長時間労働うつ病による労災認定と損害賠償請求

弁護士 小島周一

1、事案の概要
M氏は、A有限会社(以下、「A社」)のタンクローリー運転手として勤務していた。A社は株式会社B社(以下、「B社」)が指示する内容に従い、自社所有のタンクローリーで、その従業員(タンクローリー運転手)をして各ガソリンスタンドへのガソリン・軽油等の配送業務に従事させていた。B社は、タンクローリー業界では大手の会社である。B社がA社に発注していたのはタンクローリー6台についての配送であり、6台のタンクローリーのガソリン等配送業務に従事していたA社の従業員は、M氏を含めて6名であった。
この配送業務によるM氏の労働時間は、早朝から深夜に及ぶ過酷なもので、朝2時から3時台にA社の駐車場に到着し、タンクローリーを運転してB社の首都圏センターに行って、B社の担当者による配送先確認を受けて出発してから、給油所でのガソリン等の積み込み、ガソリンスタンドでの荷卸しを終えて、A社の駐車場にタンクローリーを止めるのが午後6時台から9時台であった。
そのためM氏の1ヶ月当りの時間外勤務は平成12年に177時間余、13年に193時間余、14年に222時間余、15年に225時間余、16年に193時間余、17年に193時間余、18年には165時間余に及んだ。これほどの長時間労働を強いられた結果、M氏は平成15年12月にうつ病を発症。しかし当初はM氏自身もうつ病であるとは気づかず、その後も長時間労働を強いられた。平成18年11月、M氏はうつ病と診断されると共に入院を勧められ、A社に休ませて欲しいと申し出たところ退職強要を受けた。
その後、M氏は、よこはまシティユニオンに加入。神奈川労災職業病センターの協力も得て自己申告による労災申請を行い、平成19年12月、鶴見労働基準監督署は、M氏のうつ病の業務起因性を認め、労災の支給決定を行った。労災申請が認められたことにより、療養給付、休業補償給付はなされるようになったものの、A社もB社も自らの安全配慮義務違反を認めようとはしなかった。そこで、平成21年6月、提訴日までの休業損害、将来の就労不能分の逸失利益、慰謝料等の支払を求めて、雇用主であるA社、元請であるB社に対して損害賠償請求訴訟を提起したのが本件訴訟である。

2、争点について
訴訟で被告側は、M氏がうつ病であるか否かそのもの、業務起因性、(時間外手当を支払っているにもかかわらず)時間外労働の時間、M氏が自ら退職したのだということまで争ってきた。
実質的かつ主要な争点は、①M氏が提訴後もなお就労不可能なうつ病の状態にあるか否か、②症状固定診断がなく、依然としてうつ病の治療中であるという状況の中での将来損害の認定の可否、③元請B社に、A社の従業員であるM氏に対する安全配慮義務違反が認められるか否か、であった。

■争点①について
被告側は、業務による心理的負荷を原因とするうつ病は、その負荷を取り除けば多くの場合半年から1年、長くても2~3年の治療により完治するのが一般的であって、M氏は外出もしており、うつ病が治った若しくは長時間労働とは関係がない等と主張した。また、A社は、M氏の労働時間が長い(ように見える)のはM氏が時間外手当欲しさに、働いてもいない時間を働いたと報告したり、必要もないのに早出したからなどと主張した。
これに対し我々は、M氏が提訴後も就労不可能なうつ病状態にあることについては、M氏の治療に当たっている医師のカルテ、診断書等から明確に認められると主張した。
また、M氏の労働時間がことさら長いというA社の主張は、他ならぬA社提出の証拠で粉砕された。即ち、A社の提出証拠で明らかになった他の5人の運転手の労働時間も、M氏に負けず劣らずの長時間であり、そのうちの1人は、独り暮らしの自宅で突然死していたことまで明らかとなったのである。

■争点②について
我々は、症状固定として後遺症診断書が作成されたということは、将来損害の高度の蓋然性を示すものではあるが、それがなければ将来の損害が認められないというものでは無いこと、提訴(平成21年6月)から5年半(平成26年12月)を経過した時点でもなおうつ病により就労不可能な状況にあることから、少なくとも今後同程度の期間はうつ病により就労不可能な状況にあるとして、その期間の将来損害の賠償を求めた。

