軽度外傷性脳損傷(MTBI)について

MTBI友の会事務局長 斎藤洋太郎

労災事故や交通事故によって外傷性脳損傷(Traumatic Brain Injury以下、TBIという)という中枢性の器質的障害が起きる。しかし、「むち打ち」や「ねんざ」と誤診されて長年苦しんでいる人は多い。

軽度TBIとは、軽症とは限らず、受傷後の意識障害が軽度(Mild)という意味だ。世界保健機関(WHO)は、2004年に軽度TBI(以下、MTBIという)の定義を策定。受傷後の意識消失(30分以内)・記憶喪失(24時間未満)・意識の変容(混迷=錯乱)・神経学的異常などが一つ以上あればMTBIと定義される。

TBIは毎年10万人当り150人ないし300人発症し、その9割はMTBIだ。MTBIの9割は軽症だが、1割は重症で「不幸な少数者」と呼ばれている。

MTBI友の会の結成
「むち打ち」と診断されたが実は「中枢神経損傷」であると主張する労災申請は1990年代から取り組んでおり、2008年には労災再発裁判の逆転勝訴判決を得た(のちに労災障害等級2級)。

患者や家族等が集まり、2009年に「MTBI友の会」を結成し、翌年、公明党の山本ひろし参院議員が初めて国会で取り上げたり、神奈川労災審査官や神奈川・千葉・埼玉の労働基準監督署がMTBIなどについて障害等級3級や9級を認めたりした。

労災認定基準と補足通知
厚生労働省は2003年、専門検討会の報告書を受け、「神経系統の機能又は精神の障害に関する障害等級認定基準」を策定した。

この基準は、脳の器質的損傷による、高次脳機能障害(認知障害)と、身体性機能障害(運動障害・知覚障害など)を正確に区分しているが、画像所見がなければ認めない。たとえば、TBIによる高次脳機能障害でも、画像所見が認められない場合は一律に障害等級14級なのだ。

2013年6月18日、厚生労働科学研究を受け、画像所見が認められない場合、労働基準監督署で判断せず、厚生労働省で本省協議することとした。同研究は、WHOのMTBI定義は有用であり、画像所見が認められなくとも障害等級14級を超える場合があるとしている。

労災の本省協議
しかし、厚生労働省は2014年度、本省協議で8件中7件についてMTBIを否定し、1件についてはMTBIだが障害等級14級だとした。

MTBI友の会会員も労災の障害や再発請求をしているが、なかなか認定されない。その否定の仕方は医学的にも手続き的にもひどいもので、MTBI友の会では原則、次のように認定するよう主張している。

①労災の基本は診断だ。体系的な神経診断学により、まずTBIであることを確定せよ。

②TBIという結果を踏まえ、原因を究明すること。国際基準である、WHOのMTBI定義を満たすと推測される事故を原因と判断すること。

TBIの確定診断のためには、画像診断に代わる方法として、1500例以上の症例を持つ石橋徹医師(ひらの亀戸ひまわり診療所)が施行している診察や検査、紹介検査が有効だ。

T労災裁判の控訴審
労災再発裁判の原告は、よこはまシティユニオンのTさんだ。Tさんは、宅地造成現場で作業中、落ちてきた岩盤に頭部を直撃される事故に遭った。当初から「むち打ち」「頚椎ねんざ」と誤診され、様々な症状に苦しんでいた。数年後、石橋医師の正確な診断により「MTBI」として労災再発申請をしたが、横浜南労基署は認めず、審査・再審査も認められず、2011年に提訴。そして、2014年11月27日、横浜地裁の阿部正幸裁判長は、労災事故とMTBIの因果関係を認めず、原告の請求を棄却した。Tさんはすぐに控訴した。

Tさんには、別表2に掲げたほとんどの異常所見がある。また、受傷後に混迷(意識の変容)と四肢脱力(神経学的異常)という、WHOのMTBI定義を満たす急性症状が推測される。TBIの原因は明らかに労災事故と判断すべきだ。

お粗末な地裁判決
地裁判決に点をつけるとしたらほぼ零点だ。お粗末ででたらめな判決の概要は次の通り。

① 基準が違う
本件は労災事故なのに、労災認定基準を使わず、自賠責基準によって切り捨てている。
この自賠責基準は保険会社側が勝手に2011年に作ったものでMTBIを意図的に「軽症」と誤訳している。前述のように、MTBIのすべてが軽症ではなく、MTBIの1割は重症だ。受傷後の意識障害が軽度でも軽症とは限らず、重症例もある(07年WHO報告)。

② 概念が混乱
Tさんの異常所見である「左難聴、左複視、平衡障害、嗅覚障害、味覚異常、嚥下障害、物忘れ、視力不良、視野狭窄、内斜視、尿失禁」等をすべて「高次脳機能障害」でくくっている。

TBIによる器質性の精神障害である高次脳機能障害(認知障害)は、このうち「物忘れ」だけ。「尿失禁」は膀胱まひ、「難聴」以下あとの障害は脳神経まひで、いずれも精神の障害ではなく、身体性機能障害だ。つまり、判決は、TBIの一種であるMTBI、TBIによる高次脳機能障害・身体性機能障害の関係について大混乱をきたしているのだ。

③ WHO定義を無視
WHOの定義では、受傷後の意識消失・記憶喪失・意識の変容・神経学的異常という4つのうち、1つ以上あればMTBIに該当する。Tさんは事故直後に、意識の変容(混迷)と脱力(神経学的異常)が起き、2つも満たしており、MTBIに該当する。

しかし阿部裁判長は、「意識消失がないから認めません」と書いた。あまりにふざけた、笑えない、コント以下の判決である。

④ 主治医の意見を否定
因果関係を認める石橋医師の意見書について、判決は、「受傷後に意識障害があったことや、TBIの症状が当初からあったことを前提にしているから採用しない」とした。

石橋医師は現在の症状を神経診断学によりTBIと診断したうえで、因果関係(受傷後の意識障害や誤診の構造)を考察しているのであって、判決がいうのとは順序が逆だ。結果がある以上は原因がある。病気という結果から原因をさぐるのが科学の役割であろう。

労災では診断を確定し、確定診断を前提に原因を究明するという基本を裁判所は踏み外している。