Dさん過労死労災裁判、東京高裁で和解!

 過労死した役員付運転手のDさんの民事損害賠償裁判について東京高裁で和解が成立した。ご遺族と代理人の小宮弁護士から感想を寄せて頂いたので紹介する。【川本】

裁判を終えて:Kさん(Dさんのお連れ合い)

 7年前の15年10月10日、夫が心筋梗塞でなくなりました。そして2ヶ月後の12月に新宿労基署に労災申請、半年後16年6月不支給決定、翌7月に東京労働局へ審査請求し、11月に意見陳述を経て、17年3月に不支給決定が取り消され労災認定となり、2ヶ月後の5月にようやく支給決定通知がきました。

 労災申請に関しては、夫を亡くし精神的にかなり参っていた私は、正直あまり積極的ではありませんでした。ただ、娘が私の今後を心配し、また父の死に対して納得がいかなかった様で、労災認定に対し強い信念をもって申請手続きやその後の会社との和解交渉に臨んでくれました。何も分からない中で、1歳半の息子の子育てと両立しながらの書類作成や労災についての勉強等、大変だったと思います。

 不支給の通知後、審査請求からは、労災申請当初から相談に乗っていただいていた神奈川労災職業病センターの川本さんに代理人になっていただきました。審査請求における口頭意見陳述での新宿労基署の担当者とのやりとりは今も忘れません。経験を生かした豊富な知識で、新宿労基署の杜撰な調査を論破し、自庁取消の決定に導いていただきました。

 労災認定の後、17年5月頃よりセーフティと直接和解交渉が始まり、セーフティに対し二度とこのような過労死を起こさないよう要望を出しましたが、私達の要望は全く理解されず、和解どころか不信感や不快感が大きくなるばかりでした。その後、小宮弁護士を紹介していただき、提訴し裁判となりましたが、その後の裁判でのセーフティとのやりとりは私にとってとてもつらいものでした。ある事ない事、夫に対しての誹謗中傷が続き、セーフティを絶対に許せない気持ちが強くなりました。幸い、22年4月に横浜地裁で判決し全面勝訴となりましたが、セーフティが控訴。同年11月に東京高裁にて和解成立となりました。高裁での判決はもらいませんでしたが、私達の望んでいたセーフティからの謝罪の意味が含まれた和解内容となり、納得のゆく結果になりました。

 労災認定、裁判とあわせて7年、本当に長い闘いでしたが、いつも私たちの気持ちに寄り添って力になって頂いた川本さん、よこはまシティユニオンの平田さん、小宮弁護士、そしてご支援頂いた多くの方々に改めて感謝いたします。本当にありがとうございました。

 最近、労災保険制度における、事業主不服申立制度の導入が検討されているという記事を目にしました。この制度が導入された場合、労災が認定されたとしても、その後認定そのものを争うために事業主からの不服申し立てが可能になってしまう。労災認定そのものが覆されてしまうのではないか、また労災申請調査の段階でも被災者に不利な申し立てをするであろう会社が増え、増々労災認定されない事案が増え、また労災申請そのものを躊躇する人が出てくると思います。労災認定されない、支給が遅れるという事は、私達の様な遺族や労働者にとって死活問題になります。安心して労災申請が出来ない制度は考えると本当に恐ろしいことです。早急に撤回するべきです。

Yさん(Dさんのご長女)

 父の過労死から7年。ようやく会社の損害賠償請求裁判が終わりました。遺族にとってこの7年はとても長く感じ、辛いものでした。娘の私と母、2人だけでは到底乗り越えられなかった道のりです。前日まで普通に生きていた父が、仕事に行って、心筋梗塞で倒れ亡くなり、今でもあの日の事は鮮明に覚えています。当時は現実とは思えず、葬儀の時でさえ父が生きている様な、そんな感覚に陥っていました。母は私以上に呆然自失だったと思います。残された母がとても心配でした。

 その後、労災申請の作業をすることで、私自身、気持ちを保っていたのかもしれません。今振り返ると、父が残してくれたものたちを拾い集めることで、父の事を思い出し、気持ちを鎮めていたのかもしれません。

 労災申請が無事終わり、月平均152時間も残業をしていた事実がありましたので労災認定は絶対だと、まさか不支給になるとは思っておらず、私と母は愕然としました。なぜならその時私達は、労基署も会社も労災認定に協力してくれていると信じて疑っていなかったからです。そして、労災申請の時に電話で一度相談していた川本さんに「不支給になってしまった。どうしたらいいですか?」と、相談に行きました。労災申請前に一度電話でお話をしただけでしたのに覚えていて下さり、開示請求した書類を持ち、相談に行くと、川本さんは一言、「この会社、悪意があるな」とおっしゃっていました。私達は気づいていませんでしたので、それを一瞬で見抜く力はさすがだなと思いました。

