精神障害労災認定基準の改正に向けて専門検討会に意見をどんどん出そう!

はじめに

 昨年末から、厚生労働省は「精神障害の労災認定基準に関する専門検討会」を開催している。かつては、精神障害に限らず労災認定基準は非公開で開かれる専門検討会から報告書が出されて、どういう議論や根拠をふまえて作られたのかわからなかった。今は傍聴が可能で、検討会メンバーも公開されている(注1)。ただし、日程は直前にないと発表されない、議事録はずいぶん経ってからしかアップされないなどの課題はある。

 今年4月と9月には全国安全センターメンタルヘルスハラスメント対策局が「意見書」を提出した。これもかつては厚生労働省に送っても委員には配布されなかったため各委員の連絡先を調べて送っていたものだが、今は資料として配布され、ホームページにも掲載される。

 9月20日に7回目の検討会が開催され、「業務による心理的負荷評価表」の具体的な検討に入った。かなり具体的な文言について議論が行われたが、傍聴している限りでは、意見を積極的に言う人もいれば、座長に促されないとあまり意見を述べない人もいる。労災認定基準はいったん決まれば、全く新たな医学的見解やよほど画期的な判決が出されない限り10年は変わらない。

 ちなみに腰痛の労災認定基準は40年近く変わっていない。そして、専門検討会の委員は全員が医師や法律家。被災労働者の立場から、もっともっと積極的に意見を出さなければならない。

「申し入れ意見書」を提出

 4月28日に出した「申し入れ意見書」(14頁参照)では、①審査請求、再審査請求の取り消し事案の検討、②労働時間があまりにも過小評価されている、③ハラスメントが極めて悪質なもの以外なかなか認められない、④解雇や退職強要が評価されない、⑤発症後の出来事が評価の対象外になっている、⑥基礎疾患の増悪もほとんど認められない⑦担当者の怠慢等について意見を述べた。

 ちなみに①については我々の要望が通ったか定かではないが、7回目の検討会で再審査請求の取り消し事案が資料として配られた。

「議論に関する意見書」を提出

 7月に行われた第6回検討会であまりにも委員の発言が酷かったので、そのことに絞った「議論に関する意見書」を9月15日に提出した(18頁参照)。厚生労働省が作成した「総合評価における留意事項」の文案に対して、反対する理由として「労基署が労使紛争に巻き込まれる」、賛成しつつも「労働者の自業自得ということもある」などと述べる委員がいた。もちろん意見は自由であり議論は闊達に行われるべきであるが、間違った認識や予断や偏見に基づく発言は改めてもらいたい。
 なお、7回目の検討会では、当該委員に限らず、発言が慎重になったように感じた。

業務による心理的負荷評価表の負荷の強度や例示表現は極めて重要

 精神障害の労災認定基準において、心理的負荷評価表では、負荷の強度が示され、具体的に出来事が例示されて、その負荷の強度が示されている。労働基準監督署の担当者は、それに従って調査するし、評価するので、極めて重要だ。

 例えば、悲惨な事故や災害の体験、目撃の心理的負荷は原則「中」であるが、「強」になる例として「多量の出血を伴うような事故等」と表現している。多量の出血を伴う事故だけが「悲惨」とは限らないのに、「多量の出血を伴うものではない」から心理的負荷は少ないと決めつけられる。ノルマについても、現行では「達成困難なノルマ」という表現であるが、「強」になる例として「相当な努力があっても達成困難」とか「重いペナルティがあると予告された」という例示しかないので、相当な努力で達成できてしまった場合は過小評価されたり、経済的な不利益変更がなければ重いペナルティではないとされることもある。

