鳥取市立小学校教員の過労死事案の概要

天明佳臣(神奈川労災職業病センター所長)

はじめに
2010年11月に、公務労協副事務局長藤川伸治さん(日教組出身)の仲立ちで、鳥取県教職員組合執行委員の井上匡央さんと私は会いました。09年4月に始まった同県市立小学校教員のSさんの過労死公務外裁判について、組合の熱心な取り組みを聞き、その医学的意見書を書くことを引き受けました。
Sさんは1955(昭和30)年生まれで、1977(昭和52)年9月に鳥取県教育員会に小学校講師として採用され、その後、中学校講師などを経て1997(平成9)年4月1日から鳥取市立岩倉小学校の教諭として勤務し、2003(平成15)年3月19日に脳内出血で亡くなりました。妻とお子さんもおられ、当時47歳でした。
妻の弘枝さんが鳥取県教職員組合の支援を受けて、2003年7月に地方公務員災害補償基金鳥取支部に公務災害の認定請求をしましたが、2004年6月に「公務外」と裁定されました。同年8月に基金支部審査会に審査請求しましたが棄却、さらに再審査請求も棄却され、2009年4月に鳥取地裁に公務外認定処分取り消し請求裁判を提訴しました。
裁判になってからは、鳥取県教職員組合の全面的な協力はもちろんのこと、河本充弘弁護士と森祥平弁護士の緻密な法廷活動が展開されました。本事案発生から9年余経過した2012(平成24)年12月14日に一審勝利判決を勝ち取りました。ところが基金(被告)は、同月26日に「公務外認定処分を取り消す」とする判決を不服として、広島高裁に控訴。2013年2月9日には鳥取県教職員組合主催のS裁判報告集会が開催され、私も出席致しました。

被告主張の考え方
私は結果的に本事案について2回意見書を書いています。1回目は、被告である基金の主張を読み、最初から「公務外」の前提に立っているのではという強い疑念を感じながら執筆しました。
被告の意見書は、一応(と述べる意味は後段で明らかにします)、Sさんの勤務状態を「本件発症前1ヶ月」(平成15年3月16日から同月19日まで)、「本件発症の約1週間前から直前まで」に言及しています。しかし、どちらも「過重な公務であったとはいえない」と切り捨て、死亡当日は「ほとんど勤務していない」としています。しかし、実態は、体調悪く「勤務できなかった」のです。
基金の主張は、過去の脳・心臓疾患の労災認定基準の考え方、すなわち過労の蓄積を適切に判断しない、いわゆる災害主義の枠組みを出ていないのではないかと私は考えました。つまり、「①発症の直前、少なくとも当日、②従来の業務内容になかったほどの、③業務に関する突発的又は時間的、場所的に明確にしうる出来事、もしくは精神的または肉体的負担(災害)あり、④基礎疾患等があった場合は特に、当該疾患の自然的発生または増悪に比して著しく早期に発症等をさせる原因になったと医学的に認められ場合のみ労災と認定する」という考え方です。さきほど「一応」という言葉を入れたのは、1ヶ月前までの業務を評価しているからです。
もう一つ、基金は、原告側が基本的に受け入れられない主張を持ち出しています。「教育職員の公務たる時間外勤務とは、使用者の指揮監督下(職務命令)による労働時間及び黙示の職務命令(時間外勤務が職員の自由を強く拘束するような形態で行われたもの)の下での労働時間をいうのであって、職員の自主的・自発的な取り組みは時間外と認定すべきではない。」従って、「Sさんの出勤後、始業までの時間は使用者の指揮監督の下にないことから時間外勤務に含めることはできない」としています。

