長時間労働による うつ病で労災認定!「名ばかり店長」
うつ病で労災認定!「名ばかり店長」・長時間労働
たこ焼きのチェーン店「銀だこ」の店長をしていたHさんの「うつ病」について、横浜南労働基準監督署が業務上決定した。経過と業務上決定の理由、会社とのやりとりなどについて報告する。【川本】
発症までの経過
二〇〇三年四月、Hさんは、銀だこを経営するホットランドに入社した。店によって若干異なるが、だいたい朝一〇時に開店し、夜二一時に閉店する。はじめの半年間は見習いだったが、その後、副店長となり、二〇〇四年三月には店長として働くようになった。店長は当然開店前に出社するし、閉店後の片づけや事務作業などを終えてから帰宅することになる。事実上、労働時間は管理されており、労務管理上の権限は限られている。役職手当があるものの、残業代は全くつかない。典型的な「名ばかり管理職」だ。
「優れた」店長だったHさんは、リニューアル・オープンする店や新店舗など、次から次へと大変な店に配属される。休日もきちんと取れない状況で、朝起きあがるものつらい状態になったため、二〇〇五年一月に退社する。インターネットなどで調べるうちに、どうも「うつ病」の症状だと考えて、クリニックを受診。やはり「うつ状態」と診断され、しばらく通院する。このときは、まもなく良くなった。
二〇〇五年七月、ホットランドに再就職。試用期間中であるにもかかわらず、一一月には店長になる。二〇〇六年六月には、横浜市内のL店の店長となった。ホットランドはタコ焼き専門店を展開するチェーン店であるが、たこ焼き以外の商品も同時に販売することを企画し、路面店で目立つなどの理由から、L店に白羽の矢が立った。Hさんは、人手不足を理由に反対したが、「名ばかり店長」の意見は尊重されなかった。改装中の二〇〇七年七月は他の店舗を手伝い、八月一〇日のリニューアル・オープン直前に二日間休みが取れたが、オープン後一ヶ月間は一日しか休めない状態。しかも深夜までの長時間勤務が続いた。このころから、眠れないなどの症状が出ていた。春の健康診断で、消化器系の病気の精密検査を勧められており、九月初めに入院することになった。幸い、消化器には問題はなかったが、退院後も眠れない、朝はどうしても起きられない、出勤できない状態になる。一〇月に「うつ病」の診断を受け、現在も休業を余儀なくされている。
残業代を支払わせる
二〇〇八年一月、マクドナルドの名ばかり店長に残業代支払いを命じる判決が言い渡された。それをみてHさんは、自分も同じであると確信を深め、二月に会社に残業代支払いと、労災申請の協力を求める文書を送付した。会社とは話し合いを二回行ったところ、残業代については全くのゼロ回答。あくまでも管理職であるので払わないとのことであった。個人の力量に限界があると考えたHさんは、インターネットなどで調べて、労災職業病センターに相談をした。あわせて、横浜南労働基準監督署に労働基準法違反で申告もした。Hさんが名ばかり管理職であることは間違いないのだが、実際の労働時間のことは労災の業務上外にも影響が大きいので、よこはまシティユニオンに加入して、会社に資料などを求めることにした。
会社は、労災請求については全面的に協力するとしたものの、残業代については、労働基準監督署の是正勧告が出たにもかかわらず、あくまでも解決金として支払うのならよいという回答に固執した。確かに厳密な記録は存在しないのだが、少なくともHさんが就労時に作成した「出退勤明細レポート」で明らかな労働時間は労使で合意できたので、その分を賃金として、残りを解決金という形で支払うことで合意に達した。
うつ病の労災認定
二〇〇九年二月、「うつ病」について業務上と決定された。その理由については、個人情報保護法による開示請求で確認した。やはり新装開店による「仕事の量や質の変化」(心理的負荷の強度は「Ⅱ」)に加えて、その後も深夜に及ぶ月一〇〇時間を超える長時間労働が続いたことが「とくに過重」と評価され、総合評価が「強」となった。ちなみに二〇〇五年の「うつ状態」については、まもなく復帰し、通常に就労しているので「寛解していた」と判断された。
ユニオンは、団体交渉で、職業病についての損害賠償請求をしている。会社は、一〇〇%業務が原因とは考えられない、予見可能性がなかったなどの理由で謝罪も拒んでいる。Hさんの体調に配慮しながらも、きちんとした解決に向けて取り組みを強化したい。