 この後から、自分たちがどれだけ甘かったのかと、現実を思い知らされる事の連続でした。私は、もう誰も信じられない。会社も労基署も最大限協力しますと何度も言っていたのに簡単に裏切るんだと、半ば人間不信に陥ってしまいました。

 奇跡的に川本さんに相談できた事で審査請求、口頭意見陳述を経て、労災を勝ち取る事が出来ました。心細い私達の強い味方でしたし、川本さんが居て下さらなければ労災認定はされていなかったと思います。

 そして、会社との直接和解交渉の最中、会社側が代理人弁護士をたてたので、川本さんが小宮弁護士を紹介して下さいました。直接の和解交渉はうまくいかず、裁判が始まり、準備書面で父の誹謗中傷をされ、裁判を引き延ばされました。はじめは、裁判など一般庶民の生活には関わりのない未知の世界で、会社の主張を真に受けては落ち込んでいました。ですがやはり私の知っている父は会社の主張する様な人では無いし、川本さんと小宮弁護士がとても丁寧に緻密に裁判に向き合い、サポートして下さったお陰で、長くかかりましたが、地裁の判決は全面勝訴で終わる事が出来ました。真実が勝つということが証明され、とてもとても嬉しかったです。

 その後、会社側から控訴がなされ、高裁では和解交渉をしました。正直はじめは、和解などしてやるものか、絶対に判決をもらうんだと考えていました。ですが、裁判所としてはやはり父の死と仕事との因果関係はあると思っている、基本的な考えは地裁と変わらないという事が、裁判官と話していて伝わってきましたし、小宮弁護士が、(訴訟における)和解イコール相手を許さなくてはいけないという事ではないんだよと言って下さった事で、目から鱗が落ちました。会社を許さなくてもいいのかと思えた時、肩の荷がスッと下りました。たとえ高裁で判決をもらい、最高裁までいったとしても、今、高裁で和解したとしても、会社に対する気持ちは変わらないだろうと思ったからです。

 残念ながら、個人が頑張っても会社の体質を変えられないこともあるのかもしれません。ですが、全力で後悔しない様ここまで闘ってきました。父が亡くなってからいつも父が見守ってくれているような、3人で闘っている気がしていました。裁判を通して、普通ではできない貴重な経験ができ、川本さんをはじめセンターの皆様や小宮弁護士、たくさんの信じられる味方に出会えたことは私と母にとって一生の財産となりました。この場を借りて、川本さん、小宮弁護士、平田さん、裁判の応援に来て下さった方々、皆様に感謝の気持ちを伝えたいです。有難うございました。

小宮玲子弁護士(神奈川総合法律事務所)

 本件労災事案における最大の問題点は、会社が、自社の車両管理責任者でもある運転手を長く働かせた分だけ取引先に代金を請求できるというシステムにあります。その代金が労働者に支払う賃金を上回るものである以上、会社には自社労働者の労働時間を短縮させるというインセンティブはそもそも働かないというビジネスモデルです。

 しかも会社は、Dさんの勤務が、早朝の社長宅へのお迎えに始まり会食接待終了後の深夜の社長宅への送り届けに至る、極端な長時間拘束かつ勤務間インターバルの短い労働実態にあったことに加えて、週末もゴルフ接待の送迎の休日出勤が常態化していたということが日報上明らかであることをふまえながら、本裁判では、「運転業務間に車中で休めた(はずな)のだから過重勤務ではない」との主張を繰り返しました。「役員付運転手は役員車の中で休めばよい」などとして何ら業務軽減措置をとらなかった会社の対応は、自動車運転者の労働時間等の改善のための基準(改善基準告示)が、長時間・過重労働の実態から脳・心臓疾患の労災請求・支給決定の件数も多いとされる自動車運転者の健康確保等の観点に基づき、規制強化への見直しがされている現行の流れとは完全に逆行したものです。

 このような会社に対し、Dさんのご遺族は、同種事案の再発防止のためにもと、最後まで会社の責任を追及する姿勢をつらぬき、本件解決に至りました。真面目でプロフェッショナル、そして優しく、家族思いだったDさんは、ここまでのご家族の頑張りに「驚き」、そして喜んでくれていると思います。