旧国鉄・JR大井工場アスベスト裁判・11/9第6回口頭弁論

旧国鉄・JR大井工場
アスベスト裁判を支援する会

事務局長 小池敏哉

 Kさん(故人・当時80歳)は、旧国鉄・JR大井工場で43年間、電気・ガス溶接作業等に従事し、石綿粉じんに曝露。定年後の17年12月に肺がんを発症し、国鉄の権利義務を承継する鉄道運輸機構とJR東日本を相手取り20年7月に損害賠償を求めて提訴しました。

 11月9日、第6回口頭弁論が東京地裁で行われ、激しい雨の中を18名が支援に駆けつけました。11月2日提出の原告準備書面⑶の確認後、被告側が「文書送付嘱託により資料が届き、膨大な医療データのため精査・検証に相当時間がかかる」「原告準備書面⑶に対する反論を1月末以降に提出する」と述べました。裁判長は、「今回の原告準備書面で求釈明が数点あるので対応するよう」被告側に指示。次回裁判は2月15日㈫午前10時からとなりました。

 閉廷後の報告会で福田、山岡弁護士から、「被告準備書面⑶に対し、労災認定された事実を基に本筋に戻り全面的に反論した」「現場の環境や作業実態から具体的に反論した」「今後さらに現場実態等の陳述書を作成する」と報告がありました。ご子息のK努さんが支援へのお礼を述べられた後、国労本部の岩元書記長が「過去の神奈川アスベスト裁判等も重大な関心を持っていた。この裁判も可能な限り支援したい」と挨拶。また、国労東京地本の高瀬執行委員から激励の挨拶を頂戴しました。傍聴には国鉄・JROB親睦会の藤野会長、同幹事の久松さんはじめ国労東京総合車両センター分会役員や大井工場OB、支援する会役員や神奈川労災職業病センターの池田さんらが参加しました。

 原告準備書面⑶とは、8月31日提出の被告準備書面⑶に対する反論です。被告の主張は、「原告体内に残存した乾燥肺重量1g当りの石綿小体本数は2709本に過ぎない。肺がんは石綿に起因するとは言えない」「原告は57年間、1日20本と大量喫煙しており、肺がんは喫煙に起因するのは明らか」「石綿と肺がんの因果関係に関する基本的理解に誤りがあり、主張は法的に理解不能」など。

 これに対し、原告は、「労災認定された理由は、両側で下肺野を中心に石綿肺所見があり、かつ両側に胸膜プラークも認められる」「石綿ばく露作業に約40年間従事していたこと及び発症が最初のばく露から10年以上経過していた」のであり、労災認定基準を満たすことを改めて強調。さらに、労災認定基準では石綿小体数は認定要件となっていないこと。石綿小体数が少ないことが認定の除外要件ではないこと。原告は労災認定基準を満たし、因果関係を認めるに足る石綿ばく露があったこと。さらに、石綿肺所見があることで原告が認定基準を超えた高度の石綿粉じんばく露があったと反論しました。また、石綿ばく露による肺がん発症リスクについて詳細に反論した上で、「喫煙あり・石綿ばく露あり」であって、ばく露がなかった場合と比べ5倍もリスクが高いことから、石綿ばく露によって高められた肺がん発症の危険性が現実化したものである。従って、原告はプラーク所見+10年以上の石綿ばく露作業によってリスク2倍の基準を満たし、因果関係が十分認められるところ、石綿肺所見及び40年に迫る長期の石綿ばく露作業従事により極めて高度の石綿粉じんにばく露されていた。そして、喫煙と石綿ばく露が相乗的に肺がんの危険性に作用することから、肺がん発症は、石綿ばく露によって飛躍的に危険が高められたことが原因で、被告らの安全配慮義務違反による石綿ばく露と原告の肺がん発症には因果関係があるとしています。

 また、大井工場における石綿粉じんの実態について、車両や修繕業務の実例を挙げて被告書面の矛盾について反論。被告は、ステンレス車両205系の導入や鉄製車両201系には外板修繕等はごくまれであり、「石綿粉じんに関わる車両、作業は減少していた」と主張していますが、原告が作業していた当時、鉄製車両が多数あり、外板やその他溶接・切断等の作業も相当数あったこと、特に201系は先頭車両前面部やドア回りも腐食による切り張りや修繕があったこと、さらに室内床部に腐食による床面の膨張や凹凸が発生し、床板の切断・溶接等の作業が発生していたことを明らかにし、かつ床板や戸袋内など石綿含有のアンダーシールが使用されていたことも具体的に指摘しました。

