アスベスト被害者となって
建設アスベスト神奈川訴訟 東京高裁で勝訴判決!!
17年10月27日に東京高等裁判所にて建設アスベスト神奈川訴訟の控訴人(原告)勝訴の判決が下された。これは12年に原告敗訴となった横浜地裁判決の控訴審であるが、東京高裁判決は横浜地裁判決を覆し、国とアスベスト建材メーカーに損害賠償を命じる画期的な判決を出した。建設アスベスト訴訟は神奈川だけでなく全国各地で行われており、既に6つ地方裁判所で国や建材メーカー(一部)の責任を認めてきたが、高裁では初めての判断となり注目されていた。この建設アスベスト神奈川訴訟の原告副団長である髙橋静男さん(大工)から、今回の勝利判決について文書を寄せて頂いた。【鈴木江郎】
アスベスト被害者となって
神奈川第1陣原告団 副団長
中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会「神奈川支部」
髙橋静男
私は高校卒業後、生まれ育った北海道を離れて神奈川県平塚市で暮らしています。大工を始めたのは昭和45年のことです。アスベストで倒れた平成6年の暮れまで、来る日も来る日も朝4時には起きて現場に向かい、暗くなるまで一生懸命働いてきました。私は手作業が大好きで大工の仕事が生きがいでした。腕を磨いていつかは宮大工をやりたいという夢もありました。
ところが、アスベストが生きがいも夢も突然に奪っていきました。すぐに息切れがして酸素ボンベが手放せない今の体では、大工の仕事どころか当たり前の生活も奪っていきました。
今の私は酸素ボンベが無ければ倒れてしまいます。夜は一晩中、痰が絡んで息ができないほど苦しくて、何とか痰を切りたいとティッシュに痰を出しますが、痰が切れないのです。夜が明ける頃には痰でティッシュ箱まるまる一箱が空になってしまいます。本当に苦しくて眠れません。
これは私だけではありません。アスベスト裁判を闘っている仲間はもちろん、日本中にアスベストで当たり前の生活を奪われた人間が沢山います。
国は、アスベストの危険性を知りながら長い間アスベスト建材を指定建材にしていました。そして企業は金儲けのために長い間アスベスト建材を売ってきました。企業は企業献金を出し、国に対して働きかけを行い、そのせいで国は長い間アスベスト建材を指定建材にしていたのではないのか。私たちがこんな思いをする事になった全ての責任は国と企業にあるのだと、私は強く思います。
ILO国際労働機関、WHO世界保健機関は15年までには世界中からじん肺を根絶させるため、各国はじん肺根絶計画を策定するべきであると提案しています。じん肺法が制定された1960年から47年も経過した現在もなお、毎年1000名以上の重症患者が発生しています。じん肺アスベストの被害根絶に向けた制度改革に真剣に取り組むべきです。ノンアスベスト社会の実現に向けてアスベスト対策基本法の制定が必要です。建設労働者は誰もが被害者です。労働者一人の問題が、明日は我が身の問題です。
私はこの悔しさを何としても国民に知ってもらい、国の政策を変えさせるために、06年7月から自家用車を宣伝カーにして、月に1回は駅や商店街で訴えています。アスベスト被害者の訴訟は、国とアスベスト企業に被害者への謝罪と賠償を求めるだけでなく、アスベスト被害の根絶と被害者に対する全面的な救済を求め、国の政策を変えさせるための重要な運動でもあります。アスベスト被害の根絶に向けてともに頑張りましょう。