産業保健の目:安倍晋三内閣の「働き方改革」批判

産業保健の目
安倍晋三内閣の「働き方改革」批判
センター所長・医師 天明 佳臣

 1月22日に召集された第196回通常国会で、安倍晋三首相は、憲法9条改正について「いよいよ実現する時を迎えている」と述べました。私たち一般市民も草の根からの護憲の闘いを仕掛けていかねばなりません。それと同時に、労働安全衛生の視点から見て、安倍内閣の掲げる「働き方改革関連法案」も到底受け入れ難い内容を含んでいます。本稿ではその内容を批判し、読者のみなさん方のそれぞれの労働現場における議論の資料の一つを提供する心算です。
 
残業時間の罰則付き上限規制の導入(極めて忙しい1ヶ月の残業上限は100時間未満)

 労働基準法で決められている法定時間は1日8時間、週40時間です。これを超えて社員を働かせるには、周知のように残業時間の上限を定める協定を労使で結び、労働基準監督署に届ける必要があります。労基法36条に基づくサブロク協定です。朝日新聞が昨年7月に実施した東証一部上場企業225社の過半数に当たる125社では月80時間以上の残業を認めるサブロク協定を結んでいました。過労死の労災認定基準は、発症前1ヶ月間の残業が100時間、2~6ヶ月の平均80時間です。

 裁判例では、月95時間分の時間外労働時間を義務付ける定額時間外手当の労使合意の効力が争われた「ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件」(札幌高裁平成24年10月19日判決)や、月85時間分のみなし残業手当の効力が争われた「穂波事件」(岐阜地裁平成27年10月22日判決)では、月95時間、月85時間と言う設定そのものが公序良俗に反するという判断を下しています。裁判でも積み重ねられてきた過重労働についての判断基準が月100時間という水準まで合法化される恐れがあります。

高度プロフェッショナル制度(高プロ)と裁量労働制
 
 「高プロ」については、「残業代ゼロ」制度として既に多くの人が批判してきました。専門職で年収1千万の人を労働時間制度から外す制度です。対象となる働き手は多くはありませんが、経済界では「高プロ」の導入を求めており、その年収条件を「400万円以上」と提案していました。「高プロ」が合法化されれば、政府は経済界の意を汲み、年収要件の下方修正や、職種対象の拡大を要求する可能性は十分あると考えます。

 職種対象が大きな問題になるのは裁量労働制においても同じです。裁量労働制は実際に働いた時間ではなく、あらかじめ決めた労働時間に基づいて残業代込みの賃金を払う制度で、それ以上働いても残業代は出ません。仕事の進め方や時間配分をある程度自分で決められる働き手に限って適用できます。

 対象業務は2つに分けられます。専門業務型と企画業務型で、前者は証券アナリスト、新聞記者、弁護士、公認会計士、コピーライターなどで、適用するには企業の労使が協定を結ぶ必要があります。後者は経営の中枢で、企画、立案、調査、分析の業務に就く労働者が対象とされ、適用するには社員の半数以上を含む「労使委員会」での5分の4以上の賛成と本人の同意が必要になっています。前者と比べて後者の対象業務の定義がわかりにくいとされています。本人同意が必要と言っても、その点が真意によるものなのか疑問のケースもあると危惧されています。

 長時間のリスクはどちらも同じです。専門業務型ではNHK記者の佐戸未和さんの過労死(当時31才)と広告大手電通の高橋まつりさんの過労自殺(当時24才)がすぐに思い起こされます。一見自由な働き方に見えても、仕事量が課題であれば、全く意味がない典型例です。政府は裁量労働制や「高プロ」は「成果で評価される自律的な働き方」と言っていますが、労働時間規制の緩和と成果主義は全く関係ありません。

 ここでジェンダー(社会的・文化的役割としての性)について触れておきます。安倍首相の所信表明でも少子高齢化の克服は大きな課題として取り上げられています。アベノミクスでは、少子高齢化に直結する問題として「女性の輝く社会」がセットメニューとなっており、待機児童解消を「要はやるかやらないか」だと大見得を切っていました。ところが約束期限の迫った昨年6月に何の検証もなく、「3年後までに」延期となりました。例のブログ「保育園落ちた」「どうすんだ私、活躍できねーじゃんか」、それは「私だ」と手を挙げた多くの女性の声、あの怨嗟の声が耳元に響いてきます。

 女性は育児と家事を背負って働いています。女性活躍推進法が施行され、企業は女性の活躍度を高めるための計画を公開しなければならないはずです。さてどうなっているでしょう。日本の男性は、他の先進国の男性と比べて育児・家事への参加が極端に低いのです。育児・家事を背負いながら働く女性の支援として、女性だけの労働負担軽減では自ずから限界があります。

労働安全衛生の視点からの対策

 「働き方改革関連法案」は実に長い時間をかけた闘いの末に世界の労働者が勝ち取った「8時間労働、8時間の睡眠、8時間の自由時間」とする労働時間規制への挑戦のように見えて仕方ありません。もちろんこれからやってくるAI時代に向けて、労働時間はもっと短縮される可能性はあるでしょう。ここでは労働安全衛生の基本的な視点を述べて本稿の締めとします。

 過労死認定基準の数値は「時間外労働+睡眠=10時間/1日」という式からはじき出されたとされています。この式によれば、時間外労働が5時間になると睡眠時間は5時間しか取れません。短い睡眠では、個人差はあっても脳や心臓の疾患が起こりやすいとされています。また、睡眠は量だけではなく質も重要です。短い上に寝つきが悪く横になっているのに眠れていない時間が多いと、身体的ばかりではなく、精神面の健康にも深く関わってきます。抑うつ発症の確率が高まります。「良い労働には良い休養がなければならない」という言葉があり、さらに重ねて「休養の中核となるのは睡眠」と言われています。

 一日の長時間労働で疲れ果てた労働者と、8時間の自由時間を自分の趣味、家庭、地域など労働以外のさまざまな場面で過ごした労働者の、どちらが翌日の労働の生産性、効率性が上がるかは誰の目にも明らかでしょう。ともかく職場の現状について、労働時間の問題について、仲間の労働者の間での討論、対策、協議を始めてはいかがでしょうか。