アスベスト被害者団体設立から10年と今後の展望

中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会 澤田慎一郎

2005年6月の「クボタショック」を境にして、被害者と家族を取り巻く環境と一般の方々のアスベスト問題への認識が劇的に変化しました。事件の発端は、兵庫県尼崎市の旧クボタ神崎工場周辺の住民に被害が出ていることの発覚でした。あれから今年で10年を迎えました。クボタショックの前年、「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」は設立されました。当初3つの支部の約60人の会員で始まった会は、現在は全国に17の支部で700人を超えています。
一方で、アスベスト問題は「一区切りついた」という認識が、世間一般の大勢であることも冷静に受け止めなければいけません。たしかに、クボタショック以降、労働者以外の被害や労災が時効になった遺族への救済制度の創設、日本では未承認だった抗がん薬の承認、一部被害者に対して国の責任を認める最高裁判決とそれに基づく賠償などがありました。
しかしながら、中皮腫や石綿肺といったアスベスト疾患は完治のための治療方法が確立されておらず、また肺がんの予後も厳しいことが多いため、依然として被害者が厳しい環境に置かれています。とりわけ、中皮腫については余命数ヶ月と診断されて動転する患者さんや家族からの相談が絶えることがありません。少なくとも数年は、完治のための治療方法が確立しないという前提のもとに、患者会としてどのような役割が求められてくるのかを考えなければなりません。「緩和ケア」などに関する情報提供がその1つです。
また、労災保険や救済法という制度はありますが、クボタショック後に政府が掲げた「すき間のない救済」が実現しているかと言えば、全くもってそうなっていません。今日、日本では年間約1400名の中皮腫による死亡者が出ており、今後10年程は横ばいか微増することが研究者の試算などでも予想されています。アスベスト由来の肺がんは、消極的にみて同数程度の被害者が発生しているとされています。
ところが、年々、被害の発生数と比較して「制度の網」にかかる被害者の数が減り続けています。これは非常にわずかな例外を除いてアスベスト以外に原因がないとされる中皮腫についても言えることで、制度がありながらそれが十分に機能していないという危機的状況にあると言えます。
肺がんは、タバコをはじめとして他の環境因子の影響もありますが、一定の関連性を判断する診断基準は制度上あります。しかし、医療関係者がそれを十分に理解している状況にはありません。主治医から「あなたの肺がんはタバコが原因」と言われてしまえば、多くの患者はアスベストとの関連性を全く疑わないか、制度への申請を諦めてしまいます。加えて、申請に至っても、不認定とされてしまう被害者もおり、行政認定を求めて裁判を起こして司法が認定基準の運用が不合理だとして取り消しを命じる判決も複数出されています。
あるいは、制度の網にはかかったけれども、基本的に労災保険よりも給付内容の水準が低くなる救済給付に安易に流されている被害者もいます。私たちの相談では、その多くが労災保険業務を担う労働基準監督署の説明によって困難さを指摘されているものです。例えば建設業に従事されていた方は、労働者と自営業の期間があることや間接的にばく露していることもあります。少し話を整理すれば労災申請し認定されるべき事案であっても、職員の理解が不十分であると「労災は難しいけれど、救済給付もあります」という話にされてしまいます。それ以外にも、「労災=会社に迷惑がかかる」という誤解も含めた認識で被災者自ら申請をためらってしまうケースもあります。
患者会は救済法の設計段階から「労災並みの給付」を求めてきましたが、いまだに給付の格差は縮まっていません。基本的な月々の給付の内容の改善はもちろん、交通費の支給や就学児童がいる場合の就学援護金、患者さんが亡くなった後の遺族年金など労災保険制度にあって救済給付にない給付は、生活を保障する最低限の給付オプションではないかと考えます。
以上のように労災・救済の各制度に問題はありますが、それ以前の制度設計において全ての関係者の共通認識としてほしいことは、「患者・家族のことは、患者・家族が決める」ということです。もちろん、これは「患者・家族だけで決める」とは違います。
しかしながら、これまでのアスベスト健康被害をめぐる制度設計において、患者と家族は「蚊帳の外」に置かれていたという印象が強くあります。例えば、障がい者分野においては異なる身体・知的な差異を持つ当事者が、過労死被害については遺族が、政策決定の主たるメンバーとして政府機関主催の審議の場に参画していますが、アスベスト問題で同程度の当事者参加がされているかと言えばそうではありません。
このような現状との比較においても、「誰のための制度なのか」という本来的な意味においても、このような不本意な立場はすぐに変更しなければなりません。行政側のこれまでの当事者の位置づけの誤りが、厚生労働省・環境省およびそれに付随する組織において、がん行政一般には常識となっている患者団体の紹介すらしないという粗末な実態に現れているのかと思います。
現状においても、全国ネットワークを持つ患者と家族の会が政策決定の主たるメンバーとして位置づけられる資格は十分にあると考えますが、今後は「質の向上」と合わせて、「数の拡大」に意識を置いて一回りも、二回りも組織を大きくしていくことを意識した運営が求められてくるかと思います。このような事を書くと、組合員の拡大を年度目標に掲げる労働組合のような匂いがしないではありませんが、「数は力」のわかりやすい指標を対外的に提示していくことも主要な利害関係者と認識されるためには必要なことです。
ただ、それは単なる機械的な数字に完結するものではなく、多種多様な人材の結集にもつながっていきます。今でも、会員の方の中には「自分にできること」を大いに活かして活動に参加してくださっている方が多くいます。ほんの一例をあげれば、毎月、患者さんへ向けて「誕生日カード」を作成して送ってくださる方、お見舞い用の千羽鶴を織ってくださる方などです。あるいは、看護師・介護ヘルパーなどの専門職に従事している方は、その経験から助言をくださっています。
あげれば切りがありませんが、数の拡大はこのような会の運営における質の向上に繋がる布石になり、その「芽」をどう活かすかは会の方針と事務局の目配りが大きく影響してきます。さらに、医療関係者の中には私たちの活動に理解を示してくださり、協力的な関係を築いてくださる方も多くいます。そのようなネットワークをさらに広げることも必要です。
アジア諸国の中ではアスベストの使用禁止が早かった日本は、被害者救済のための制度枠組みはもちろん、それによる給付ではカバーできない患者・家族への様々な観点からのケアのあり方についてもモデルケースを提示していく責任があります。国内外の被害者の、多様な意味合いを含んだ「拠り所」として、患者と家族の会の今後を展望できればと考えています。