意見陳述書(建設アスベスト訴訟)

 私は、2019年に悪性胸膜中皮腫により亡くなりましたBの妻です。本日は職場・納品先・作業現場等でアスベストに曝露し、発症した、夫の闘病生活についてお話しさせて頂きます。夫は孫の成長を楽しみにしておりましたが、その成長を見届けることができずにこの世を去りました。家族を残し先立つ無念・苦しみを主人に代わり述べさせて頂きますので宜しくお願い申し上げます。

夫の仕事のこと

 夫は学校を卒業した後、都内で設計の仕事をしていた伯母家族の薦めで上京、就職しました。友人もでき青春を謳歌していた矢先、弟を事故で亡くし、年老いた母親が気がかりで実家に戻り、会社に就職しましたが、不幸にもそこでアスベストに曝露してしまいました。

 夫は、営業職として開発が進んでいた地域を担当しました。新規得意先の開拓に従事し、休憩時間返上で自ら材料を積んで現場に納品に行くことも度々ありました。こうした夫の努力が認められ、現場監督や地方の業者には大変重宝がられ信頼を得て営業拡大に繋がりました。夜間、急な材料の手配要請が来ることも多く、心配で私もよくトラックに同乗していたのを思い出します。

 夫は納品する材料等の切断を会社の倉庫内で行っていたと聞いております。また、夫はアスベストを吹き付けているような現場でも多々打合せを行ったと聞いております。私共の家は会社と同じ敷地内にあったのですが、夫は「何だかチクチクするから」といって、シャワーを浴びるために帰宅することが度々ありました。今思うと、アスベストの粉じんが肌についてしまっていたのだと思います。

夫の闘病

 夫は毎年、職場で健康診断を受けていました。コレステロール値がやや高い位で、風邪も引かず自他共に認める健康そのものと言える人でした。

 2018年元旦、例年のようにお屠蘇を頂き、国立のサッカー観戦を楽しみにしていました。しかし、夫は気分が悪いと言い横になりました。私は、この時から、いつもと様子が違うと感じ始めていました。

 1週間程様子を見ましたが、やはり普段の咳払いとは違うと思い、かかりつけ医の受診を勧めました。かかりつけ医に行くと、その日のうちに総合病院を紹介されて受診しました。すると、「肺に水が溜まっている」「職歴等から悪性胸膜中皮腫の疑い」があるとの診断を受けました。なぁにその病気?聞いたことが無い病名に、2人とも顔面蒼白になりました。

 帰宅後に私はインターネットで悪性胸膜中皮腫を検索しました。その内容を夫にストレートに読んで聞かせることが出来ませんでした。そこには「診断確定からの生存率は7~17ヶ月、予後が極めて悪い代表的な難治性がん」と書いてありました。もう数ヶ月しか生きることができないなどということを私はとても言葉にできませんでした。

 その後、夫は定期的に通院・検査に行きました。暫くして左肺に半分以上の胸水が見られると言われ、即入院。チューブで胸水を抜き胸膜癒着術を施術してもらい、服薬・CT検査で経過観察。11月のCT検査でリンパに転移していることが分かり、2度目のPET検査・細胞検査等を行いました。

 最初の診断を受けてから約1年後の2019年正月明け頃からリンパ液の流れが悪く、高熱・肺炎を繰り返し再び入院。抗がん剤治療を開始し、少し光が見えたかと思いきや副作用で嘔吐・食欲不振・倦怠感・便秘等々が著しく、無念にも治療を断念せざるを得ませんでした。治療も薬もなく経過観察するしかないという厳しい状況が続きました。夫は酸素飽和度が低く、鼻にカニューラを装着して酸素ボンベから酸素を得るような状態でした。深呼吸をしても酸素が肺に届かず、水中で溺れているような状況と先生が仰ってました。夫は、パルスオキシメーターを命綱に、想像もできない息苦しさと不安と戦い続けました。食事も喉を通らず、唯一点滴治療が頼り。針が通らずあちこち差替えて、見ている側としても辛い思いをしました。

 ほどなく、担当医から「会わせたい方々には今のうちに」と言われてしまいました。他の家族にこのことを伝えるのがとても苦しかったことを覚えています。

 夫は温和な人でしたが、幻覚を見るようになり、ティッシュの箱や・水筒などを投げるようになり、目が離せませんでした。ある日突然、珍しく本人からの電話がありました。息苦しく会話もままならない中で「家の事は後回しに、とにかく早く来てくれ。」と一言。私との会話はこれが最後になりました。

裁判を通じて訴えたい事

 戦後から高度成長期にかけて建てられた建設物が、老朽化で解体されているのを見かけます。建材メーカーの皆様も何処かで曝露しているかもしれません。他人事?あるいは先輩達が携わったことだから、今の私達の問題では無いとお思いでしょうか?飛散防止対策が万全とは言い切れません。

 世界で危険性が高いと報道されながら、国と建材メーカーが輸入や使用の禁止・扱い方等の注意喚起等を十分しなかった責任は大きいと思います。

 願いが叶うのであれば、あの元気で優しい夫を返して欲しい。それに尽きます。

 温和で周りの人達を和ませ、笑いが絶えませんでした。今年の夏も鮎釣りの解禁日には、編み笠を被り道具を入れた籠を背負い満面の笑み、名人気取りでお道化ながら出かけたことでしょう。あの時の夫に会いたいです。

 そして、若い患者さん、幼児や無念を残し亡くなられた方を耳にすると胸が痛みます。多くの人達にこの苦しみや辛さを経験して欲しく有りません。私にも時間がありません。一刻も早く善処してくださる事を切に願います。