 こうした点については、指摘しなければ議論にすらならないであろう。今後の検討会に向けて逐一意見書を提出する予定である。【川本】

専門検討会への申し入れ意見書

判例だけではなく、審査請求、再審査請求の原処分取り消し事案の分析を行うこと

 今回の専門検討会に限らず、厚生労働省が労災認定基準を見直す際には、新たな医学的知見、職場の変化、裁判判例が契機となることが多い。それはそれで必要であり重要であることは間違いないが、労災認定基準の課題を検討するには、それを誤って解釈ないし運用したとして、労災保険審査官が労働基準監督署の原処分を取り消した事例、また、労災認定基準に拘束されないとされながらも、事実上認定基準に沿って労働保険審査会が原処分を取り消した事例の分析が非常に有効である。判断を誤った理由の中には、あまりにも稚拙な職員の怠慢なども見受けられ、判然としないこともあるが、実は労災認定基準そのものにも問題があり、労働現場の実態を十分に把握できず、結果として心理的負荷の評価を誤ったことも少なくない。裁判所のような権限を持ち合わせていない労働基準監督署が、誤った判断を行わないために、これまでの裁決書と決定書の分析はもちろんのこと、当該審査官や署の担当職員の聴取も併せて行い、なぜ誤って不支給決定をしたのかをしっかり分析して労災認定基準改正に役立ててもらいたい。

 例えば、厚労省の審査請求決定書事案を紹介したサイト(注2)(平成29年10月~平成30年3月)に紹介されている事例で、原処分庁は意見書で「上司及び同僚より、物を投げられたり、大声で怒鳴られているところを事業場関係者に目撃されているが、請求人が言い返す姿も目撃されており、請求人は一方的に嫌がらせを受けていたとは言えず、客観的に認識されるトラブルがあった」という判断をしていた。しかし審査官は、「上司及び同僚から、人格を否定する発言を継続的かつ頻繁に受けていたこと、物を投げつけられることが度々あり、これは、大けがに繋がりかねない行為であり、当該行為に対して請求人が言い返したことは、自己防衛であったと認めるのが相当である」として、「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」を適用すべきであるとした。

 請求人がひどい嫌がらせ、いじめ、暴行に当たると主張しているもかかわらず、上司とのトラブルという過小評価にしたことは明らかである。こうした事例は珍しくない。嫌がらせの態様や頻度などについて原処分庁は調査をしているはずであり、審査官の把握した事実とだどの程度の相違があったのかは、公開された決定書からは判断できないが、「言い返している」から一方的な嫌がらせではないというのはあまりにも稚拙な判断である。パワーハラスメントの「いじめ」と「トラブル」なのかの判断基準があいまいであることに起因する。また、パワーハラスメントであっても、「執拗」を要件としながら、その具体的な基準がはっきりしない。

労働時間の事実認定、評価を適切に行うこと

① いわゆる待機時間について
 運転労働者以外は、通達等でもその位置付けが不明確で、しばしば労働時間として算定されないことがある。もちろん休憩室等で寝ている場合や、外出が許されているような場合と、運転労働者の荷待ち時間を同列に扱うことはできないが、少なくとも居場所が特定されていたり、すぐに対応が求められる状態である場合は、原則として全て労働時間として扱うべきである。

 数年前に新宿労働基準監督署で役員付運転手の過労死事案で、日中の社内における待機や、夜の宴席の際の待機について、全て休み時間だと決めつけて不支給決定した。ちなみにこの件の監督署担当職員は、不支給理由を尋ねる遺族に対して、「審査請求しても無駄ですよ」などと豪語していた。労働時間は賃金明細にも明記されており、事業主はそれに応じて賃金を支払っていたことから、解釈だけの問題で、よほど自信があったのであろう。その後、東京労働局労災保険審査官は、待機時間もほぼ全て労働時間と事実認定して原処分を取り消した。

② 出張における業務範囲
 出張と言ってもさまざまであり、2時間の会議に出るだけで、観光旅行をしたり、会議後の宴席がメインのようなものも皆無ではない。現在のコロナ禍においては、そのような出張はなくなり、会議をオンラインで行われることも多い。しかしながら、出張先関係者に、いわゆる名所を案内してもらったり、宴席にしても、関係者の親睦を深め、それが商談や成果に結びつくからこそ許容されてきたものである。労働時間ではなく成果で評価される時代になればなるほど、人と人とのつながりは極めて重要である。少なくとも費用を相手であれ自社であれ、会社が負担するものについては、全て業務としてとらえるべきである。出張先での移動中も、宿泊先においても、メールのやりとりやパソコンで作業をすることは、極めて普通のことであり、原則として、出発から帰宅まで全て業務と捉えるべきである。

