アスベスト肺がん労災認定

Mさんの肺がんが、アスベストばく露が原因であるとして労災認定された。Mさんは、1952年11月から少なくとも18年5ヶ月間、アスベスト製品を含む船舶用資材の仕入れ、保管、加工、販売に携わっていた。残念ながらMさんは労災認定の知らせを受けた約1ヶ月後にお亡くなりになってしまった。相談を受けてから約1年間、Mさんと労災認定のために色々と調査し歩んできたので、その記録をまとめる。
Mさんには、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会「神奈川支部」設立にむけての準備会にも参加して頂いた。Mさんが労災認定のためにご苦労された経験と、アスベスト被災者の根絶および補償救済に力を注ぎたいというお気持ちは、息子さんと共に、これからの私たちの活動で引き継いでいきたい。温和で優しいMさんの笑顔が今でも瞼に焼きついています。どうぞ安らかにおやすみ下さい。【鈴木江郎】

アスベストばく露作業を時間刻みで一つずつ積み上げ、当時の作業内容を細かく確認

Mさんは、アスベスト製品を含む船舶用資材の仕入れ、保管、加工、販売業務においてアスベストばく露したと認められた。他に、建設設備工事や自動車整備に従事していた時期があったが、アスベスト使用の時期的な問題とアスベストばく露状況の証明の困難さから、船舶用資材の業務に的を絞って労災請求を進めた。
また、アスベスト肺がんの労災認定基準では、ばく露作業に従事した期間が10年以上必要だが、Mさんは、アスベスト製品製造業のように常時ばく露を強いられる作業ではなかったので、ばく露作業を時間刻みで一つずつ積み上げ、当時の作業内容を細かく確認していった。労働基準監督署に提出した「アスベストばく露作業の申立書」の要点を以下に記す。

主に、外国船専門業者(シップチャンドラー)へ船舶用資材を販売
業務の概要は、アスベスト製品を含む船舶用資材の仕入れ、保管、販売、加工であり、主に外国船専門業者(シップチャンドラー)へ船舶用資材を販売していた。また米軍から安く払い下げられたアスベスト製品の再生作業等にも従事していた。
船舶用資材(全体の約3割がアスベスト製品)の運搬作業においてトラックへの積み込み、トラックからの荷下ろし、自社倉庫への積み込み作業においてアスベスト粉じんにばく露。取り扱い製品がアスベストパウダーの場合は、アスベストの袋詰め作業も一緒に行うので、その袋詰め作業ではより多くのアスベスト粉じんにばく露。
船舶用資材として取り扱っていた主なアスベスト製品とその用途について。「アスベストパウダー」はボイラー本体の高熱防護部分の剥離箇所の補修に使われる。スチーム及び高熱温水のパイプラインの高熱絶縁処置として使われる。使用法はセメントと同じ様に水を加え撹拌し、パイプ・バルブ等に張り付け、その上からアスベストテープやアスベストクロスで覆い固定する。その他にもペンキ塗装のようにエアーガンで吹き付ける作業にも使用される。
「アスベストクロス」は高温高熱の箇所、ボイラー周辺、パイプラインのアスベストパウダーの使用部分に仕上げのため巻き付けて使用。一巻30mで用途に合わせ切断して使用。「アスベストボード」は高熱箇所のボイラー付近、高熱給湯パイプライン等の断熱保護が充分でない部分、火気に対する隔壁防護に使用。非常にもろい材質のため木枠に収納して使用。

米軍からアスベスト製品を安く払い下げ、それを倉庫内で再生し、再販売する作業
会社の倉庫内作業でもアスベストにばく露した。アスベスト製品等の購入した船舶用資材の倉庫への積み込みと倉庫からの搬出、倉庫内での資材管理や資材の加工作業においてアスベスト粉じんにばく露。建物は地上2階建てで「事務所・倉庫図」のとおり、事務所(横8m×縦12m)の3分の2を資材倉庫として使用。アスベスト製品は倉庫の一部にまとめて保管されていた。倉庫内の空きスペースで、アスベストボードは大型ハサミで、アスベストクロス、アスベストシート等はハサミで切断し、袋詰め作業等を行っていた。更に、米軍が安く払い下げたアスベスト製品を倉庫内で再生し、船舶用資材として再販売する作業も行っていた。再生作業は、素手できれいに延ばし、巻き直し、袋の詰め換え、ハサミで切断して端を揃える作業だ。高窓はあったが、十分な換気装置もなく、アスベスト粉じんが舞う中での作業だった。
「事務所・倉庫図」はMさんが記憶を頼りに描いたものだ。ご記憶の確かさや緻密さに驚くと同時に、この図はMさんのアスベストばく露の状況をよく表しており、それが労基署の担当官にも伝わり、労災認定に繋がったものと思われる。