Sさんの勤務実態
Sさんの校務分掌は、2年2組担任の他、理科主任、同和教育主任、町区別児童会、職員厚生担当など16に及んでいました。川崎市教育委員会の元職員部長にこの分掌一覧をみてもらったところ、いくつかは一つに纏められのではないかと考えるが確かに多すぎるという意見でした。
岩倉小学校の22人の教諭が2004(平成16)年3月19日の公務災害認定請求書に寄せた文章を読むと、どの方も「仕事が忙し過ぎ」「時間に追われる」「拘束時間が長過ぎる」と訴えており、とくに人柄が温厚、気遣いの人であり、責任感が強かったSさんの職務負担が突出して過重であったと認めています。さらに、何人かの教諭は、Sさんが深い過労状態にあったことを示唆する具体的所見を観察しています。
私が注目した過重な負担要因を同僚教員の意見から引用してみます(カッコ内は同僚教諭の意見)。
▼平成14年度10月に岩倉小学校で鳥取市小学校研究発表会が開催され、Sさんはリーダーとして2年生の生活科発表の準備に当たった(これが大きな負担となり、Sさんが主任を勤めていた同和教育研究事業が平成15年2月に延期になった)
▼同和教育主任、PTA同和教育推進担当(同和関連の仕事は出張の他、提出書類も多く、勤務時間内には到底こなせない。Sさんは時間外や家庭の持ち帰り残業でようやく間に合わせていた。同和は通年課題であり、継続的なストレス要因となっていた)
▼参観日と参観週間(参観日は年5回1時間ずつ行なわれる。参観日週間は6月と2月に連続で合計11時間。教員泣かせの行事。精神的に追い立てられるような1週間なのにS先生はとても誠実な方だったのできちんとしなければという気持ちを強くもたれていた)
特に私が注目したのは、発達障害の傾向にあった児童への対応でした。
同じ2年生担任の教諭は、「Sさんのクラスには多動傾向の児童が2名、不登校傾向の児童が3名おり、他クラスと比べその数は多く、その程度もひどかった。うち一人は学習中にわからないと奇声を発したり友達を非難したりする。遊びも自分の思い通りにならないと大声で泣いたり友達を攻撃したりトラブルになることが多かった」。別の教員も、「放課後、学校に来た(不登校児童の)保護者と1時間ほど今後の対応について話し込んでおられたが、2人とも暗い顔で部屋から出てこられた様子を見かけたことがある」と言っています。
Sさんはそういう状況をあまり口にしなかったが、養護教員には「心配です。困っています」と漏らしていたそうです。
「1人の保護者は教師を批判的にみる人で、連絡帳で一方的に感情的に書いてくることがあった。返事をどう書こうかと相談に乗ったこともあったが、保護者の批判は教師にとって大きなストレスである」という記載もありました。

疲労徴候 特に「精神的な不健康の発現」
平成14年度まで岩倉小学校職員室には「タフマン箱」という、疲労回復のため職員が飲んだ栄養ドリンクの空きビンをいれる箱があったそうです。Sさんは、男子ロッカー室に別の栄養ドリンクをケースで持っていて、しばしば飲んでいたので、かなり疲労が蓄積していたと思ったという記載もありました。
Sさんの慢性疲労症状を示す有力証言は次の通りです。
「優しい方だったので、仕事上のことで何を言っても笑って許してもらえ、どんなことも一緒に考えてくださるという気持ちで接していました。そんな先生でしたが、平成14年度中に2度ほど「あれ?」と思ったことがあります。1回目は10月頃、同和教育参観日の提案をされた後のことです。(先生の)提案内容について私が「ちょっと無理じゃないですか」と文句を言った時、割と厳しい口調で「そんなこと言われても困る」と言われました。いつもなら「悪いなあ、でも仕方がないことじゃけ、すまんけどやってもらえんか」という感じの柔らかく返されるのにどうしたんだろう、S先生がこんなにイライラしているなんて、と驚きました。」
公益財団法人労働科学研究所の慢性疲労研究センターによる、慢性疲労状態を示す5つの徴候は次の通りです。
*(日常の)業務遂行をするのに意識的な努力が必要になる
*睡眠不足の自覚
*生活での活動性の低下
*疲労感の持続
*感情的不健康の発現(普段では考えられないような状況の下でも発生する怒り、イライラ、恐れ、悲しみ、不安などを指す)
上記の教諭の印象は、まさにSさんの「感情的不健康の発現」だったではないでしょうか。また、それが10月であったことも注目されます。クラスで不適応傾向のある児童の問題が表面化する時期と一致するからです。この段階でまず、校長や教頭からサポートがあり、勤務に関連した軽減策がとられていれば悲劇を避けられた可能性は極めて高かったでしょう。学校管理者の安全衛生配慮義務違反を問うても良いとさえ考えられます。

私がもう一つの意見書を書いたのは、鳥取大学医学部脳神経外科の渡辺高志教授の意見書を読んだときです。
Sさんは、死亡後の腰椎穿刺により、正常ならば無色透明な脳脊髄液が血性であったことから脳出血と診断されました。「くも膜下出血(SAH)そのものは疾病名ではなく、さまざまな原因でくも膜下腔に出血を生じたという状態を指す言葉である」(山梨大学脳神経外科貫井英明教授、今日の診断指針)。さらに「SAHの原因の90%以上は脳動脈瘤破裂ものであるが、それ以外に高血圧性脳内出血によってもおこる」としています。Sさんの場合、「生前に脳動脈瘤の診断がなされていない以上、高血圧性脳内出血の可能性も否定できないだろう」という意見を最初の意見書に書きました。ところが渡辺教授はその点について、私の意見書を全否定するような所見を述べられました。
ここで改めて確認しておきますが、本事案の争点は、あくまでも脳内出血が職業上の過剰なストレス(負荷)を誘因として発症するか否かにあって、死因の検討ではない点です。一審判決においても担当裁判官は、「法的評価の見地点から」「脳動脈瘤破裂をもたらした相対的に有力な原因が何であったのか」の検討の必要性があるとして、渡辺教授主張の不十分さに言及しています。心身医学的な立場からみた情動ストレスと高血圧の発症機序に関しては、すでにL.Mosesらが1956年に発表したモデルに要約されています。産業医学的な関係性については、私は別記の上畑鉄之丞医師の図を引用させてもらっています。
求められているのが生理的な立証だとするなら、医学的には常識の範ちゅうです。まず初発因子は心理的面でのストレスで、それは大脳皮質に作用し、生体内部の変動に移り、辺縁系、視床下部を経て、交感神経の興奮を起こし、全身の細動脈の攣縮を起こします。このとき血圧は一過性で上昇するが、情動ストレスが持続するにつれ、内分泌及び代謝の異常が体液の中に起こり、腎性因子、副腎皮質因子、中枢神経性因子がからみあって持続性の高血圧となる。次に器官や組織の感受性が亢進し、器質的病変をおこすようになるのです。