③ 労働時間算定
 テレワークについてはガイドラインも作成されているが、IT機器を使用していることがほとんどであることから、むしろ労働時間管理は容易である。労働者本人による申告制度を禁止していない以上、請求人側の主張を覆すような、客観的な証拠を雇用主側が提出できない限りは、原則として請求人の主張を全て認めるべきである。

 勤務時間外のメール、電話等の記録で業務遂行の時刻が明らかである場合でも、その時刻と時刻の間を労働時間として一切認めないような事例がしばしば見受けられる。もちろん労働者が帰宅後に入浴、食事をした後に、やっておかなければならないことを突然思い出してメールで連絡をしただけのような場合を除いて、基本的には請求人側の主張に沿って労働時間を認めるべきである。

 書類等の成果物から、おおよその実労働時間が推定できる場合には、請求人や同僚等に尋ねて推定することを必須とすべきである。職場にいるにもかかわらず、私的な用事をしていただけだという主張をする使用者もいる。これについても、客観的な証拠(例えば、友人・知人への架電記録や趣味のサイトへのアクセスが大量にある場合など)がない以上、業務の必要性があったとみなして労働時間とみなすべきである。

④ 勤務間インターバルが短いなど勤務時間の不規則性
 脳・心臓疾患の認定基準においては、労働以外の負荷要因の一つとして、「勤務時間の不規則性」が明示されており、「拘束時間の長い勤務」、「休日のない連続勤務」、「勤務間インターバルが短い勤務」、「不規則な勤務・交替制勤務・深夜勤務」があげられている。ところが精神疾患の認定基準では、心理的負荷が認められる出来事として、休日のない「2週間以上の連続勤務」のみが例示されているだけで、交替制勤務や深夜勤務についても、「勤務形態の変化」としてあげられているに過ぎない。「拘束時間の長い勤務」、「勤務間インターバルが短い勤務」、「不規則な勤務・交替制勤務・深夜勤務」は、それ自体が睡眠時間に大きく影響するものであり、心理的負荷は明らかである。心理的負荷が認められる「出来事」として把握するとともに、総労働時間数とともに適切に評価すべきである。

ハラスメントの評価

① 悲惨な事故や災害を目撃した場合
 同僚が事故に遭ったり、ハラスメントを受けたり、自殺に追い込まれたりするのを見るのは非常に辛いものである。現行の例示では、「自らの死を予感させる程度の事故」、「被害者が死亡する事故」「多量の出血を伴うような事故」というような、悲惨さや災害の程度についてのみ基準のようなものが示されているが十分ではない。例えば「被害者との関係」については何ら例示がない。全く知らない被害者の交通事故に遭遇するような場合と比べて、自殺した同僚や部下が以前から請求人に助けを求めていた場合や、自殺の第一発見者がお世話になってきた特定の訪問介護士や看護師等である請求人になるようにされた場合など、より大きな心理的負荷があることは明白である。
 
② 第三者(家族、同僚、退職者など)による評価
 ハラスメントの場合、「指導に過ぎない」加害者側の評価と、被害者側の心理的負荷が大きく異なることが少なくない。会社関係者の聴取は当然行われるが、労災と認めたくない会社に配慮して、真実を述べることに躊躇することが少なくない。事実関係やその評価については、会社と利害関係のない退職者や家族などにも十分な聴取を行って、適切な事実認定と評価をするべきである。

③ 無視(仲間外れ)の評価
 職場で特定の人物、または集団に「無視される」という出来事について、きちんと評価してもらいたい。パワーハラスメントの定義の6つの類型のうちの「人間関係からの切り離し」にあたる。これまで取り組んだ事例でも、職場で直属の上司1人であっても長期に無視され続けて仕事に支障を来している場合や、集団に無視されている場合、しかも本人が派遣社員で派遣先の上司が加害者であり誰に相談しても効果のある対策を取ってもらえなかった場合など、心理的負荷をさらに過重とする条件下であるににもかかわらず、評価を「弱」にされることがある。

