのご支援をお願いするものです。
Kさん意見陳述書
私は原告のKです。現在80歳です。1956(昭和31)年6月に品川区の国鉄大井工場技能者養成所に入所し、翌年、国鉄に採用になりました。2年間の教育を受けて大井工場の製缶職場に配属され、電気溶接工として「現車」という作業組に配置になり、車両の検査修繕や改造工事に従事してきました。
1987年の国鉄分割民営化の後、JR東日本において多能工化の名目でガス溶接工に職種、作業が変わりましたが、同じ現車作業組の業務に従事し、最後は金属加工場というところに移りました。結局、1997年に出向するまで国鉄とJRで通算39年間、車両検修・改造等の業務に従事しました。
当時の大井工場は首都圏の電車約5000両の保守・点検・修繕を担当していましたが、そのほとんどの車両の車体外板・床板・屋根板は鉄製で、その裏側(内側)に断熱材としてアスベストが全面的に吹き付けられ、貼り付けられていました。
国鉄・JRで働いていた当時、今日のようにアスベストが有害で危険な物質とは知らず、ましてや会社の安全教育や防護対策もほとんどない中で、当たり前のようにアスベストに囲まれて毎日仕事をしていました。
現車作業組は、製缶工・電気溶接工・ガス溶接工の3職種が一組となり、腐食して穴があいたり錆び付いた車体外板の切り継ぎ修繕をします。
作業の流れは、製缶工がエアチッパーでタガネ切断(後にプラズマ切断)し、ガス溶接工によるガス切断を経て外板の一部分を撤去し、製缶工が撤去後の切断面をサンダーで仕上げ、新しい外板をはめ込んで電気溶接工が溶接し、最後に製缶工が溶接部のサンダー仕上げをするという工程です。その一連の作業の中で、アスベストが剥がれ落ちたり飛散するなどで作業場周辺の空気汚染がひどい状態になります。
また、車体外板の内側にはエアー管、電気系配線のビニール管が縦横に存在し、電気溶接やガス切断の炎の高熱でビニール管が燃焼しないように保護するためアスベストの布を使ったり、アスベスト固形板を水で粘土状にしたりして、それをビニール管に取り付けたり取り外したりする作業を素手でやっていました。
さらに車両を定置修繕する車体修繕場、略して「車修場」といわれる建屋は当時66両も収容していた大きなものですが、そこには換気装置もありませんでした。その車修場では修繕中の車両内に圧縮空気を吹き付けてホコリを吹き飛ばす「気吹き」と呼ばれる作業が頻繁に行われ、その作業も含め、アスベストの粉じんが車修場内に充満しており、それを毎日吸い込む39年間だったと言えます。
アスベストの危険性が社会問題化してきた2014年、国鉄労働組合の指導で「石綿による健康管理手帳」の取得を、仲間と共に東京労働局に申請し、2年後の2016年8月に交付されて、年2回無料で石綿健診が受けられることになりました。私の場合、健診当初から肺に影ありと指摘されていましたが、再検査の必要なしとのことで過ごしていました。
ところが、2017年11月、突然ろれつが回らない等の症状が出たので、東京労災病院でCTやMRI検査を受けた結果、「脳梗塞」と診断され、入院しました。幸い軽度の脳梗塞でしたので9日間で退院できました。しかしその後、12月に再度、東京労災病院に呼び出され、CT検査で肺に影があるとのことで肺がんの可能性があると言われました。この時は家族を含めショックと驚きを隠せませんでした。その後、「肺がん」と確定診断が下され、手術することになりました。それまで健康が自慢だったのに、まさか自分が肺がんという重い病気になってしまった、死ぬんじゃないかと暗澹たる気持ちになりました。翌年2018年3月に入院し、6時間に及ぶ手術を受けました。
さらに石綿肺の所見もあり、肺がんの手術もした上で肺線維症も進行したため息切れが強くなって外出して歩行すると呼吸が乱れ、帰宅後は酸素吸入器で30分ほど酸素を吸って休憩して呼吸を整える毎日です。今まではお酒やカラオケ、その時の会話など楽しんでいましたが、今はお酒を飲んだり歌ったりすると息が苦しくなるので、お酒は控えるようにしています。
肺がんと診断され、また石綿肺・石綿小体の所見もあったことから、東京労災病院でアスベストが原因の肺がんだとして労災申請の書類をもらったので、労働基準監督署のアドバイスでJR東日本の大井工場に手続に行きました。ところが、JRとしては扱わない、鉄道運輸機構に業務災害申請をするようにと言われてそうしたところ、数週間後に却下されてしまいました。そこで改めて、国鉄労働組合と神奈川労災職業病センターに相談し、労災申請のやり直しとなりました。2018年11月に品川労働基準監督署に休業補償の申請をし、2019年4月3日付で業務上認定となりました。労災申請は、基本的に最後の職場で取り扱うべきもので、JRはアスベストの労災手続にきちんと対応すべきです。
私は定年退職から17年、77歳まで健康そのものでアスベストによる肺がんになるとは思いもよらず、家族を含め悔しさと無念さでいっぱいです。今後同じ環境下で私と一緒に仕事した多くの仲間が、アスベストによる被害を発症するかもしれません。アスベストを大量に使用してきた国鉄の車両や諸施設を引き継いだJR各社、とりわけ大井工場を持つJR東日本が、社会問題になっているアスベスト問題に対し、過去にさかのぼり退職者も含めた労災補償などに誠実な対応をとるよう強く要請します。
最後に、新型コロナが猛威をふるう現在、担当医から「Kさんは感染すると命を落とす」と言われました。アスベスト患者は絶えず死と向き合って生活しています。裁判所におかれましては、私の苦しみ、家族の悔しさに答えるに足りる公正な判決を命じていただけるように、心よりお願い申し上げます。