「胸膜プラーク」の有無で、意見が分かれる
Mさんはアスベストばく露が原因で「肺がん」を発症したが、その医学的な証明としてはアスベスト専門医である横須賀中央診療所の名取雄司医師に診察をお願いした。 名取医師の診断は、アスベスト肺がんの労災認定基準にある「胸膜プラーク」(アスベスト所見の一つで大部分は壁側胸膜に生じる限局性、板状の胸膜肥厚のこと)が認められるとのことだった。「胸膜プラーク」は、アスベスト疾患の経験が豊富な医師はきちんと見つけるが、そうでない医師はなかなか見つけられないという問題がある。Mさんのケースでも、名取医師および神奈川労働局の地方労災医員は胸部CT写真上「胸膜プラーク」を認めた。一方で主治医は「胸膜プラーク」は「無」にチェックを入れており、意見が分かれた。今回は地方労災医員の「胸膜プラーク有り」の意見を採用し労災認定されたが、「無」だと認定基準を満たさず、労災不支給になる場合が多い。「胸膜プラーク」の有無は非常に重要な判断基準となっている。

アスベスト肺がんの労災調査用に使用される厚生労働省の「診断(意見)書」様式に問題あり
人体には個体差があり、アスベストにばく露したからといって「胸膜プラーク」が必ず出る訳ではない。また、「胸膜プラーク」があっても、X線写真やCT写真の画像上に必ず現れるという訳でもない。だから私たちは「胸膜プラーク無し」でも、職歴でアスベストばく露が確認されれば労災認定すべきと要求しているが、厚生労働省は今だに認めようとしない。
また、問題ありと感じるのは、厚生労働省がアスベスト肺がんの労災調査用に作成した「診断(意見)書」の様式である。医師に「胸膜プラーク」の有無をチェック形式で書かせるのだが、「有」か「無」の二択しかない。前述のように、アスベスト疾患の診断経験がほとんどない医師に対し、「有」か「無」の二択しか示さないのは不適切であり、別途「不明」という選択肢も設けるべきではないか。「無」と断定するよりも「不明」の方が実態を正確に反映する。なお、労災時効救済の特別遺族給付金関係の石綿肺がんの様式には「不明」のチェック欄がある。

40年前の同僚を探し当て「同僚証明」をもらうのは非常に困難
ところで、労災認定で大きな役割を果たしたのが、Mさんの当時の同僚による「石綿ばく露作業の職歴証明書」であった。Mさんはアスベストばく露作業から40年を経て肺がんを発症しており、40年前の同僚を探し当て、「同僚証明」をもらうのは非常に困難に思えた。
しかしながらMさんは記憶を頼りに、当時同僚の一人が「新しくできた団地に住む」と言っていた事を思い出した。そしてその同僚が40年間ずっと同じ団地に住んでいるかどうか不明であったが、30棟近くある団地の集合ポストの名前を一つ一つ調べて歩いたのである。
病気を抱え疲労困憊しながら30棟近い団地を巡るが、歩けども歩けども、見覚えのある名前は見つからない。精根尽き果てるかと思った最後から2番目の棟に、ついに同僚の名前を発見したのである!早速、事情を伝えたところ、同僚は快く「同僚証明書」を引き受けてくれたのである。
この「同僚証明書」に限らず、Mさんに、最後までやり遂げるという強い気持ちがあったからこそ労災認定に結びついたのであり、改めてMさんのご努力と信念に畏敬の念を覚える。

ご家族みんなで支えた労災認定
労災認定に至るまで、ご家族みんなの支えがあったが、なかでも息子さんが率先して中心的に動かれた。そもそも息子さんがインターネットで調べて当センターに連絡を下さったのが発端で、その後も労災認定に向け行動を共にしてきた。息子さんは、今後は、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会の「神奈川支部」の活動にも参加して下さることになった。Mさんのご遺志を引き継ぎ、アスベスト被災者のための活動をともに頑張っていきたい。
生前にMさんからは、今後の労災認定等で役立てて欲しいと、1970年代の船舶用資材のアスベスト船舶資材が多数掲載されている商品カタログをお預かりしたので、関心ある方はご連絡ください。
なお、Mさんのケースでは、「肺がん」と確定診断をした医療機関の転医前における療養の労災給付の扱いが積み残しであり、これは今後の課題として私たちに託された。