野村労災裁判の不当判決を許さない!

野村労災裁判の不当判決を許さない!
川本浩之(アスベストユニオン書記長)

判決に至る経過

 富山県在住の野村美雪さんの夫、光弘さん(故人)は、80年代前半の学生時代、アルバイトで建設等の作業に従事したことが原因で悪性胸膜中皮腫を発症し、13年1月に47歳で亡くなられた。労災認定はされたが、アルバイト当時の賃金は極めて低額であり、亡くなる直前にアスベストセンターなどが実施したホットラインに、製造メーカーの責任を追及できないかという相談を寄せていた。

 光弘さんの作業は、ボンドでコンクリートに石膏ボードを直接貼るGL工法という、製造メーカー「吉野石膏」独自のもの。取り扱っていた建材は限定される。ユニオンは、直接雇用主であった、その名も「ジーエル本江」に団体交渉を要求した。ジーエル本江は、吉野石膏の製品を使用していたことを認めながらも、自社にも元請各社にもアスベスト発病者はいないなどとして、団体交渉を拒否。吉野石膏に対しても代理人弁護士が話し合いによる解決を求める通知書を送付したが、「法的責任はない」との回答。やむなく美雪さんと息子さんら遺族は14年8月、ジーエル本江と吉野石膏を相手取り、1億1600万円余の損害賠償を求める裁判を東京地裁に提訴した。

 そして3年余の審理の末、18年1月12日、東京地方裁判所は、ご遺族の請求を全面的に棄却する不当な判決を言い渡した。

石綿ばく露建材を特定せよという裁判所
 
 労働基準監督署は、当時の吉野石膏の石膏ボードにアスベストが含有されていたと会社も認めているとして労災認定した。厚さ9㍉の不燃石膏ボードにアスベストが含まれていたことは争いがない。

 ところがジーエル本江は、富山では12㍉の石膏ボードしか使っていないと主張。吉野石膏も9㍉の準不燃石膏ボードと比べ、アスベストを含有した9㍉の不燃石膏ボードは製造量が少なかったと主張。原告側は、一級建築士や現場労働者の陳述書を提出して、ジーエル工法で9㍉の不燃石膏ボードも使っていたと主張した。

 裁判所は、9㍉の石膏ボードをジーエル本江が使用していたと認めるに足りる的確な証拠はないとした。そして、光弘さんが労基署の聴取で述べている、建設現場での吹付アスベストばく露も会社の主張を鵜呑みにして、否定した。一方で裁判所は、光弘さんが大学卒業後に中古自動車販売業に従事したことがあるから自動車のアスベストばく露の可能性があるとして、ジーエル本江でばく露したと認めるに足りないとした。

 仮に本人が生きていたとしても、20年以上前のアルバイト先での建設現場の状況、使われていた建材の種類などを特定して証明することなど、できるはずがない。ましてやご遺族にそれを求めるのは不可能に近い。例えば、長年現場で働いてきた建設労働者の裁判ですら、個別の労働者が使用していた建材の特定が困難であるがゆえに、製造メーカーのシェアに基づいて賠償を命じたぐらいなのだ(東京高裁、京都地裁)。

不可解な訴訟指揮、傍聴人に激高する裁判長

 実は裁判長の訴訟指揮自体も許せないものだった。そもそも上記一級建築士の証人は、いったん採用されたが、たまたま尋問当日に病気療養のため実現しなかった。その後、復帰が確実視されて、代理人が尋問期日を入れるよう求めたところ、裁判長は、とりあえず保留とし、その「最大の理由は病気です。」などと説明した。その次の口頭弁論では、その証人が傍聴席にかけつけ元気であることを示し、改めて代理人が尋問することを求めたところ、合議の末、理由は一切語らず、「証人採用を取り消します」とした。

 また、証人調べの時に傍聴席でおしゃべりをする人がいた。通常は、ただちに「静かにしなさい」などと注意し、それでも従わなければ退廷を命じられるだろう。ところが裁判長は、直接注意するでもなく、裁判所職員に注意するよう指示するでもなく、漫然と放置した上で、突然「そこ静かにしろ!お前だよ!」などと何を言っているのか理解できないような言い方で激しく怒鳴り出した。裁判所とは思えない異常な様相であった。

美雪さんも、最後まで闘うと決意

 判決当日は報道関係者も駆け付け、感想を求められた美雪さんは次のように述べた。「こんな判決は絶対に納得できません。私ではなく主人が企業の責任を問うと考えていたからこそ、私は裁判に踏み切りました。あきらめるわけにはいきません。」
 アスベストユニオンも原告や弁護団と共に勝利まで闘う決意である。