急性死の職務起因性
本件発症前の約1週間から直前まで(平成15年3月13日~同月19日)は、日常公務に加え、卒業式の練習や準備などに3人の2年生担任教員と従事しています。裁判報告集会に参加した教員の方が、卒業練習や準備について、基金の主張は日常行事の一つであるかのようにひどく軽く触れられていることに怒りをぶつけていました。学校行事の中で一番重要な行事は卒業式であり、それに係わる教員の負担は大変なものだとのことでした(私は部外者の盲点を突かれた思いでした)。
Sさんは12月15日以降、風邪による体調不良でしたが、同僚の一人も体調不良で休みがち、もう一教員もインフルエンザで不在という条件下で、休めずに職務を遂行しています。
さらにSさんを決定的に追い込む「事件」が起きます。3月14日、かねてから不適応の傾向にあった児童が欠席し、その趣旨を書いた保護者の連絡帳を当該児童の4年生の姉が預かってきました。Sさんは返事と連絡事項を書き、同クラスの子にその連絡帳を姉に渡すよう頼みました。ところがその日4年生は学校でのお泊まり会で、4年生の子供も教員も体育館にいて、連絡帳は姉の児童に直接渡せず、3つある教員の机の上に置いて帰ったそうです。3月17日に、保護者から連絡帳が届いていない旨の手紙が届き、驚いたSさんは八方手を尽くして探しましたが連絡帳は見つかりませんでした。この連絡帳は、発達障害の傾向のある児童の保護者の悩みや教員の指導に対する意見、また、それへの返事や考え方などが書かれていました。連絡帳を紛失したことで、Sさんは午後8時から1時間近く保護者から非難されました。4年生の姉の担任は「大事にならなければよいがと感じた」そうです。その保護者(母親)は、「教育熱心なとてもいい方なのですが、昨年と今年と接してみて、精神的に不安定な時があるように感じていたからです。そんな時には大変自己中心的な態度をとられます。(中略)集団行動が取りにくい面があり、友達とトラブルを起こすたびに、担任に対していろいろ意見を言ってくるのです。」
この「事件」に対し、基金は、「Sさんの性格から見ても、一般の児童に託さず、保護者か当該児童の姉に直接手渡すなど、慎重に取り扱うべきであったとの自責の念にかられ大きなショックを受けたことは想像に難くないが、このことは公務自体によって本疾患の発生原因とするに足る強度の精神的または肉体的負荷を被災職員に及ぼしたとは認められない」と決めつけています。
原告作成の資料によると、発症前日の3月18日、「広い学年棟のワックスがけ、ホール、6年等の準備、掲示などを2年生担任の3人ですることをすべて一人でやろうとしていた」。発症当日は40度の熱を押して出勤し、2年の担任2人が出勤してきたので早退したのです。

私は裁判報告会での発言の最後に、過労死予防のために個人的な対応の限界は明らかなのですから、定期的な、もしくは希望する人がいる場合はその都度小グループで健康状態の話し合いを持つことを提案しました。
また、慢性疲労徴候のうち「生活での活動性の低下」は、忙しい職場の同僚よりは、家族が家庭での状況から早く判断できる場合もあると考えます。例えば、一定の健康状態チェックリストを家族にあらかじめ配布しておき、これはと思われたときに記入して教職員組合に提出してはどうかと提案しました。
もちろん、同僚や家族だけに健康配慮義務を押し付ける趣旨ではありません。労働安全衛生法第12条の2、労働安全衛生規則第12条の2により、小規模小学校では衛生推進者を選任し、作業環境の点検、健康診断の結果チェックおよび健康の保持増進のための改善に取り組むことも増えてきたようです。但し、関東で衛生推進者の講習を実施している関東安全衛生技術センターは実に不便な場所にあります(千葉県市原市で、JR内房線五井駅からバスで20分)。改善の余地があるでしょう。