元保健所職員による新型コロナウイルス感染症 奮闘記 その2

社労士/行政書士/ファイナンシャル・プランナー事務所
JFパートナーズ代表 森田 洋郎

現在の状況について

 前回に続き、元保健所職員のコロナ奮闘記です。書いているのは9月19日ですが、横須賀でも患者数が1日100名を切ってホッとしていると聞きました。100人を下回って喜んでいるのですから、2類相当の感染症の感覚ではありません。また政府は、全数把握をやめて、医療機関からの発生届提出は高齢者らリスクの高い人に限る、と変えるようです。そして、観光庁の全国旅行割、各県の県民割、入国規制緩和によるインバウンド増加(円安もありますが)を打ち出しており、冷え込んだ景気を回復させるため全力を挙げて取り組んでいるといった感があります。

 感染症の考え方として、全数把握と定点把握という基準は存在するようですが、医師からの発生届が若い方は提出されない事になると、その方が悪化した際の素早い対応が一歩遅れることは明らかであると思います。まして、人の交流を活発にする施策とセットでの実施ですので、保健所職員の気持ちはスッキリしないところです。保健所職員は「一体どっちなんですか?」と言いたくなるでしょう。アクセルとブレーキを同時に踏んでも、事は一向に変わりません。アクセルを踏むなら、ブレーキは外す(感染症法5類のインフルエンザと同じにする等)と言うなら納得せざるを得ないと割り切れるのです。第一線で市民のご相談を聞くのは保健所職員なのですから。

 最近、横須賀市職員で亡くなられた方がいました。その方はがん患者で、手術後数年経過し職場に復帰されていましたが、少し前にコロナに罹患されてしまいました。一旦コロナ自体は回復し、職場復帰されましたが、コロナのため相当免疫力が低下されていたようで、突然に救急搬送から帰らぬ人となりました。ご遺族の思いは分かりませんが、あっけなく亡くなられたのは、コロナウイルスのためであろうことは想像できます。何故ゆっくり入院できる病院が無いのか、何故私にコロナのリスクの説明が無いのか、もしご遺族から聞かれたら、返答の出来ない出来事です。

保健所の各セクションで奮闘「電話相談窓口」

 コロナ感染症が始まった当初から、電話相談窓口はいち早く設置されました。名称は「横須賀市帰国者接触者相談センター」といい、今もこの名称を使用しています。保健所の会議室をつぶして、電話回線工事、ファクシミリやパソコンを設置、ベテランの保健師さんを違う部から借りてきて配置し、急遽、電話相談センターが開設されました。開設時間は朝8時30分から20時まで。スタート当初は横須賀市役所中から保健師さんが集められ、保健所職員とともに、市の正規職員だけの当番制で電話相談にあたりました。業務の内容は、不安な市民に対し電話で相談に応じ、必要な方にPCR検査を予約して検査につなげることです。全員が初めての経験でしたが、何しろかかってくる件数がとんでもない数でした。当初8本くらいの回線だったのですが、電話を置いた瞬間に鳴り、置いたら相談の記録が書けなくなるという面食らうものでした。私は記録はそこそこに、すぐ電話を受けていたので、あとから記録を読んで「これはどんな話だったっけ?」という記録になってしまっていました。

 当時は、検査をした方の95%以上が陰性でしたので、熱が出たからコロナになったという集団心理的な、一種のパニック状態なのかなと思います。とは言っても、市民からのお話は「具合が悪いから、きっとコロナに感染した、検査して欲しい」というものがほとんどです。けれども、電話で話を聞いたところで、その人がどの程度具合が悪いのかは、ハッキリと分かるものではありません。

 一方、当初PCR検査については、横須賀市が市医師会に依頼をして、医師会駐車場に、横須賀市PCR検査センターが急遽プレハブで設置されます。電話やファックスを受けるのはプレハブ、医師や技師の詰め所もプレハブ、患者さんの対応にはアクリルボックスが置かれ、アクリル越しに手を入れられるようにして、患者さんの鼻腔に綿棒を入れて検体採取するという、駐車場アクリルボックス検査場です。また、自家用車に乗ったままのドライブスルー検査もしていました。アクリルボックスも自家用車も単なる駐車場です。スタッフは、医師会の事務職員、医師会会員の病院や診療所のスタッフが、これも当番で検査に当たっておられました。何しろ酷暑の駐車場で、完全フル装備のPPE(医療従事者の個人用防護具)装着で、ガウン、手袋、ゴーグル、マスク、キャップ、アイガードを着用しての検査ですから、さぞかし辛かったと推察します。大型扇風機が後から購入されました。