退職強要と解雇について

 労災保険に携わる職員は、いわゆる労使紛争に関わることは皆無である。暴行等の脅迫的手段を用いた退職強要は稀であり、懲戒処分や通勤が困難な異動をほのめかしたり、虚偽の情報提供などで退職に追い込むケースが多い。一部の経営者団体や弁護士、社労士は、法律的に問題なく「ローパフォーマンス社員」をどう扱うべきか、「上手に辞めてもらう方法」などを指南している。こうした退職勧奨の実態を全く考慮しない例示になっている。解雇については、理不尽で心理的負荷が大きくても、文書で理由を明示してあれば「強」にならないという例示内容である。そもそも請求人に納得できない解雇は退職強要に他ならず、解雇自体が不当であればあるほど心理的負荷は大きく、そうした調査や評価は労災担当者には困難であり、認定基準に詳しく例示するべきだ。

基礎疾患について

① 発症前しか評価しない
 精神的な不調を訴える労働者が増えている一方で、受診を躊躇する労働者も未だに少なくない。そして、精神疾患の診断は難しく、治療の必要性の判断も同様である。極めて短期間のストレスで発症することも少なくない。いずれにせよ、請求人が、いつ発症したのかを判断することは極めて困難であるにもかかわらず、診察すらしていない専門医員が、相当以前の段階から発症していたと決めつける判断が非常に多い。そのことによって、精神的不調にもかかわらず長期間にわたって懸命に働き、結果として長時間労働やハラスメントなどの職場のストレスにさらされ続けた労働者ほど認定されないという事態が生じている。
 厳密な意味での医学的な発症時期の特定は不可能であり、むしろ評価の期間を発症前に限るという認定基準の枠組みそのものを変更することが必要である。実務的にも、通院も休業もしていない場合は、療養費も休業補償の請求も支給もあり得ないのだから、ストレスを受けた直後に受診したことが明らかな事例以外は、発症後の出来事も評価の対象とするべきである。

② 特別な出来事しか増悪を認めない
 精神疾患の患者が増えている。通院しながらすばらしい仕事をしている労働者もいる。いわゆる発達障害の労働者も、特別な才能を有することもあり、それを活かして働く人も少なくない。ところが、そういう人に仕事が集中したり、ハラスメントを受けて、休業を余儀なくされた場合、現行の認定基準では、「特別な出来事」でなければ認定されない。一口に基礎疾患、障害と言っても、精神的なものについてはその程度や症状はさまざまであり、一律にあるかないかで区切ることはあまりにも乱暴である。

 なお、基礎疾患を治療していた主治医は、発症しているにも関わらず通院していなかった事例よりもはるかに継続して、請求人の症状について把握していることが多い。したがって、主治医が業務によって明らかに増悪したと判断した場合は、それを明確に否定する医学的な知見がない限りは原則として全て業務上とすべきである。

複数の出来事の総合評価

 出来事が複数以上ある場合で、それぞれの出来事が関連せずに生じている場合、それぞれを評価して「強」となる出来事はないとはいえ、「中」の出来事が複数以上となった時の総合評価を、「強」とする事案が非常に少ない。

 大阪労働局に毎年確認しているが、毎年30件ほどの支給決定件数があり(令和2年度は51件)、関連しない「中」の出来事が複数以上あったことから結果として「強」と評価された事案は、毎年せいぜい1、2件、多くても3件である。複数の出来事がある事例は、非常に多いにもかかわらず、このように少ないのは、どのような場合に「強」と評価するのか、基準が示されておらず、判断が難しいためではないかと推察する。しかし、実際には被災者にとって、ひとつの出来事の評価が「中」でも、いくつも重なることによって心理的負荷が過重になる場合は多い。「強」の判断となった事案を例示するなどして、判断しやすいようにしてもらいたい。

労災の調査担当者の課題

 労災認定基準そのものの問題が背景にあるとはいえ、あまりにも労災の担当職員が怠慢や誤りが目立つので、簡単に紹介する。

① 音声データを聞かない
 ハラスメントについて請求人が証拠として音声データを提出したが、まじめに聴取せず、「聞き取り不能」と決めつけて判断材料にしなかったことがある。比較的低い価格(少なくとも増員するよりも)で文字おこしをしてくれる民間企業もある。きちんと予算を付けて反訳させるべきだ。

