精神疾患の労災不支給決定について取消訴訟を提起:弁護士 広谷 渉(横浜法律事務所)

パワハラと業務内容の変化による病気の発症

 H氏は、大手自動車会社N社の子会社であるN・A社でエンジニアとして働いていましたが、親会社のN社に出向中の20年5月頃にうつ病を発症しました。本件の特殊性は、発症前6ヶ月間(19年12月〜20年5月)の期間に、H氏がN・A社にいた時期(19年12月〜20年3月)とN社にいた時期(20年4月〜20年5月)の両方があることでした。
 N・A社にいた頃、H氏は職場で意見を述べたことがきっかけとなり、当時の上長らから疎まれ、無視される・机を叩いて恫喝される・日常的に陰口を言われる・重要なミーティングに呼ばれないと言ったいやがらせを受けました。そして、最終的にH氏は最終的に本社への出向対象として選定され、職場から排除されることとなりました。
 N社に出向してから、H氏は慣れない環境に置かれ、これまでの専門分野と全く異なる業務に従事させられました。しかし、N社のサポート体制は不十分で、H氏は孤独な中で業務に取り組みました。そのような経過の中でH氏は心理的負荷が累積し、ついにうつ病を発症してしまいました。

不当な業務外決定と棄却決定

 H氏は自身が罹患したうつ病が業務上であると考え、神奈川労災職業病センターの協力のもと22年6月に労災申請をしました。しかし、労働基準監督署は十分な調査をすることなく、23年2月に業務外の決定をしました。
 労基署の判断は事実認定が不適切であることはもちろん、事実に対する評価の面もきわめて不当なものでした。労基署はH氏の受けた精神的負荷をN・A社時代で「弱」程度、N社時代で「中」程度と評価し、総合評価で「中」程度にすぎないと判断しました。
 H氏はこの決定についてすぐに審査請求をしました。私が労職センターからこの事件の相談を受けたのは24年夏でした。その後、初めて打ち合わせに参加した時には労基署の業務外決定に対する審査請求について、ちょうど審査官から棄却の裁決があったところでした。
審査官の判断はH氏の心理的負荷についてN・A社時代で「中」、N社時代で「中」と労基署段階よりも若干の上方修正をするものでしたが、審査官はこれらが「別々の事業場でそれぞれ認められた心理的負荷の強度である」という理由で、併合をせずにH氏の被った心理的負荷を全体で「中」程度にすぎないと評価し、H氏のうつ病を業務外のものであると判断しました。
審査官の判断は実際にH氏の受けた心理的負荷を適切に評価したものとは言えません。加えて注目すべきは審査官が出向前後の心理的負荷を併合することを否定した点です。 このような審査官の考え方は労災認定基準の適用を明らかに誤ったものであろうと思われたため、私たちはこうした判断が再審査請求段階で覆ることに望みを託しましたが、残念ながら再審査請求段階でも棄却裁決をされてしまいました。

労災不支給決定について取消訴訟を提起

 私はH氏の主張や本件の実体的事実関係について、労基署・審査官・審査会といった行政がまったく向き合ってこなかったと考えています。これでは裁判前に二度の不服申し立て機会が与えられている意味がありません。
 今年8月、H氏は不支給決定についての取消訴訟を提起しました。訴訟はまだ始まったばかりではありますが、今後、H氏の代理人として彼が出向前・出向後それぞれの時期に受けた心理的負荷について、精神疾患の発症につながるような強度のものがあったこと、出向前後の心理的負荷を併合すべきであることを主張・立証していきたいと考えています。
 本訴訟は神奈川労働相談ネットワークの非正規労働者等支援基金からのご支援をいただいております。取消訴訟は狭き門ではありますが、ぜひ良いご報告をしたいと願っております。

訴訟提訴に際して思うこと:原告Hさん

 まずは、取り消し訴訟提訴までこぎ着けられたことに対して、神奈川労災職業病センターの皆様、社労士の森田様、そして弁護士の広谷様には深く感謝を申し上げます。
 今回、精神疾患を患い、その労災申請を行って感じたことは、認定基準が全く実態に即してないことで労災認定を獲得することが非常に難しいということです。


 まず、長時間労働が無ければ簡単には労災と認められない基準になっており、確かに長時間労働という定量的な数値があれば認定する方としては判断が楽でしょう。長時間労働をさせるような職場の労働環境が劣悪な場合が多いのも事実でしょうが、長時間労働は直接的な発病の要因ではないように思います。やはりハラスメントを含めた人間関係や給与報酬に対する業務負荷が適切であったかが発病に直接起因し、それらをより重視して評価すべきだと感じました。特に私の場合はパワハラの延長線上で不当な人員整理よる左遷の要素を多分に含む形で一方的な会社命令により本社出向となり、更に出向手当も何も出ない就業条件で本社社員と同じ立場で働くことを強要され発病に至りました。これが正当な出向であったとしても本社社員との給与差が200万円以上で、タダ働きを強要されたことと同意です。精神疾患による労災認定基準には、このような給与報酬に対する適切な業務負荷という観点が全く評価基準に入っておらず、大きな問題だと感じました。

 また、心理的負荷を評価する具体的項目は別々の項目に分類されているのにも関わらず、心理的負荷強度を判断する具体例は同じような内容がいくつも散見されます。それ自体は問題ではないと思いますが、労基署が行う評価方法に大いに問題があると思います。同じような具体例で複数の具体的項目に該当する場合は、より多くの項目に該当することから心理的負荷強度はより高くなると評価すべきだと思います。ですが、労基署は心理的負荷強度が高いと評価するどころか、労災不支給のために都合よく解釈し、心理的負荷がより小さい様に評価している点が問題です。特にパワーハラスメントに関する部分では単なる上司間、同僚間のトラブルへと曲解し、パワーハラスメントを決して認めようとしません。このような現状では、万が一の場合に労働者を守るはずの労災保険が意味を成していません。一刻も早く実態に即した評価基準に是正し、本当に困っている労働者を守れるような制度に改正すべきだと思います。

 一方、労基署の調査に対し、息をするように嘘の証言をした会社に対しては本当に憤りと嫌悪感しかありません。入社から20年近く勤務してきた中で数多くのメンタル疾患による休職者、それに伴う退職者を見てきましたが、驚くことに私の労災申請が会社として初めてだったようです。私の労災申請時にも会社からの妨害があり、今まで数多くの人たちが泣き寝入りを強いられてきたことが容易に想像つきます。このような状況は決して許してはいけないと思います。

 今後、私の労災申請が正しく認められることによって、私と同じような体験を決して味わうことなく、当たり前の保証を受けられる健全な労働環境へと是正されることを願っています。