札幌のAさん胸膜中皮腫で労災認定!
50年前に北海道の自動車整備工場で働き、石綿に曝露したことが原因で、悪性胸膜中皮腫を発症したAさんが労災認定された。当初、いくつかの理由から、かなり時間がかかると思われたが、早く認定されて本当によかった。経過を簡単に報告したい。【アスベストユニオン書記長 川本浩之】
Aさんは、1961(昭和36)年から6年近く、北海道の札幌いすゞモーターで働いた。同社工場では、いすゞのトラックなどの解体や整備を行なっていた。Aさんは部品課に配属され、直接、整備等の仕事に携わらなかったが、頻繁に工場に出入りしていた。当時の職場環境は劣悪で、「終業後に顔や手を洗わなければ鼻の穴が真っ黒で、ちり紙で掃除することが日課でした」と語る。
事業場名公開から
Aさんは、札幌いすゞモーター以外、石綿曝露の可能性のある職場では働いていない。札幌いすゞモーターでの仕事は埃がひどかったという認識はあったものの、「石綿に曝露した」「労災になる」ということは思いつかなかった。悪性胸膜中皮腫という診断が確定した2010年に環境再生保全機構に申請して、まもなく認定された。
ところが翌年12月、厚労省が発表した事業場公開によって、親会社である北海道いすゞ自動車で働いて、びまん性胸膜肥厚で亡くなった労働者が労災認定されたことを知った。もしかしたらと考えたAさんは、新聞記事でみつけた「中皮腫・アスベスト疾患患者と家族の会(北海道支部)」に電話相談した。会から相談を受けたアスベストユニオンは、Aさんに組合に加入してもらい、事実関係を確認するため会社と交渉することにした。
いくつかの困難
ホームページを見ると、「札幌いすゞモーターは、北海道いすゞ自動車に統合された」とあったので、北海道いすゞ自動車に団体交渉を要求をした。ところが、北海道いすゞの代理人弁護士は、「当社は関係ない」「札幌いすゞモーターは形式上存在している」「当時の事はわからない」と返答してきた。そこで、全造船いすゞ自動車分会に頼んで、いすゞ本社から調べてもらおうとしたが、名前は「北海道いすゞ自動車」でも、いすゞ自動車とは全く関係がないということがわかった。
とにかく労災請求するしかないと考え、3月に事業主証明なしで労働基準監督署に申請した。また、札幌の労基署に行き、話をしたところ、労災課長は「病名をきちんと確認したい」と言う。「Aさんはすでに環境再生保全機構で認定されている」「保全機構は厚労省に優るとも劣らずいろいろな書類や検査データを厳密に要求してくるから間違いない」と説明しても、「いや、労働基準監督署はきちんと医学的データを調べる」等と言う。しばらくやりとりすると、相手がどの位の知識をもっているかわかるもの。明らかに「はったり」でしゃべっている。こういう人が担当になるといたずらに時間がかかる。何とかしなければと正直焦った。
同僚の協力が決め手
幸い、Aさんの元同僚と連絡が取れた。Aさんとほぼ同時期に、やはり直接整備の仕事をしていない方だ。「当時の工場内は粉じんが舞い上がり、悪い環境でした」「夕方になるとサービスマンもAさんも鼻の穴が真っ黒になっている印象が脳裏に残っており、劣悪な環境でした」と、文書に記してくれた。現在の会社を調べるよりもはるかに信用できる重要な証拠である。また、労災課長が異動になり、次に担当になった方は非常に丁寧かつ適確な調査をしてくれた。
会社は、上述のような状態であり、どこの労災保険を使うかで若干手間取ったようだが、思ったよりも早く、8月に労災認定の通知が届いた。Aさんからお礼の言葉を頂いたので紹介する。
Aさんからの手紙(抜粋)
労災申請を半ば諦めている頃、平成23年12月20日、北海道新聞に石綿疾病で労災認定を受けた事業所名の掲載記事を見ました。さっそく「アスベスト疾患・患者と家族の会北海道支部」、大島准教授(北星学園大大島研究室)に電話で状況説明しました。翌日には、関西労働者安全センターの片岡明彦事務局次長様より、アスベストユニオン書記長の川本浩之様を紹介され、組合に加入。全国に広がるネットワークで、スピード感に溢れ、適切なご指示・基準局への対応と、見事な連係を頂戴いたし、想像を超える早さで労災認定を賜りました。関係各位、ご尽力いただきました皆々様に心からの感謝とお礼申し上げる次第でございます。