センターを支える人々:五十嵐哲(国鉄・JR大船工場退職者会)

国鉄・JR大船工場退職者会 事務局長
五十嵐 哲さん
センターがなければ、一冊の手帳も取得できなかった

この原稿を仕上げようとした日の前日、1月30日に横浜地裁で、竹井さんの肺がん不支給訴訟の判決が出ました。結果は、思いもよらぬ敗訴。「原告の請求棄却」と裁判長が言い渡した瞬間、「エッ」と声が上がり、一瞬沈黙の中に私もいました。一緒に傍聴していた国鉄・JR大船工場退職者会(以後、退職者会という)の5名の仲間も茫然。報告集会後の交流会でも「何で? わからない?」の声。家族の「控訴します」という報告で、「今後も共に闘おう!」と確認しながらこの長い一日が終わりました。

私は18歳の時に国鉄大船工場に就職し、55歳で退職するまで国労の組合員として「国鉄分割民営化」の闘い等、多くの貴重な経験をしてきました。退職した今は、06年9月に立ち上げた退職者会の事務局長をしています。

センターとの繋がりは、鎌倉市にあった国鉄大船工場(06年3月廃止)で働いていた先輩、砂川さんと田島さんの中皮腫の災害認定の状況現認書の作成に参加した時にセンターの池田理恵さんと出会い、そこから長い付き合いとなっています。素晴らしい出会いでした。
その後、退職者会で「命」の問題として石綿問題を取り上げ、港町診療所での健康診断、健康管理手帳の取得のための書類作成等に取り組み、この2月現在、57名が手帳を取得しました。もしセンターとの繋がりがなければ一冊も取得できませんでした。

申請書類を作成していると、国鉄時代に同じ職場で働いていた先輩や後輩の事を思い出し、石綿によるとみられる肺がんで苦しんで亡くなった方々の無念さを思い、もっと早く石綿問題に取組んでいたらと悔しい思いが込み上げてきます。
また、JR長野総合車両センターでは今でも車両や建物等に石綿が使われ、そのことを曖昧にしている事に驚いています。さらには、従事歴証明書の扱いの不真面目さなど、JRの態度には怒りや残念さを感じます。今後どう対処していくのかがこれからの一つの課題だと痛感しています。

今後は、石綿ばく露から30年から40年が経過する手帳取得者や退職者が多く存在し、いつ、肺がんや中皮腫等を発症するかわかりません。私も他人ごとではありません。国鉄・JRで約37年間、石綿を吸い続けてきました。いつ発症するか心配でなりません。しかし、退職者や現職の仲間、石綿問題に係る仲間たちがいることで心強く思います。そしてセンターがある限り心配ないと信じ、今後も多くの仲間と共に活動していきます。
【1月31日・67歳の誕生日に】