センターを支える人々:天野 理さん(東京労働安全衛生センター)
東京労働安全衛生センターの事務局員をしています、天野理と申します。労災職業病に関する相談を受け、労災被災者の支援に取り組んでいます。7年前に入職し、石綿関連疾患、脳・心臓疾患、精神障害、上肢障害や腰痛、有機溶剤中毒、さらに最近では新型コロナウイルス感染症など、様々な労災職業病の相談対応に関わってきました。その中で、神奈川労災職業病センターの皆さんには一緒に労災事案の相談に取り組み、大変お世話になっています。特に、神奈川センターの皆さんの経験に裏打ちされた実践的なアドバイスに、いつも助けられています。
私が大学を卒業して社会に出る頃は、「就職氷河期」の真っ最中でした。当時の小泉政権の新自由主義政策を人々が支持し、自己責任論の考え方が社会を覆う中で、私の周囲は「何十社受けても、百社受けても、内定など一つもない」のが当たり前で、やっと就職できても労働者使い捨ての職場や不安定な非正規雇用が待っている、という出口のない状況でした。
その後、私は人権問題に取り組むあるNGO(非政府組織)に就職しました。そこで様々な社会問題に取り組み、活動家としての基礎を学ぶ機会を得ました。非常に有意義な職場でしたが、残念ながら財政状況が苦しく、私も含め職員の半分は非正規雇用でした。業務の中で正規職員と同様の仕事や責任を負っているのに、生活も厳しい低待遇で不安定な非正規雇用という大きな矛盾がありました。
この矛盾への疑問が重なり、非正規雇用の同僚5人で労働組合を結成し、待遇改善や正規雇用を求めて闘いました。試行錯誤の闘いは1年あまり続きましたが、最終的には私も仲間も職場に失望して退職しました。でも私はその闘いを通して、職場の民主主義というもの、自分たちが働きながら日々感じる疑問やこうして欲しいという願いを、仲間たちと相談しながら自分たちの言葉で要求し職場を変えていくこと、の大切さや楽しさを体感しました。
その後、ある大学の事務職員(非正規職員)になり、その大学の教職員組合に入りました。当時、その大学では非正規職員を雇い止めしようとする動きがあり、それをくい止めようとする教職員組合の活動に参加しました。多くの女性たちが非正規職員として大学の様々な現場を支えているのに、彼女たちの声、そして尊厳や生活がまったく無視・軽視され、切り捨てられる。そんな社会の差別的構造を目の当たりにしました。また、長時間労働で心身のバランスを崩してしまった組合員の相談にも対応しました。
こうした経験を重ねる中で、縁あって今の職場で働くことになりました。その後、7年間の労災相談の活動を通じて、この国は相変わらず労働者を使い捨てにし、差別し、搾取し、生活も健康も破壊していると感じています。
今は労働者がバラバラにされ、団結と連帯はますます困難な時代です。でも、労働組合の仲間とともに「団結がんばろう」と声を掛け合う光景に、私はいつも希望を感じます。これからもあきらめることなく、神奈川センターの皆様と一緒に労災の相談にひとつひとつ寄り添い、共に声を挙げていきたいと思っています。