センターを支える人々:森田洋郎さん(神奈川県勤労者医療生協理事/横須賀市職員労働組合)

34年前

 私が横須賀市役所に就職したのは1984年、保健所で放射線技師として市民の健康診断をする仕事を始めました。ほどなく自治労横須賀市職労の労働運動に参加します。1988年、横須賀の元造船労働者による「じん肺アスベスト損害賠償裁判」が提起されます。当時私は、アスベストの恐ろしさを医療者でありながら理解もせず、横須賀地区労主催「アスベスト訴訟勝利決起集会」に一動員者として参加します。その時講演された故田尻宗昭さん(労職センター元所長)から初めてアスベスト問題を学び、「歴史的な裁判が、横須賀で始まりましたね」という言葉を今でも憶えています。

 1989年に横須賀市役所近くに横須賀中央診療所がオープン。私は駆け出しの労組役員でしたが保健所の職員でもあり、医療・保健・福祉という「市民の健康と福祉を守る」仕事をしている共通項からお付き合いさせて頂きました。この時から毎年「福祉のまちづくりを進める市民集会」を診療所の皆さんと開催し、今年で26回を数えます。

石綿問題を学んで

 労職センターが取り組まれている「アスベスト電話ホットライン」に、元組合員(故人・車両整備員)遺族から相談があり、センターの皆さんの協力で公務災害認定を勝ち取ることが出来ました。

 そうした学びの成果として、2004年に東京で開催された世界アスベスト会議には「地域労働運動からのアスベストに対する取り組み」と題し、ワークショップで発言する機会を頂きました。横須賀市立の小学校と保育園に実際に存在し何ら対策をされていなかった吹き付けアスベストに対する労組の取り組みリポートです。この取り組みもセンターの方が、学校施設等で多く吹き付けされている実態を指摘、一緒に現場調査して頂いた結果です。私たちの調査で、吹き付けからアスベストが検出されたため当局も一斉に施設調査をし、多くの学校等でアスベストが発見されました。

 これらの調査活動を行って実感したのは、アスベストが人体に影響することは明らかに分かっていても被害が出るまでは誰も知らんふりをするということです。被害者はいつも何も知らされず、子供や労働者が被害者になることが多いのです。

2011年3月11日

 福島原発事故が起こった時、被曝による多くの被害者がこれから発生し、ひょっとしたら世の中がましな方向に変わるのではないかと不謹慎な想像をしました。当たり前の話ですが、原発がまともに稼働するということは絶対にあり得ないことで、その原発が事故を起こしたことで、何故そんなものが存在してしまうのか、その大きな矛盾に社会が気づくのではないかと考えた訳です。ところが当時の政権の事故対応が批判されても、原発を造った者、今まで何ら対策をして来なかった者は批判されません(刑事裁判等は審理中ですが)。

 そうした憤りもあり、現在「甲状腺エコー検診神奈川の会」では、被ばくした可能性がある子供たちの甲状腺検査を、センターの皆さんと行っています。幸い、神奈川では甲状腺がんになった子供が多くは発見されていないものの、やはり福島での影響は明らかで、神奈川でも検査されていないだけとも考えられます。アスベストと同じように、何も知らされず被害にあい、その被害が社会に明らかにされないことは、将来また同じことを繰り返してしまいます。

労災撲滅で世直しを

 労災を無くす活動は、標語を作る等幅広く行われています。労働者自らが安全第一を心がけ、会社が安全配慮を十分行うことは当然ですが、これでは全く防げないレベルのものが労働現場にも、一般の社会にも隠れていることが問題なのです。しかもそれは巧妙に隠されます。学生時代、原子力基本法の講義で「日本の原子力は平和利用しか出来ない、諸外国と比べて事故件数は極端に少ない」と教わりました。全くのでたらめで、原発関連事故は全て組織的に隠されてきただけの話でした。凄く良い教訓です。
 センターの活動に参加させていただき多くのことを学び、少し問題が見えてきたように思います。地道な活動を継続することの大切さ、多くの人に真実を分かり易く伝えること等、ぶれないスタンスでプロフェッショナルが労災職業病の撲滅活動を長年やってこられました。我々も出来ることを、何かやらなければ社会は変らないでしょう。これからも世直しをご一緒させてください。