旧国鉄・JRアスベスト裁判:本人および証人尋問

旧国鉄・JR大井工場アスベスト裁判を支援する会事務局長 小池敏哉

 5月17日は30名が傍聴する中、原告側証人として3名が、被告側証人として1名が証言台に立ちました。

A氏(元大井工場鉄工職場の同僚)

 A氏は、鉄工職場で被災者と一緒に作業していたこと、アスベストを使用して手づかみで養生をしていたこと、気吹きの際や、ガスや溶接、サンダー作業など車両の外板を修繕する際に埃や粉じんが舞い上がっていたこと、作業者によってまちまちだった当時のマスク使用状況や着用を巡る会社の指導状況、石綿の危険性の指導はなかったことなど、作業実態について具体的に証言しました。
 これに対し反対尋問では、工場転勤前の仕事内容、201系車両に鉄工作業がなかったこと、石綿封じ込め作業などについて質問がありました。

B氏(元大井工場第2電車職場)

 B氏は、車両説明書(国鉄設計事務所作成)を示しながら厚さ15㍉の吹付石綿が使用されていたこと、殆どの車両の車体外板、幕板、戸袋、床板等に石綿含有アンダーシールが使用されていたこと、ブレーキの制輪子などに使用されていた石綿が粉塵化し車体下部に付着していた可能性や、床下の機器箱内にも石綿が多用され、手入れ時に飛散していた可能性にも言及。また、車体修繕場では昭和60年以降も一日に数度も気吹き作業が行われ、その際に石綿を含む粉じんが舞い上がっていたと証言。さらに、車修場に換気扇はなかったこと、大戸があったが開閉や換気のルールはなく、気吹き作業の事前周知はなかったと述べました。また、国労大井工場支部機関誌「汗闘」の写真を示し、当時の鉄工職場ではかなりの作業者がマスクを着用していなかったことを指摘。最後に、被災者は1958年から39年間もこのような劣悪な環境で作業していたこと、自身も石綿プラークがあり健康不安があること、大井工場では肺がんや中皮腫の労災認定者が20名もいること等を述べ、会社の真摯な対応を求めました。
 反対尋問では、車修場に送風機があったと指摘されたので、壊れていたと述べると、なぜ修理を要求しなかったのか、電車が何㌔で走行しどこでブレーキをかけるか分かるか等の質問がありました。

C氏(被災者の次男)

 C氏は、父親の居住地域に石綿関連職場はなく、環境ばく露は考えられないこと、父親は退職後に脳梗塞を発症し、検査で肺がんが発見され、石綿による労災認定されたこと、同じように劣悪な環境で働き病気で苦しんでいる人のためにも裁判で会社の責任を明らかにしたいと聞かされたこと等を証言しました。また、亡くなる直前の様子や遺族としての無念や悔しさも具体的に語り、故人の志を継いで裁判に臨んでいること、JRが安全な職場になることを願っていると述べました。

S氏/被告側証人(元大井工場鉄工職場)

 S氏は、車修場は大戸を開けて換気していた、気吹きの際は退避していた、鉄工職場のプラズマ小委員会からマスク着用の指導がされていた、石綿は水につけて使用しており飛散しない、養生に使った石綿は鉄工班は除去していない、石綿使用のガス溶接器火口交換はごくまれで短時間だから問題ないと聞いている、大量の粉じんや石綿は飛散していない等と述べました。
 反対尋問では、電車に石綿が使用されていた事を知っていたかと質問すると、認識はしていたと回答。大戸の開閉ルールについて尋ねると、ルールはないがいつも開けていたと強弁。気吹きの回数や時間について確認すると、言葉に詰まり、時間は決まってないこと、回数ももっと多かったと認め、認識不足と答えました。

裁判官からの尋問

 裁判官からも、各証人に対し何度も質問が行われ、事件への問題意識が高く、詳細に検討している姿勢が感じられました。最後に、裁判長から和解の可能性について打診があり、次回期日の9月12日に「和解について意向を聞く」とし、閉廷しました。

 裁判後の報告集会には約40名が参加。弁護士から経過報告と、「この裁判はJR東日本の責任を問うもので現職及び退職者や関連労働者に与える影響は極めて大きい。労働組合としてもしっかり位置づけ支援をお願いしたい」と強調されました。原告側証人3名からも傍聴支援の御礼とあいさつがありました。