Aさん労災の上積み補償を勝ち取る

プレス機で重大労災事故
2013年11月、日系ペルー人のAさんが、プレス作業中に左手をつぶされる労働災害に遭った。すぐに病院に搬送されたが、左肘の下から切断することを余儀なくされた。労災の手続きなどは進められたが、これからの生活に不安を覚えたAさんは、知人の紹介でセンターに相談し、よこはまシティユニオンに加入して会社と交渉することになった。
事故の原因は、製品の不具合があった際に、スイッチを切るよりも安全装置を使って機械を止めた方が再稼働が早いということから、日常的に安全装置を使った一時停止を繰り返していたこと。事故が起きた時は、何かの具合でうまく安全装置が働かなかったようだ。もちろんそうした作業手順は、Aさんが自分で考えたわけではなく、社長の指示に従ったもの。会社の責任は明白であるが、従業員10人にも満たない小企業にどの程度の支払い能力があるのか・・・、とにかく交渉を開始することにした。

誠意ある会社対応
ユニオンの要求は、金銭だけではない。被災者への謝罪はもちろんであるが、事故の経過、労働基準監督署からの指導内容など事実関係を共有することが先である。ひどい会社は、自らの責任をなるべく少なくするために労働者に責任を押しつけることも少なくない。
ところが、Aさんの会社は、社長自らが団体交渉の冒頭に深々と頭を下げて謝罪とお見舞いの言葉を述べた。さらに機械の問題点や事故の経過について、写真や図で説明。労働基準監督署からの指導票も提供してきた。そして、賠償金として1千万円を支払うと回答したのだ。

解決とこれから
まだ治療中であるAさんの後遺障害は5級になることが見込まれた。それで算定すると、裁判であれば4~5千万円の金額を請求することになる。裁判は時間もかかるし、会社の指示とはいえ、安全装置を使って停止させることは危険であることは明らかで、過失相殺で減額されることも予想される。また、Aさんとしては、お金はもちろん必要だが、これから障害を負ったまま社会復帰していくことの方が重要。ただ、事故の起きた会社に戻る気持ちにはなれない。実際、会社によると、事故を起こしたプレス機械は誰もさわりたがらないということもあり、その仕事も請けていないという。数回の交渉と事務折衝を経て、会社が2500万円を支払うことで合意に至った。

Aさんには、ユニオン主催の討論合宿で、来日以来20年余のことをお話してもらった。すさまじい経済危機のペルーから来日し、3年ぐらいで帰ろうと思っていたら、あっという間に20年が経ってしまったという。障害を抱えながら、これからも日本で生活してゆくために、まずは日本語をもう少しきちんと勉強したいという(ちなみに、日本人でもわかりにくい労災や社会保障制度のことなどを、日本語による口頭説明でほぼ完璧に理解されている)。ユニオンの活動にも協力してもらう予定である。