② 医学的意見を十分に調査しない
 主治医への質問と専門医員との判断が異なる場合がある。少なくとも病名まで異なる場合には、再度主治医に質問すればよいだけであるのに、それすらしないことが多い。診察もしないで病名を決めつけるのは、患者との信頼関係を損ねる恐れがあり、治療妨害になりかねないので、労災保険請求に協力したくないという医師もいる。

③ 成果物など資料の分析をしない
 請求人が提出した仕事に関する資料を全く分析しようとせず、単純に労働時間記録だけで長時間労働ではないと判断する事例が増えている。

④ 重要な関係者の聴取をしない
 請求人が最も事実を知っている同僚などの聴取を求めても、決めるのは労働基準監督署だということで会社にとって都合のよい人だけの聴取を行うことが少なくない。そのことが再審査請求でようやく明らかになることもあった。すでに連絡を取ることができなくなっていることもある。

⑤ 本人聴取と会社聴取を別の人間が行うなど
 ハラスメントなど請求人と関係者の言い分が異なることが多い。その場合は両方の言い分を同じ人が聞いて信憑性を判断すべきである。ところが一部の労働局では本人聴取と会社関係者の聴取を別の人間が行っている。裁判所ですら尋問は同じ人が行うのに、それほどの権限もない労働基準監督署職員が手分けして行うことは正確な事実把握ができるはずがない。

専門検討会での議論に関する意見書

「労基署が労使紛争に巻き込まれる」との意見は、労働基準監督署の法的な責務を無視している

 本年7月26日の第6回会議の席上、「総合評価における留意事項(たたき台)」に関する議論において、「職場のルールに基づいて一般的に行われている行為(賃金の決定や人事評価等)は原則として強い心理的負荷を生じさせる出来事とは評価されないが、当該行為が個人を対象に特別の不合理、不適切な対応として行われた場合には、強い心理的負荷と評価され得る。」との、たたき台が提案された。
 この点に関する議論の中で、品田充儀委員が「この点について労基署が判断に踏み込むと、労基署が労使紛争に巻き込まれるおそれがある。この書きぶりには反対である。」との趣旨の発言を行った。さらに同委員は、この箇所に関するその後の議論においても、労基署の判断によって労使紛争に巻き込まれる恐れがあると重ねて指摘した。

 しかし、このような発言は、労働基準監督署が果たすべき役割を誤って捉えている。そもそも労働基準監督署は、労働者の生活と権利を保障する最低基準である労働基準法について、その法違反を取り締まるために、事業場に対し調査から刑事訴追まで幅広い権限を有している。賃金の未払い、長時間労働、差別的な待遇などにより労使紛争が起こっている事業場についても、労働者による申告などに基づいて調査し、是正指導や送検などを行うのが労働基準監督署の役割である。

 また、労働基準監督署は、被災労働者の迅速かつ公正な保護を目的とする労災保険法に基づき、被災労働者からの請求により、事業場を調査し、労働者の傷病の業務上外について判断する権限と責任を負っている。すなわち労働基準監督署は、当該事業場において労使紛争が起こっていようとも、労働者からの申告や請求に基づき、労働基準法や労災保険法に基づく調査や判断を下す必要がある。

 また、労使紛争の背景には、事業主の労働関係法令の違反が存在していることがほとんどである。そのような現場で、労働基準監督署が「労使紛争が起こっているから」と逃げるのではなく、労働法に基づいて必要な対応を取ることこそが、労働基準法や労災保険法の求める責務である。そうでなければ、労働者の信頼に応えうる公正な労働行政など不可能である。

 現実において、労働行政は日々、個々の労使紛争に接しながらその職務を遂行しているのが実態である。例えば、個別労働関係紛争解決促進法(01年施行)に基づく個別労働相談紛争の相談件数は高止まりの状態が続いており、21年度は全国で28万4139件にも上っている。しかも、精神障害の労災保険請求と同じように、いじめ嫌がらせや上司とのトラブルに関する相談が多いことが近年の特徴となっており、相談件数・助言指導の申し出件数・あっせんの申請件数の全項目で「いじめ・嫌がらせ」の件数が最多を占めている。具体的には相談件数86034件(24・4%)、助言指導1689件(18%)、あっせん1172件(29・2%)である。

