横浜地裁判決にて労災認定を勝ち取る!

過労による脳内出血で倒れ、療養中
横浜地裁判決・確定
神奈川総合法律事務所
弁護士 小宮玲子
 Kさんは、業務用電化製品の訪問修理・メンテナンス業務に従事するサブカスタマエンジニア(サブコン)として、会社の人件費削減のため、社員としてではなく、会社との間で「業務委託契約」を結ばされていました。サブコンは、顧客に対する迅速な対応の名の下、担当地域ごとに一人ずつ二四時間拘束され働いていました。会社は、サブコンを専属的に働かせながらも社員としては処遇していませんでしたので、完全歩合制で、労働時間管理は一切おこなわず、健康診断も受けさせず、経済面でも健康面でもサブコンの「自己責任」は徹底されていました。
 Kさんは平成七年に入社して七年目の平成一三年、過労のため脳内出血で倒れ(当時五五歳)、以降、半身麻痺等の後遺症が残って働けない状態にあります。
 本事案では、労働時間の管理・記録が全くない場合に、実労働時間をどうみるかという問題がありました。本件のような形式上「業務委託」とされていた場合のほか、「請負」とされている場合や、非正規社員、正社員の場合でも労働時間管理が全く行われていない同様の事案は多くあります。
 本件では幸い、修理日報等の資料が残っていましたので、労基署もそれを利用してKさんの実労働時間の再現を試みたわけですが、労基署の調査・推計結果は、それ相当の手間をかけた計算作業を経た割には、不当に短く算出された「修理所要時間」「移動所要時間」「事務作業所要時間」の機械的な「足し算」のみにとどまり、繁忙期の平日において午後早い時間に終業・帰宅となるというような不自然極まりないい自らの推計結果を何ら見直すこともありませんでした。労基署には、休日もろくにとれず二四時間拘束で働かされていたサブコンの労働実態への理解が欠如していたと言わざるをえません。
 本判決は、労基署が出した推計結果へ「上積み」してKさんの実労働時間を算出するにあたり、労基署が全く考慮していなかった日々の各作業時間を算入し、その結果、発症前三か月で月一三〇時間、六ヶ月平均月一〇八時間の時間外労働があったと認定しました。そして裁判所の推計結果によれば、Kさんの終業・帰宅時間(妻の証言)ともおおむね符合する上、実際は推計以上の実労働時間があったものとうかがわれる、としました。裁判所がかかる判断に至った前提としては、Kさんの家族および元同僚のサブコンの人たちが口をそろえて日々訪問修理に追われるサブコンの過酷な労働実態を証言したことから、裁判所も、労基署の推計は過小すぎ、Kさんの労働実態を反映していないものとみたのだと思います。
 この点、労基署の調査においても、Kさんの家族や同僚サブコンの聴取書などを見れば、労基署推計結果の見直しをはかるとともにKさんの業務過重性を評価することも十分可能であって、労災支給決定できたのではないかと思うと、被災から本判決までうかがわれる八年も待たされたKさんと家族のみなさんの苦労や不安を思い、悔しさは未だ薄れません。
 労災支給の有無だけでその人の人生の幸せが決定されるとは考えたくない反面、やはり労災支給の有無で本人と家族の人生が大きく左右されるのは紛れもない事実です。労基署には、一人の労働者の人生の重さ、そして責任の重さを感じてほしいと強く思った事件です。
 三洋でサブコンとして働くようになってから、夫の生活は激変しました。
 係長の下での研修を終え、一人で現場を回るようになってから、夫は五キロ以上やせました。そのころ家族写真を見た友人が、げっそりとやせた夫の外見に、「だんなさん、大丈夫なの?」とひどく驚いて心配されたことをよく覚えています。
 しかし、仕事の帰りが遅い、休日が少ないというのも、大変なのはこの最初の時期だけで、この仕事に慣れればもう少しラクに仕事を回して行けるのだろうと、夫も私も思っていました。