■争点③について
B社の主張は、「B社が決定し、A社に発注しているのは、あくまでも『このタンクローリー(例えばタンクローリーA)は、この日に、このガソリンスタンドに、それぞれこれだけの量のガソリン・軽油等を配送すること』であり、それに尽きる。即ち、『タンクローリーAに運転手として誰が乗るのか、タンクローリーAを何人の運転手が担当するのか(例えば3人が交替して勤務するなど)、タンクローリーAの運転手の労働時間管理、健康管理』などは、あくまでも使用者であるA社が行うべきことであって、仮にA社の運転手が長時間労働によってうつ病に罹患したとしても、A社の使用者責任が問われることがあり得ることは格別、B社には使用者責任が生じる余地がない」というものであった。
しかしながら、B社が発注する6台のタンクローリーの運転に従事していたA社の運転手は、タンクローリーの台数と同じ6人であり、それは朝の出荷先確認(点呼)等でB社も把握していた。つまり、ローテーション等で運転手の労働時間を短縮する余地はなかったのである。
また、B社とA社の業務委託契約上、石油類の配送先を決定するのはB社であり、A社(及びタンクローリーの運転手)が配送先を変更することなどは厳に禁じられていた。そしてB社の配車係は、タンクローリーが午前4時から4時30分頃にB社の首都圏センターを出発し、概ね午後7時頃に帰庫することを想定した配車内容を決定していた。つまり、B社の決定した配送内容で配送すれば、少なくとも午前4時から午後7時までの1日15時間勤務になる。そしてM氏ら協力会社の従業員は、その前に自社の駐車場に寄ってタンクローリーをB社の首都圏センターまで運ぶ必要もあるのであるから、これに1時間弱の勤務時間が加算されるのである。このような過酷な労働時間を連日続けたら、人間の健康が破壊されるのは明らかである。現に、B社の証人は、B社が直接雇用している運転手には、このような勤務を指示するのは週2回までと決まっており、他の日は別な軽易な業務をさせていると証言したのである。
以上のとおり、タンクローリーの稼働時間を決定しているのはB社であり、A社のタンクローリー6台を担当しているA社の運転手が6人であって1人の運転手が連日タンクローリーの運転をしていることをB社は知っており、かつ、B社の指示する配送内容を1人の運転手が連日担えば健康被害を生じる恐れが大きいこともB社は知っていたのであるから、B社には、A社の運転手に対しても、使用者と同様の安全配慮義務があると、我々は主張した。

3、審理終結と裁判所の和解打診

審理は平成26年12月18日に結審し、判決言渡期日が平成27年3月17日に指定された。その間、裁判所から和解打診があり、担当の影浦裁判官から裁判所の見解が示された。
まず、将来損害についてははっきり否定した。その余の損害については、判決の場合の認容見込額が示されたが、それは、提訴後一定期間で切り、かつ、その後の労災支給を損益相殺の対象としたとしか思えないような金額であった。しかし、認容損害を提訴後一定期間で切るとしても、その後の労災支給は労基署の決定に基づく支給であって、本来損益相殺の対象とすることなど許されないものである。この点については、影浦裁判官の言動等からしても、裁判所がその論点を完全に見落としたとしか思えない。
また、B社の使用者責任については「合議が割れている」とのことであった。多数の2がB社の責任を認める意見なのか、否定する意見なのかは不明であったが、途中で運転手1人が突然死するような勤務をせざるを得ない「配車指示」を出し続けていたB社の使用者責任について、これを否定する意見があったということは間違いのないところである。但し、裁判所が提示した和解内容は、認容見込額ではなく、それを上回る内容であった。 なお、この和解交渉の関係で、判決言渡期日は4月16日に変更された。

4、和解とその評価

以上の状況を踏まえ、我々はM氏らと協議の上、基本的に和解での解決を目指すこととし、更なる交渉を経て、平成27年3月26日、本件は和解で解決した。A社が、労災保険等の給付とは別に解決金を支払うこと、B社がそれを連帯保証すること等が主たる内容である。和解は、うつ病治療中の労働者本人が提訴した事件としては極めて高水準の解決であると評価できるものであった。また、直接の雇用者ではないB社がA社の義務を連帯保証したことも、協力会社の従業員の健康を犠牲にして利益を上げようとする元請会社への警鐘という意味で大きな成果であると言える。
他方、平成18年11月の退職強要から8年もの間就労できず、通常の生活すらできない重度のうつ病に罹患したこと、そのような結果を招いたA社とB社の労務管理を目の当たりにしたはずの裁判所が、損害の算定において及び腰であり、B社の責任についても少なくとも1名は否定的であったという点は、現在の裁判所が現場の労働者の実情をいかに知らないか、知る姿勢が弱いかを物語ると言わざるを得ない。今後この種の訴訟を行う場合はもとより、労働事件を行う場合、現場の実情を裁判所にきちんと伝えきることが極めて重要であるということを改めて痛感した事件でもある。