 このように被告の主張は実態と全く異なることを示したうえで、求釈明①201系車両床修繕で補修は「パテで覆う点溶接の方法による」との主張であるがパテで穴埋めすることと溶接がどのように関係するのか明らかにすること、②「1988年以降、外板切断・溶接作業を要する吹き付け石綿の車両については作業に先立ち車体から石綿除去を行っていた」とする主張に、その事実について聞いたこともなく、いつから、どの段階で、どの形式車両で、車体のどの部分をいかなる方法で石綿除去を行ったか、除去後の石綿処理や作業はだれが従事したのか明らかにすることを求めました。さらに、③被告は平成元年以降、石綿板に代わってイビウールボードに置き換えたとするが、これを使用する旨の社内通知文書等を提出すること、イビウールボードの資材調達・在庫管理の記録等を提出することを求めました。また、原告らのガスバーナーの火口交換作業では交換する火口接合部に石綿がパッキンとして使用されており、主張は誤りであることも指摘しています。

 粉じんばく露防止措置等について被告は、「昭和60年以降、気吹作業は別棟のPCAで行っており、原告が大量に石綿ばく露されたことはない」と主張しているが、PCAでの気吹作業は一部であり、車体研修場では日常的に気吹作業が行われ、その実施時間も事前に周知されず、必要に応じてその都度行われ、埃がもうもうと立ち込める状況であったと指摘しました。

 車体研修場の換気について被告は、「車体研修場には天井に設置の換気扇を回したり、同場のシャッターを開けるなど必要な排気・換気は行っていた」と主張。しかし、車体研修場の天井に換気扇はなく、同場2階は部品修繕等の作業場で構造上換気扇は設置できないこと、天井には送風機と蒸気暖房の送風扇のみあったこと、同場にシャッターはなく鉄製の引き戸を社員が開閉していたことを指摘しました。さらに、粉塵発生作業場に求められる局所排気装置や全体換気装置等は設備されたことはないこと、被告が設置したと主張する移動式吸塵装置はいつ頃、どんなものか具体的説明がなく、「当該設備を設置したことは間違いない」と断定するのみで、これでは設置使用していたとは言えないと反論しました。

 車体検修場では、気吹等で舞い上がった埃が滞留し、排気・換気策は取られておらず、従事した業務の8割方はこの車体検修場で行われ、直接の現車鉄工による石綿ばく露に加え、気吹き作業等による石綿粉じんを吸引し、ばく露があったことを明らかにしました。

 車体改造場での換気について、車体改造場は90年代半ばまで存在したが現在は存在せず、被告が関係資料を提出する以外にその構造や換気装置等を確認することはできず、主張する仕切り板や換気扇がどこにどのように設置されていたかいなかったかも実際は不明である。被告が示す大まかな図解では不明であり、その換気扇の換気能力を含めて資料で提出すべきであり、それができないのであれば有効な換気とは言えないし、法に適合する換気装置であったとは到底思われないとしました。

 防塵マスクについて、被告は、昭和51年にはプラズマ小委員会でマスク着用を指導していたことは「確かな事実である」とし、原告がマスクを着用しなかったのは原告の責任と主張。しかし、プラズマ小委員会の存在及び活動、マスク着用指導について依然として具体的説明や資料提出はなく、ただ「確かな事実である」と断定するだけ。当時職場で配布されたのは簡易な布マスクであり、簡易なフィルター付き防塵マスクが備えられたのは昭和50年代終盤だったこと、本来の防塵マスクが備えられたのは平成2年頃だたことは原告準備書面(2)で指摘しましたが、これに対する反論がないことも指摘しました。また、防塵マスクを着用することは労働者の自己責任ではなく、これを着用させる使用者の義務であることを具体的判例で示して批判しました。

 石綿の健康被害の予見可能性について、被告らの負う安全配慮義務の予見義務は、アスベスト等の粉じんの安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足りる、国内でも昭和30年には発がん性を含む危険性の知見が確立され、被告らは認識が可能であったことを具体的判例を引用し、被告らが「有害性を認識したのは昭和47年である」とする主張が誤っていると指摘しました。

 さらに、被告は、実際に運用に供される電車を原告が修繕し、その車体にアスベストが使用され、かつ溶接作業等では配管保護等でアスベストを使用していたことなど知悉しており、被告らもこれを認めている。しかし、業務による危険性について認識できないとするが、鉄道車両の内部に断熱材として石綿が詰められ、アンダーシールが用いられていたこと、溶接がその作業の性格上、石綿疾患に罹患するのではないかという危惧感を抱くに十分な石綿ばく露実態があり、被告らは何れもこれを認識していたのであり、原告が石綿疾患に罹患する危険性を予見することはできたと反論しています。