 労働保険審査会の委員の経験を有する品田委員が、こうした事実を知らないのか、あえて無視しているのかはともかく、すでに労働局は、個別労働関係紛争の対応において、様々な労使紛争に巻き込まれているといってよい。そして、こうした個別労働関係紛争の相談者が健康を害している場合には、同時に労災保険請求をしている事例も少なくないのである。労災対応の現場において、労災保険の給付担当者は、労使関係についての理解を深め、労使紛争を伴う事案において心理的負荷の評価を適切に行うことこそ、いま求められているのである。

 これらの点を踏まえれば、労使紛争に巻き込まれるとして労働基準監督署がその役割を放棄・回避することは法律上許されない行政の不作為であり、責任放棄に他ならない。もし労働基準監督署が労使紛争に巻き込まれることを恐れて必要な権限を行使しなければ、労働現場において法違反を繰り返す事業主が野放しになり、労災職業病に苦しむ労働者の保護は置き去りにされてしまう。

 よって、「労使紛争に巻き込まれる恐れがある」ことを理由として、労働基準監督署が労働現場での賃金の決定や人事評価等が労働者にとって不合理・不適切であるかどうか判断すべきでない、という趣旨の委員の発言は、労働基準監督署の基本的かつ重要な職責をまったく無視しており、被災労働者の保護を目的とする労災保険法にも真っ向から反する暴論である。ただちにその発言を撤回するよう求めるものである。

「労働者の自業自得ということもある」との意見は、労働現場の実態にも、労働者の過失を問わない労災保険法の趣旨にも真っ向から反する

 同じく、本年7月26日の第6回会議での「総合評価における留意事項(たたき台)」に関する議論において、「労働者の行為により引き起こされた出来事については、労働者の行為の性質(故意によるものか否か等)や会社等(相手側)の対応の必要性・相当性等、当該出来事に至る経過等も総合的に考慮して、心理的負荷の程度を判断する。」との、たたき台が示された。この点に関する議論の中で、三柴丈典委員が、このたたき台に賛意を示した上で、「労働者の自業自得ということもある」との趣旨の発言を行った。これは、事業主による労働者への懲戒処分などについて、労働者の故意や過失があれば妥当とみなすべきである、との趣旨と思われる。しかし、労災保険法において、業務上外の判断は、労働者の過失に関係なく判断されることとなっている。もし労働者に何らかの過失があれば、それを考慮して事業主の行為による心理的負荷を判断するというのは、これまでの労災保険法の根本的なあり方に真っ向から反するやり方である。

 そもそも労働現場においては、事業主による退職強要の手法として、労働者の過失を事細かに言い立て、時には労働者の故意による問題行為であると決めつけて、ことさらに懲戒処分を加えて精神的に追い込む、というやり口がしばしば行われている。そして、このような事業主の手法により、強い精神的負荷を受け精神障害を発症した労働者からの相談が、これまでも当連絡会議に繰り返し寄せられているところである。「労働者の自業自得ということもある」という委員の発言は、こうした労働現場の実態を完全に無視し、「労働者の故意や過失」を根拠に、事業主の懲戒処分などの妥当性を安易に是認して、労働者の心理的負荷を不当に軽く判断しようとするものである。よって、「労働者の自業自得ということもある」という発言は、労災保険法の趣旨にも労働現場の実態にも反しており、公正であるべき労災行政への労働者の信頼を失わせかねない暴言である。直ちにその発言を撤回すべきである。

 労災事案において仮に労働者の「自業自得」と思われる要因があったとしても、業務との因果関係があれば支給するのが労災保険制度の趣旨である。この制度の根本をまったく理解していない、あるいはあからさまに軽視するような発言を行う委員は、労災認定基準の在り方を左右する専門検討会の委員としての資格がないと言わざるを得ない。

 また、この項目については、「労働者の行為の性質(故意によるものか否か等)」ではなく、懲戒処分などについて「会社等の対応の必要性・相当性」を厳しく精査して、労働者の心理的負荷を判断する方針を取るべきである。