 そういう検査場ですので当然、検査できる人数には限りがありますし、患者が並んで密になるということも避けなければなりません。医師会の会員にお願いしているので、午前中は自分の病院での外来診療があり、午後のみという制約もあります。一日中やったら倒れます。そこで、人数が少ない検査枠にどうやって適切に検査に導くかというテクニックが問われる訳です。ですが、電話でお話を聞いてもハッキリした状態は分からず、国の基準に沿って熱が37・5度が3日間続いたかという判断基準で、PCR検査に繋げるか否かを決めるしかありませんでした。味覚障害など考慮すべきことはありますが。

 私が相談を受けた若い女性のケースでは、まだ熱が出始めて最初なので暫く様子を見てください、として一旦電話を切ったものの、そのあと彼氏から「こんなに苦しんでいるのに何故検査出来ないんだ」と、私ではない担当のところに電話が繋がります。私は別の電話に出ているので代われません。電話をとった担当は「どういうお話ですか? なぜ本人が電話しないのですか? そんなに苦しいなら救急車をお呼びください」という回答になってしまいます。これは容易ではないなと思ったところです。自分の症状は自分しか分からないけれど、その症状を電話できちんと伝えるという事も、また難しいことです。外国語の場合もあり、相当なハンディキャップであると思います。

 ひとつ嬉しい出来事もありました。コロナに罹患して、横須賀市内の湘南国際村にある、県が設置した宿泊療養施設に入られた方が、ご自身の「コロナ患者闘病記」をブログに書いておられて、初めに横須賀市に電話相談したことが書かれていました。少し目立つブログで、上司がこの時担当したのは誰かを調べて、その日は男が一人だったので、きっと森田さんだ、と後から言われました。書かれていた内容は『電話相談をしたら、担当されたのはおじさんだった。今の状態を聞かれ「それは辛いね、すぐに検査をしましょうね」と言われ、その後、経過などを詳細に聞かれ、検査予約の時間や場所を案内してくれた。横須賀はほどほどな田舎なので優しい人が多い』と書かれていました。少しでも安心感を与えられたのかと思い、嬉しい気持ちになり、同時に少しの達成感が持てました。

相談センターとPCR検査の変化

 その後、国から包括支援金という予算が手当てされ、体制の立て直しが図られます。相談を受けるスタッフは、派遣会社からの看護師さんとなり、職員は当番で2名ずつ、看護師さんをサポートしたり、検査予約の連絡、トラブル時の対応をする等の役割に変わりました。いわゆる人海戦術で、職員は身体的には当然楽になったのですが、違った苦労も発生します。看護師さんは派遣労働者なので、一般的には時給の高いところに流れます。そうすると横須賀市より○○市の方が高いという話になり、価格競争的なことが起こります。一番は、予防接種事業がスタートした時、その時給はかなり高額でした。それは全国一斉にスタートしたため、どこの自治体もどうやって医師と看護師を集めるかの価格競争になりました。ですから、相談センターを辞め、そちらに移る方も出てきます。すると同じ方が毎日来る訳ではないところに加え、新人や週1日だけ来るような方が多くなり、ベテランの派遣の方に、ある程度の教育はしてもらうものの、職員は相談レベルを一定にするための気苦労が増えたという感じです。

 PCR検査も、包括支援金と感染者が増えたのに合わせ、市内にもう2ヶ所増設され、検査枠が広がりました。こちらも病院の敷地内にプレハブを設置しての検査場です。病院の本来業務に加えて、対応していただいているので、大変な苦労だと思います。相談センターは、相談者から予約をとって合計3ヶ所の検査場へ、予約者の氏名や予約時間等を連絡します。当初はFAXで連絡をしていましたが、個人情報を黒塗りしてFAXして、すぐに電話をかけて口頭で黒塗り部分をお伝えするという原始的なことをしていました。さすがに今は、メールにパスワードをつけて送信するように変わっています。すると「予約時間に遅れそうだ」「場所がわからない」「検査する前に入院した」などと、数が多くなった分の電話も増えることとなります。

 話はずれるのですが、保健所の代表電話番号もパンク状態でした。普段の職員で対応できる数ではなくなり、代表電話についても、本数を増やし派遣労働者が充てられます。市民の方は「いつかけても電話が繋がらない」というお気持ちで、電話が繋がると少し怒った口調のお話になります。また、こちらから電話しても繋がらないという事も多く、夜に再度電話をすることになります。携帯電話は番号が確実に残るので掛けなおしてくれる方も多いのですが、当番業務なので、一応の引継ぎはするものの、誰が何のためにその市民に電話を掛けたのかが分からない、となり、それを調べるという事も日常茶飯事でした。(つづく)