 ところが、夫がサブコンの仕事自体にやっと慣れてきた頃、会社は「二四時間体制」を売りにするようになり、サブコン二人でペアを組んで相手が休みの日には自分の担当エリアのほか相手の担当地域もフォローするという体制を組むようになってから、夫の忙しさは加速していきました。
 毎日、仕事に追われてあちこち訪問するようになり、「完了率」(完了するまでの訪問回数でみた率)は悪くなる一方で、忙しくなった分、売り上げ(収入)が上がるとはいいがたい状況でした。「忙しくなるばかりで割に合わない・・・・」と夫はよく言っていました。
 サブコンの仕事の大変さについては、その仕事の内容なども含めて、夫が倒れる前より夫から話を聞いていましたので、家族としてもその苦労を理解し、協力しているつもりでした。また、現実に、夫が朝早くから起きて、出社前から伝票整理などの事務作業に取りかかり、決まった時間に出社して、帰宅時間も遅かったということは妻である私自身よくわかっています。
 夫が帰宅するのは、倒れる前のいわゆる繁忙期には、深夜作業に行っている日をのぞき、二一~二三時頃でした。日によってばらつきはありましたが、倒れた年の七月中の帰宅は二二~二三時になることが多く、八月に入っても相変わらずで二三時頃になるのも珍しくありませんでした。夫が「今年は家族旅行には行けない」「九月は休みがとれないから協力してほしい」と言うのももっともだと思わざるを得ないような状況で、家族としては協力したいと思いつつ夫の健康が心配になりました。
 帰宅時の夫は、仕事で疲れ果ててくたくたになっていました。家の玄関を開けた瞬間、体中の緊張が一気にほどけたようになっている様子がよくわかりました。サブコンの仕事はそれ自体、肉体労働ですし、対面や電話で直接お客さんとやりとりするサービス業の側面もあります。また、帰宅するまでの運転業務による緊張と肉体的負担もあったと思います。
 夫は、用意してあった夕飯もそこそこに、また、お風呂に入る元気もなく、顔と手足だけ洗って布団に倒れこんで就寝してしまうこともよくありました。
 サブコンは、お客さんと直接、接する仕事ですので、作業着のジャケットの下にはYシャツ(夏場はTシャツ)、ネクタイ(夏場以外)を着用しているのですが、シャツに汗染みができることなどは当たり前で、夏場はTシャツの背中のところに汗で塩がふいている状態でした。屋外での作業や移動中の長時間運転もあるからなのでしょう、本人の顔も鼻から額にかけてひどく日焼けしていて、腕や首もTシャツの形くっきりに焼けていました。
 夫が倒れた当時、会社は二四時間体制をとっていて、また深夜作業が当番制ではなく、あくまでもその地域担当の者が行くということになっていましたので、各サブコンが二四時間、常に待機状態にありました。本社や客先から急遽、連絡が入ったような場合には、その日の帰宅・就寝後であろうとも起きて出かけて行きました。そして帰宅が午前三~五時になろうとも、翌朝は通常通り出勤し、普段通りの仕事をこなしていました。いつ、仕事に呼ばれるかわからない状態に常に置かれているというのは、たとえ自宅に帰っていても、布団の中に入っていても、心から休める状態ではなかったと思います。実際、夫は、「何時までやればよい、という仕事のシメがないのがきつい」とよくこぼしていました。
 前の会社に勤めていたときは毎年、健康診断も受けていましたし、有休もとれましたが、三洋に入ってからはサブコンという立場上、しんどいからといって仕事を断ったり休んだりできる立場にはありませんでした。社員の方であれば、営業所は土日は閉めていましたし(サブコンの人たちは鍵を開けて入っていました)、夜間対応なども本社のほうのセンターがやっていましたので、その間は休めたかと思いますが、サブコンは会社の二四時間体制、年中無休に対応するために働いていた状態でした。
 過酷な労働で倒れた夫について労災と認めてもらうことは、夫が一生懸命仕事をしてきたのを近くで見て知っている家族の何よりの心からの願いです。